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川が好き。山も好き。
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先日、同僚さん数人とご飯を食べに行きました。仕事の話もしましたが、女子会だったのでガールズトークなんかも弾みます。唯一既婚の同僚さんは旦那さんとケンカ中で「結婚なんてそんなにいいものじゃないよ」とこぼすのへ、独身陣がなだめながら馴れ初めを聞いたりします。
 わたしのことを聞かれれば、わたしのお別れエピソードはまだ活きの良いネタなので「もう笑うしかないんだけど」と、ここぞとばかりに話します。それまでそういう人の存在すら明かしたことがないのに、むしろいない歴=年齢ぐらいのキャラぶっていたのに、ダメになると喋りたくなるのはどうしてでしょう。自分なりに分析してみます。

①惚気話は嫌がられるとわかっている。また、散々惚気ておいてダメになったらみっともないから、現在進行形の時はしないようにしておく。白黒ついたら話せる。そしてその結果が今回は黒だったということ。
②かなしいことが起こった自分を慰めてほしい。
③「話すこと」は「放すこと」に繋がる。つらい思い出を話して手放したい。過去を振り切りたい。
④不幸ネタは女性ウケが良いため、ここぞとばかりウケをねらってしまう。惚気話をしないのも不幸ぶるため。女性に好かれたい。

 こんなところでしょうか。まだあるかもしれないし、あくまで自己分析なので違っていることもあるかもしれません。他人事のように笑っているのも、少し奇異に映るようです。
 わたしが相手を問い詰めなかったことについても不思議がられます。そうしたい気持ちがなかったわけでもないですが、終わったことに執着してもどうしようもない、ということは過去の経験から身に沁みています。最近ワイドショーを騒がしている松居さんの動画などを見てもそれは明白です。なにより、わたしが悪いからこうなったような気がして、怒ったり責めたりするような立場ではない、と思ってしまうのでした。
 
「私の彼氏は既婚者だから~」と言うのは20代前半の女の子。「良い人と出会ったら今彼と別れるのに~」なんて言うのを聞くと、愛しているのではないの? と首を傾げたくなります。
 わたしは家庭があるのに他の女性に特別な好意を寄せる男性にもドン引きですし、未来のない恋愛をする意味がわからないです。それでもお互い愛し合っていてどうしようもないというのなら、婚姻を解消してからにしたらいいのに。交際相手が誰もいないよりは既婚者でもいいからいた方がいい、とも思いません。一時的に満たされるものがあっても、誰かを傷つけている以上、真の幸福には結びつかないでしょう。
 なんてことは、ただの同僚の女の子には言いません。わたしの倫理を押し付けるつもりはないし、彼女の人生は彼女のものです。彼女も、ただの同僚に説教されてもおもしろくないでしょうから、否定も肯定もせず「そうなんだー」と頷くのみです。

 数年前、絶望していた頃、いのちの電話に電話をしたことがあります。電話向こうの相談員さんが「ペットを飼えばいいんじゃない!?」と提案しました。確かにペットを飼って心が慰められる人もいるのでしょう。実際に、わたしの知人にもペットのために生きている人がいます。
 けれども、わたしはペットを飼おうとは思いませんでした。今でも思いません。経済的に難しい、一人暮らしで働きながらペットを飼うことは現実的ではない、などの理由はいろいろありますが、一番はペットが先に亡くなるからです。喪失感という大きなかなしみにいずれ打ちひしがれることがわかっているから、一時的な癒しは求める気になれないのでした。

 それとこれとは別な話なのだけれど、なんとなく思い出しました。わたしが、肺がんになるからタバコを吸わないとか、廃人になるから薬物に興味がないとか、お金を失うからギャンブルをしないとかいうのも同じ類のことでしょう。
 純粋に今だけを楽しめない、というのはつまらないことなのかもしれません。また、こんなに不穏な未来を避けようとする割に、しあわせな未来に繋がるようなことは何もできていないわたしだな、ということに気付いてしまうのでした。

