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川が好き。山も好き。
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けたたましいJアラートで目を覚ましました。ミサイル発射。ミサイル発射。北朝鮮からミサイルが発射された模様です。頑丈な建物や地下に避難して下さい。テレビを点けてみると、わたしの住んでいる県も避難を促す区域として大きく注意されています。戦時中ってこんな感じなのかなあ、なんてぼんやりしながら、まぶたを閉じました。頑丈な建物や地下に避難して下さいなんて言われても、わたしはどこへも行けません。昨晩もなかなか寝付けなかったせいで、どうしようもなく眠かったのです。そうして10分ぐらいとろとろしたところで再びアラートが鳴ったのでした。

 昨日は、怖い話を聞きました。仕事の休憩中、同僚さんが雑談で「嫌いな友達の家に遊びに行った時に~」って何気なく言ったのでした。それとなく流したけれど、「嫌いな友達」ってすごく怖い言葉だと思いました。嫌いなのに友達なのでしょうか?友達だったけど何かあって嫌いになって今は友達ではないのではなく、嫌いなままで友達付き合いを続けているのでしょうか? 自分のことを嫌っている人を仲が良いと思って自宅に招いていた、なんて怖過ぎます。嫌いなら自宅に遊びになんて来てくれなくていいのに。仕事や親類じゃないんだから無理に関係を続けてくれなくていいのに。

 一昨日は仕事が休みでした。叔母と、実家の母が荷物を送ってくれるというので、午前中を指定してもらいました。けれども、実際に届いたのは午後2時近くです。配達員さんは「遅くなってすみません」と何度も謝ってくれましたが、ネット通販の普及で宅配業者が大変だということはニュースで聞いていたので、謝られる度に「いいえ、お疲れさまです」と労いました。中には怒る人もいたんだろうな、と想像がつきました。というのも、わたしは今の仕事で訪問の受付や手配をしており、到着を待ちきれない人から「まだ来ないの!?」という問い合わせの対応をしたことがあるからなのでした、配達ではないけれど。叔母からは梨、実家からは米と野菜が届きました。

 家を出る前はミサイルの臨時ニュースでいっぱいだったテレビも、帰宅してみれば通常放送に戻っていました。とりあえずは安心です。夕飯に、実家から届いたゴーヤで作ったゴーヤチャンプルーを食べました。ひき肉がなかったので、代わりにツナを使いました。塩もみしても、やっぱりゴーヤは苦いのでした。

  酔えもせず吐いてしまいぬああわたしどこへも逃げる場所がなくって

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8月19日、20日は塔全国大会で福島県郡山市へ行ってきました。去年の8月20日、21日も福島県へ行ったのでした。去年と同じ道なもので道中いろいろえぐられるのでした、国見SAあたりの景色とか。あの日から、ずい分遠くへ来ちゃったものです。

 過去を振り返ってばかりはいられません!初めての全国大会です。わたしは歌合せに参加しました。題詠苦手、歌評苦手、人前でしゃべるの苦手なわたしが歌合せに向いてるとはとても思えないのですが、成り行きで。あえなく一回戦敗退しましたが、良い経験でした。懇親会後に歌合せの勉強会へも赴きましたが、白熱していて圧倒されました。わたしがマイペース過ぎるのかもしれないです。
 他にも玄侑宗久さんの講演や歌会、塔ができるまでの映像の上映など、おもしろかったです。
 この2日間でたくさんの方とお会いできてうれしかったです。この先も、できる限り参加したいな、と思いました。もう一週間経ったなんて、なんだかあっという間です。

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「本当は物分かりのいい女じゃないの。ただ、耐えただけ。 」
 先々週ぐらいまで放映されていたNHKドラマ「ブランケットキャッツ」で、主人公・秀亮のお見合い相手で離婚歴のあるたえ子さんが、相手の借金や浮気で結婚に失敗しても相手を責めずに受け入れた過去を振り返り、微笑みながら自嘲した台詞が、ずっと印象に残っています。時々、唱えたくなるくらいに。