  酒タバコ賭け事もせず恋もせずおだやかな日々を送っています

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健康診断に行ってきました。ここ数年は派遣会社指定の街中の検診センターです。ここで検査するようになってから、なぜか身長が1cm延びたのが不思議。そして今回は視力も上がってました。もともと目は裸眼で大丈夫なのですが、パソコンに向かう仕事に転職してから急に落ちて、でもまた1.0に戻りました。診察の先生も「なぜか去年より上がってますね」と笑っていました。

 待合室にいくつか雑誌などがあり、その中に益田ミリ『すーちゃん』シリーズが全部置いてありました。全部持っているのであえてここで手に取ることはしませんが、初めて読んだ時のすーちゃんは34歳でわたしより年上だったのに、最新刊の37歳のすーちゃんともうすぐ同い年になるんだなあと思うと妙な感慨深さです。人に貯金額を聞けないわたしは、30代一人暮らし独身のすーちゃんの貯金が300万円というのを、何かの目安にしています、今でも。
 『すーちゃん』シリーズは数年前に映画になったのも見たけれども、すーちゃんが柴咲コウさんというのは絶対に違うでしょう、美人過ぎて。映画は普通におもしろかったです。
 待合室でわたしは芥川賞受賞作掲載号の文芸春秋を読みました。でも、すぐにあちこち呼ばれて読みきれませんでした。

 基本の検査に加え、有料ですがオプションで乳がん検診も追加できたので、受診しました。やっぱり、小林麻央さんの影響があります。そんなこと言ってはいられないとわかりつつ、セルフチェックはどうにもこわくてできないです。エコー画像もこわくて目を背けてしまいます。前回受診時も所見有で不安だったのですが、よくよく診断名を調べてみたら悪性ではなく、水が溜まっている状態で特に治療の必要はないようです。

 検診が終わると、休憩スペースでおにぎりと飲み物をもらえます。朝ご飯を食べていないのでありがたい。コーヒーを飲みながら、ちょっとまったりしました。昔はアイスコーヒーが好きでしたが、この頃はホットコーヒーを飲むとホッとします。
 職場にも豆からドリップするコーヒーの自販機があり、お昼の休憩時に時々いただきます。節約のために麦茶を入れた水筒を持参しているのに毎月2000円の出費は大きいな、控えよう。と、省みるけれど、食後のコーヒーぐらいの楽しみが人生にあってもいいでしょう、とも思うのでした。

 せっかく街中に出たので、ぶらぶら歩きました。こけし屋さんを覗いたり、本屋さんで美術の本を買ったり。雑貨屋さんで、小鉢が三つ繋がったような食器も買いました。おもてなし用です。今必要というわけじゃないけれど、いつか使いたいな、という気持ちを大事にしたくなったのでした。
 
  こんなはずじゃなかった今を生きているただ生きているまた朝がくる

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希望休を申請したわけでもないのに先月末に2連休があったので、帰省してきました。お正月以来の帰省です。

 山形は盆地なので思いのほか暑かったです。実家に帰ったからといって特に何も特別なことするでもなく、犬の散歩をしたり、昼寝をしたり、家族のご飯を作ったりして過ごしました。なにより楽しいのは、祖母の話し相手です。祖母は90歳になるので、話がしっちゃかめっちゃかです。それは性格的なもので、認知症ではないとの診断でした。そんな祖母のとりとめのないおしゃべりに、適当に相づちを打つのがおもしろいのです。90歳の祖母と、あとどれくらい会えるのかなと、考えたりします。祖母は元気過ぎるくらい元気だけど。
 
 実家は農家をしているので、市場に野菜を出荷しています。けれども、バジルを持って行ったところ「売っても買う人がいない」と、引き取ってもらえなかったとのことでした。バジル、お年寄りだらけの田舎では確かに需要がないのかもしれません。
 出荷用にたくさん収穫してしまったとのことで、わたしが少し引き取りました。お肉に合わせてみたり、サラダに入れてみたり、乾燥バジルにしたりしました。バジル粉などは、ちょっと料理に彩りを与えるのに便利です。
  