 仙台では26日連続で雨降り。おひさまの光が恋しいです。夕焼けとかも。暑いのは苦手ですが、さすがに今年の夏は寒いです。セロトニン不足になるし。

 一人暮らしが寂しいしんどいと言い続けているわたしですが、最近、一緒に住まないか提案されました。
「絶対嫌!」と、考える間もなく即答してしまった自分に、自分でびっくりしました。
 相手は、今まで一度も一人暮らしをしたことがない年下の女の子です。婚活中とのことですが、家事の一切をお母様任せにしているためか、言葉の節々から生活力の乏しさが伺えます。もちろん、家事は女性がやるべき、なんていうのは時代遅れですが、彼女は「働きたくない」と専業主婦希望なので家事をしないわけにはいかないでしょう。お母さんが部屋を掃除してくれないとゴミ屋敷になるとか、お母さんに「ご飯まだ!?」とキレているようでは、婚活が成功したとしてもその先は大丈夫なのかな、と心配になるのでした。篠田節子『女たちのジハード』で、エリート男性をでき婚に持ち込むものの、あまりの家事能力のなさに離婚されてしまう紀子を思い出します。彼女自身が以前一人暮らしについて相談してきたことがあったので、一度してみてはどうか言ってみたところ、できないとのことでした。
 二人で暮らすことについて、あまりにわたしが強く拒んだので「そんなに強く言わなくても…」と落ち込まれてしまいました。すぐさま「二人暮らしだと彼氏できても部屋に呼べないよ~」と茶化しましたが、自分でも、冷たかったと思います。けれども、やっぱり『女たちのジハード』の紀子と康子の同居生活が浮かんでしまうのでした。康子による「自分のことも自分でできない人に結婚する資格があるのだろうか」というようなモノローグによって、その章は閉じられます。きっと、彼女のような人を「自分がついていてあげなくちゃ!」と守ってあげたくなる人もいるのだろうけれど。そのような人を新たに見つけて、紀子も康子の家を出ていくのだけれど。

 いつもニコニコしておどけたことばかり言っている年上の同僚さんが、他愛ない会話の中にさらっと、まるで何でもないことのようにつらいことを混ぜてくることがあるので、どきりとします。そこで「えっ?」と立ち止まって話を広げることは望んでいないと思うので、わたしもさらっと流すのだけど。 
 いろいろなものを抱えている人ほど、かなしいくらい明るくて優しいように思います。そういう人は何かあっても、元気そうにしているから大丈夫なんだな、なんて表面で判断されて、ほんとうは大丈夫じゃない時まで放っておかれてしまうこともあるのではないでしょうか。一人でいる時に泣いているような気がして、無理している時もあるような気がして、気がかりです。
 でも、わたしも見習って笑っていたいと思うのでした。

  泣きながら渡ったかつての通勤の歩道橋から見えた夕焼け

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古い家に暮らしていた頃のある時期、居間で曾祖母がいくつか布を買って縫物をしていました。何を作っているか聞いたところ、一つはわたしの浴衣だと言っていました。わたしはとてもうれしくて、出来上がるのを楽しみにしていました。
 それから出来上がったとの知らせもないまま家の建て替えがあったり曾祖母が亡くなったりしてほとんど忘れていました。
 実家の小屋の箪笥から見たことのある柄の浴衣が出て来た時、これはわたしの浴衣なのだと、譲り受けてきました。曾祖母が浴衣を縫っていたのはわたしが小学生の頃なので、10年以上も後のことです。そうして自分のクローゼットに仕舞ってからも、着る機会がないまま数年が経ちました。

 今年の七夕祭りに、浴衣を着て行こうと思い立ちました。店頭に並ぶ浴衣はどれもとてもかわいくて、欲しい柄がいっぱいです。けれども、曾祖母の浴衣を着ることにしました。
 初めて着る曾祖母の手縫いの浴衣は、店頭で手に取ったどんなすてきな浴衣より、やわらかい感じがしました。白地にほんのり赤い花の柄は少し地味ですが、わたしに似合うような気がします。もっと早く着ていればよかったな。曾祖母に浴衣姿を見てもらいたかったな。来年の夏も再来年の夏もその先の夏も、きっと曾祖母の浴衣を着ようと思いました。

 七夕祭りの郵便局の出店で、七夕の切手を買いました。ポストカードや、鈴がオマケで付いてきました。

  町に野に働き者の母なればわたしは曾祖母に育てられたり


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妹が甥っ子を連れて一週間ほど帰省しているというので、わたしも一泊の帰省をしてきました。90歳の祖母とあと何度会えるかわからないけれど、千葉に住む2歳の甥っ子もいつまで田舎に来てくれるでしょう。まして祖母と甥っ子が居合わせる場面なんて、と思えば、えいっと有休も申請するのでした。

 ここ数年はバスで帰っていましたが、久しぶりに電車を乗り継いで、左沢線に乗りました。2両ばかりの電車は田んぼの中を走ってゆきます。窓に広がるみどりを見遣りながら、「わたし、ここで一人では暮らせないな」と思いました。現実的に、わたしには車もなくて、この辺りには仕事もなくて。
 地元の町には電車が通ってないので隣の市で降ります。地元の町には「路線バス」と書かれたワゴン車が走っていました。でも、ワゴン車でも走るようになっただけ交通が発達してきています。