 去年の冬に親戚の持ってきた縁談をわたしが会いもせずに断ったことを、この帰省中に母がちくちく何度も責めてきました。しんどい。わたしの意思ではなかったのに。よっぽどほんとうのことを言ってしまおうかと思いましたが、やっぱり言えませんでした。つくづくばかみたいなわたしだなあと思います。
 でも、こういう展開はとてもわたしらしいというか、やっぱりわたしの人生ってこんな感じ。
 と、納得してしまうようなところがわたしの心の問題のような気もして、むしろ自分でこういう運びに持って行ってしまった気もして、カウンセリングなどにちゃんと通うべきなのかもしれません。

 何度帰っても、実家は自分の帰る場所という気がしないのでした。だからといって、一人暮らしのアパートに帰るとホッとする、というわけでもありません。どうしようもないまま7月が始まって、とりあえず仕事に行きます。

  向かい合いそば啜りいる母親へきっと言わないことのいくつか


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この冬にビニールハウスを得て母はほうれん草を植えはじめたり

  農村に韓国人が嫁に来て隣りの町にスナックを開く

  平日の公休なれば鶏ムネ肉をバッグに入れたままで図書館

  カルピスを牛乳で割るぜいたくを時々はして元気でいます

  真夜中の君のメールは真夜中のわたしの心と暮らしを照らす

  次なんてないかもしれないなんてことあの三月に知ったはずなのに

  待っているような待たれているような春の日われは半跏思惟像

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最近ニュースで話題の豊田議員の暴言がものすごいですが、あんな感じの人も相手に仕事をしています。ああいうタイプの対応方法は、とりあえず気の済むまで聞いてあげて、受け止めてあげることだと教わりました。こちらはあくまで下から、下から。

 仕事で、受付として応対する分には「あ、変な人だ」と認識してしまえば、そういうモードに切り替えて心が無になるので、「バカ!」だの「クソババア!」だのヒステリックに罵倒されても割合平気です。一度だけ、モラハラタイプの人にネチネチやられた時は胃が痛くなり吐いてしまいましたが。それでも電話越しですし、自分の人生に関わることのない相手なので、なんとか水に流せてゆけます。

 これが対面で、上司からやられていた昔はほんとうにきつかったのでした。その頃のわたしは、当時の仕事を辞めたら後がないと本気で信じ込んでいて、今思えばなんであんなにあの仕事にしがみついてたんだろうって思うけれども、追い詰められて思考力も低下していたのでした。

 ニュースで聴けば笑ったり呆れたりできる罵声の数々も、自分の体験と重ね合わせると、胸がくるしくなります。世間からモンスターと笑われたり、電話口で淡々とあしらわれたりするような人でも、上司であれば部下は従順でなければいけません。部下が従順であるから、おかしな人はますます勘違いして増長するのでしょう。

 そろそろニュースも落ち着くでしょうけれど、「お前」とか「~だろ」とかいう言葉遣いがわたしは苦手なんだなあということもあらためて思いました。

  遺書にあの上司の名前を赤く書き死んでやろうと時に思いつ

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去年漬けた梅酒を最近になってやっと飲んでみました。もう全然出来上がっていたのですが、そもそもわたしに飲酒の習慣がないため、自分で作った梅酒の存在を忘れていたのです。

 今回の梅酒はきび砂糖とハチミツで漬けてみました。前に作った時は酸味が足りなかったので、今回はレモンの薄切りも一緒に漬け込んでみました。そしたらレモンの量が多かったのか、今度は少し酸っぱい出来上がりでした。なので、レモンはもう取り出すことにしました。
 梅の実の間から箸で取り出したレモンを食べてみると、これがすっかり酸味が抜けており、甘くて美味しい。意外な発見です。
 梅酒に漬けた梅の実はいつも持て余します。そんなに美味しいものでなく、ただ食べるにしても量が多いので飽きてしまいます。梅ケーキなど他のお菓子への再利用もがんばってみましたが、そんなに美味しく消費できるものでもありませんでした。前に作った梅酒の梅の実は、最終的に両親へあげた覚えがあります。
 梅の実も持て余しますが、ホワイトリカーも余っているのでした。お酒好きな人ならそのまま飲んだりいろいろできるのでしょうけれど。料理に入れてみたりしてますが、日本酒ほど調味料として使えている感じもなく。

 そもそも飲酒の習慣がないうえに、わたしは水やお湯や炭酸水で何倍にも割るので、飲み終えるのに何年もかかりそうです。でも、自分好みに作れたのでそれなりに満足です。飲み終えるまで時間がかかる分、熟成もされてゆくのでしょう。

 ふと、冷蔵庫の隅に市販のワンカップ梅酒を見つけました。わたしは体質的にお酒が飲めないということを理解してくれない酒飲みの人が、何年も前にいくつか置いていったものでした。お酒を人に飲ませたがる心理が、わたしはさっぱりわかりません。ビールや日本酒やワインに比べれば果実酒は美味しく感じる、とはいっても市販のお酒はどうにもきつくて、がんばって口にしても気分が悪くなるだけのわたしなど、つまらないと苦言を呈されりもしました。

 お酒が飲めないことは、長くわたしのコンプレックスでした。「飲めなくても飲み会の雰囲気が好き」とか「お酒飲めた方が人生楽しそう」とかずっと言っていました。
 けれども、わたしと同じように体質的にアルコールが受け付けない人が清々しいまでに「飲み会嫌い」と公言するのを聞いているうちに、わたしもお酒が嫌いだったのだと気づきました。お酒より、コーヒーやジュースの方がよっぽど好きです。お酒が飲みたくて飲めないのではなく、嫌いで飲みたくないのだとわかったら、とても気持ちが楽になりました。
  
  震災の前に誰かが置いてった梅酒ふた瓶まだ手を付けず

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仕事で、ちょっとした面談がありました。わたし個人の生産性が、今まで安定していたのが今月に入って落ちてきたので、体調不良や、たとえば家族のことなど何か困っていることはないですか?というものでした。面談といっても大げさなものではなく、上司も広く言えば同年代の人なので「お金のこととかー」なんて軽い感じです。それでも、心配してくれていることが伝わってきます。

「わたしの人生ってなんだったんだろうなって、空しくてたまらないんです。しあわせな頃も確かにあったのに、壊れたのは自分のせいなんじゃないかって自分を責めてしまいます。このまま一人で生きて一人で死んでゆくのかなって、帰り道に嗚咽することもあります。今、自宅の台所の蛍光灯がチカチカしていて、切れたら自分で交換するということがどうしようもなくつらいです」

 なんてことは言いません。「何もないです。大丈夫です。がんばります☆」とニコニコ笑って答えるのみです。
 人生を悲観する気持ちがあっても、それは仕事に影響するようなものではありません。むしろ、仕事のおかげで気がまぎれることもあるし、社会に繋がっていることで得られる安心感もあります。なんにしても、余計なことをわざわざ言って変な空気にしたくないのです。

 先日の歌会で、初めてお会いした方から、わたしの歌に対して「せつない歌が多いね」と言われました。そこへ先輩歌人の方がすかさず「根は明るいんですよ」と返しました。そうして「そうかー、歌はせつないけど、根は明るいのかー」と納得されていました。

 根が、明るいかなあ、わたしは。

  人生に「もしも」はなくて黒ほおずきアパート跡より根ごと引き抜く

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もうすぐ甥っ子の誕生日なので伯母ちゃんのわたしは何か買ってあげたくてうずうずしています。
 生まれた時は、ピアノ絵本を贈りました。対象年齢が0才~5才とのことだったので、長く遊んでもらえるかなあと思って。去年は、手ぬぐいの絵本を贈りました。父親に似てぶくぶく太ってゆくだろうと思い、「桃太郎」ではなく「金太郎」を。他にも遊びに行った際や荷物を送るついでにに民芸品のおもちゃやなんやかんやをあげました。「おねーちゃんのくれた絵本気に入ってるよ」なんて妹から写真が届くと、そりゃあもうかわいくて満足するのです。