 一年ぶりに会う甥っ子は、なにかごちゃごちゃ喋るようになっていました。一年前みたいに人見知りしてびゃーっと泣くことはなかったけれど、かといって誰かに懐くこともなく、なんだかえらく食い意地の張ったマイペースな子に。また次に会う時は違った子になっているでしょう。
 夏休みの時期なので、近所の同世代の人達も子供を連れて帰ってきた人がいたみたいです。年寄りばかりの集落が華やいでいいですね。

 犬の散歩をして、スイカを食べて、ご飯を作って、浴衣の帯を貸してもらって結び方を習って、出荷するニンニクを200gずつ詰めて。それにしてもつくづくわたしはご飯を作る手際が、自分でいうのもあれですが、ほんとうに手際が良くて、あるもので6人分の主菜副菜汁物並行して作って作り終えると同時に調理に使った洗い物片付けも終わってる手際の良さですよ。そして祖母の分は介護食に。手際が良すぎてかなしいくらいです。
 
 翌日のお昼は一寸亭本店で肉中華を食べてきました。冷たい肉そばが人気の店だけれど、わたしは中華麺の肉中華一択。平日の開店当初に赴いたのに、他県のナンバーの車も集まって来てすぐに行列です。昔からあるのになんだかここ数年で急に有名になった印象ですが、ほんとうにここの汁がおいしい。ハーフカツ丼も頼みましたが、ご飯は半分くらいは甥っ子に食べられました。

  そば嫌いのわたしも一寸亭本店の冷たい肉そばの汁は好きなり


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塔7月号の第7回塔新人賞にて、わたしの連作「わたしの町を君の町を」を候補作として30首掲載していただきました。選考座談会では丁寧に寄り添って読んでくださって、しみじみとありがたいです。

 短歌を詠む人には、当たり前のように良い大学を出ていたり、立派な仕事をしていたり、恵まれている人が多いと感じていました。教育への意識の薄い家系で、作業着と割烹着ばかりの環境で生まれ育ったわたしは、短歌の場ではいつもどこか気後れしています。そんなわたしの優等生ではない現実を詠みたいと、ずっと思っていました。
 選考座談会では、都会で働ている人が東北の仙台へ帰省する流れと読まれていたようですが、実は仙台で働いている人が山形へ帰省するという、もっと狭い世界の話でした。
 「君」が恋人か、恋人というほどの関係ではなく好意を寄せているぐらいでは、と読みが割れていました。以前に他の方からも、わたしの相聞歌は乾いていると評されたことがありました。短歌と関係のないことですが、恋人と出掛けた時に友人と遭遇し、既に交際一年ほどだったにもかかわらず初デートだと思われたのも、通じている話なのだと思います。初々しく見えたそうで一年も馴染んでいるように見えなかったようで、要するにわたしは気安い関係が築けないのでしょうね。わたし自身の性質の問題点が歌ににじみ出るのでした。
 恋人なのに一か月も会わないのかな、と松村さんが疑問を呈していましたが、休みの合う日にわたしが歌会に行ったから会えなくなった、というのが実情でした。わたしが優先順位を違えていれば、人生も歌も変わっていたのかもしれません。

 ちょうど去年の今頃に詠んだ歌なので、塔が届いてしばらくはいろいろ思い出して、わーっと泣いたりもしました。いつも大切なものを間違えてしまうわたしだけれど、これでよかったのだと思える日がいつか来ますように。
 あとひと月もすれば、夏も終わります。

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日々、席の変わる仕事です。先日、その日の隣席だった年上の同僚さんが、何かの話の流れで「私は年をとってもずっと働くって決まったようなもんだから」と悲しく笑っていました。「まだわかんないですよ!これから石油を掘り当てるかも」と笑って否定して、その後はお金持ちのおじいちゃんと結婚するだの後妻業だのくだらない冗談合戦になりました。
 笑ってはぐらかしながら、わたしの人生も似たようなものだろうなと、ほんとうはずっと思っていました。

 昨日は職場の人達と数人で河原で花火をしてきました。特に参加するつもりもなく帰ろうとしていたところ、同僚さんに「行きましょうよ!」と引き留められました。彼女はいつも行動的で、元気だな~と思っていたのですが、実は元気じゃないのだそうです。「家に帰るとしんしんと寂しくなるんです!」と元気に言うので、混ざってみることにしました。
 手持ち花火なんてもう何年ぶりでしょう。せせらぎの音も心地よくて、夏っぽいことしたーという感じです。
 一方で、妙に空しい。集まったのは、たくさんの人がいる中で10人ほど。寂しさを持て余した人達がなんとかその寂しさを埋めようと集まったような、もの悲しさを感じるのでした。でも、わたしの勝手な思い過ごしで、みんな普通に楽しんでいたのかもしれないです。
 わたしともう一人は花火が終われば帰宅しましたが、他の人達は飲み屋さんに行ったようです。夜遊びを好まないわたしは23時でさえ遅くなっちゃったな、と思うのですが、みなさん元気ですね。元気なんでしょうか。ほんとうは、元気じゃないんじゃないでしょうか。