 先日、友人が子供が3人欲しいという話の流れで、「いいお母さんになれそう」と言われました。社交辞令かもしれないけれど、きっと褒め言葉なので「ありがとう~」などと返したのですが、そもそも、お母さんになりたいという願望がわたしは薄いので、なんともこそばゆい気持ちになりました。
 お母さんになりたい願望が薄いといっても、子供嫌いというわけではありません。子育てに追われずにまだまだ遊びたい!とかいうわけでもありません。ただ、子供はいつまでも子供ではないということ、大人になってゆくことを思えば、一人の人間をこの世に生み出すという大いなる責任に圧倒されてすくんでしまうのです。
 だからこそ、甥っ子などは単純に可愛がれるんだろうな、と思います。グレても、ニートになっても、わたしの躾や教育のせいじゃないもの。

 甥っ子への贈りものを考えながら、ふと、気づきました。わたしは前の恋人に、どこかへ行く度におみやげなどを買っていました。別に貢いでいたというわけでなく、よくご飯をごちそうしてもらったり、車を出してもらったりしていたので、お返しでした。一人暮らしの人だったので、ご飯の支度が楽になるようなものばかりを選んでいました。名産物のおかず、スープ、レトルトカレー、焼きそば、うどん、…あれ?これって、まるで「お母さん」のセンスでは…。わたしにも、実母からこのような宅配便が届くし、彼がおかずをもらったタッパーを地元へ返しに行くのに付き合ったこともあります。あああ、わたしがタッパーにおかずを作って自宅の帰り際に持たせたこともありました。
 よく考えたら、普通の女性は何かファッションアイテムとかオシャレなものをプレゼントしたりするのですよね。煮物だのなんだの、変にお母さんになっちゃってたんでしょうね、わたし。

  女性薬「命の母」のほの甘く泣きたいような子宮の色よ

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「家族はつらいよ2」を見てきました。やっぱり、山田洋次監督の喜劇は良いなあと思いました。安定感というか、安心感というか。出てくる人達がそれぞれ人間臭くて、特にお父さんとか見てる分にはおもしろいけど身近にいたら絶対に嫌!だけど絶対にこういうめんどくさい人はいるから笑えるのでしょう。笑えて泣けて、良い映画でした。3もあればいいなあ。
 ちょっと気になるのは、老夫婦の部屋が2階にあること。「男はつらいよ」の寅さんの部屋が2階にあったからでしょうか。階段を使った演出も効いていると思うのですが、老夫婦の足腰が心配になってしまうのでした。

 今作は無縁社会がテーマで、コミカルに描かれているけれど、考えさせられるものがありました。出掛ける前に、元アイドル女性の35歳での孤独死のニュースを知って、ショックを受けていたところでした。わたしは生まれ育ちからしてしみったれてますが、あんなにきれいで、華やかな世界にいた人でも人生どうなるかわからないのですね。どうにも他人事ではないのでした。
 あとは主演の橋爪さんのリアル家族はつらいよの状態が、なんとも。


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夜の街の昼の時間は夜の人が眠れる時間 鈴を鳴らすよ

  夜の街の雑居ビルにて白衣なる人はわたしの一回り上

  家族にもお友達にも恋人にも話せぬことの風船の色

  手に取ったお菓子の数やコーヒーの濃さも診断材料めいて

  とろとろと過ぎゆく午後の国分町に心の内を吐かされている

  好きだった理由を言えば言うほどに 愛は理由がないという窓

  ミルク二つ砂糖二つのコーヒーが冷えるまで泣く猫に見られる

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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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