  新しいアドレス帳に移さない去年花火を共に見た人

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六年ののちに初めて訪えば復興商店街のない町

  ここまでを津波が来たという線が新しい自動販売機の上に

  しあわせな友のしあわせな悩みなど聞きつつ海鮮丼がおいしい

  春の海に陽は反射して少しだけふしあわせなわたしをも照らす

  いつか水に沈んだ道を歩きゆくガールズトークなんてしながら

  石巻こけしと帰る待つ人のない仙台の安アパートへ

***

 塔短歌会賞・塔新人賞発表号でした。わたしの応募作「わたしの町を君の町を」は塔新人賞候補作でした。うれしいです!

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「彼女の人生は間違いじゃない」を見てきました。東日本大震災から5年、いわき市の仮設住宅に父親と暮らし、市役所に勤める主人公のみゆきは、週末になると高速バスで上京しデリヘルのアルバイトをしています。
 震災後を生きる人の話、そして監督が福島出身ということで、ああこれは見ておこうと思いました。

 いわき市に、わたしは去年行ったのでした。スナックの多い町、といった印象でした。でも、主人公のみゆきは地元でスナック勤めをするわけでなく、東京でデリヘルをするわけで。
 震災といっても福島と宮城では違うのでしょうけれど、震災に遭ったわたしにも、みゆきの心理は難解です。被災地や震災後の現実からの一時的な逃避もあるでしょう。身近な人が亡くなっており、また彼女は市役所勤務で一般の被災者よりもいろんなことを見ていると思うので、生き残ってしまったという罪悪感からの自傷であるような気もします。それくらい、男性の剥き出しの欲が気持ち悪い。「生きている感じするよ」っていう従業員のセリフもあるけれど、そういう人もいるのでしょうか。はっきりとした理由は語られないけれど、もしかしたらはっきりした理由なんてそもそもないのかもしれません。
 みゆき以外に、父、同僚、同じ仮設住宅に暮らす人のエピソードも描かれます。こちらはわかりやすかったです。これでもか、というくらいです。ちょっともりだくさんですが、淡々としながらも、くるしい。壺を売ってくる人とか、わたしの知り合いも変な宗教にハマって勧誘してきたしなあ。

 なんだかしんどい映画でした。しんどくないはずがないのだけど。新幹線じゃなくて高速バスなのが、やっぱりよいのだと思いました。

  公式サイト→http://gaga.ne.jp/kanojo/

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経過観察中だった検査から半年経ったので、再検査に行ってきました。採血とエコーでした。結果がわかるまで一時間ほど待つということだったので、待合室に置いてある本を読みました。前回の受診時に3頁くらい読んでいた、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の続きです。

 村上春樹は数年前に当時の同僚さんが『ノルウェイの森』を貸してくれて読んだ程度です。わたしとは別世界のお話、わたしとは相容れない登場人物達といった印象で、それ以降は遠のいていました。
 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、主人公の多崎つくるがある日突然、理由も告げられず友人達に絶縁されたという過去を探ってゆく、という話です。
 理由も告げずに去って行った元恋人が、ハルキストでした。思えばいつかリストのCDを聴いた、あれは作中に出てくる『巡礼の年』だったかもしれません。「愛の夢」も「ラ・カンパネラ」も、一向に流れてこなかったのでした。
 村上春樹の小説はやっぱり別の世界のお話といった感じで、多崎つくるとわたしはやっぱり相容れないのだけれど、多崎つくるが友人達と向き合ってゆくことと、わたしが村上春樹を読むということは、どこか似たことのように思えました。読み進めているうちに、自分を責めていた気持ちが少しほどけてゆくような気がしました。自分の知らされないところで、思いもよらない様々なな事情が絡み合っていることもある、きっとそれは小説の中だけではないでしょう。

 結局、待ち時間内では読みきれず、帰りに図書館に寄って続きを読みました。それでも、図書館の閉館時間がきてしまって読みきれず、途中のまま本棚に戻しました。続きは、またそのうち読みに来ることにします。

 検査結果は前回と特に変わりなく、一年後にまた診てみましょうということになりました。一年後のわたしは、どんなふうに暮らしているでしょうか。楽しく過ごせているといいな。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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