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川が好き。山も好き。
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「南瓜とマヨネーズ」を観てきました。魚喃キリコさんの原作漫画がとても好きで、今読み返したら私の持っている復刻版のコミックスが初版が2004年でした。なんだかそんなに昔の漫画だったかなあというような、不思議な感じです。
 主人公・ツチダは昔好きだった人・ハギオを忘れられないまま、現在の恋人・せいちゃんと同棲をしています。せいちゃんはミュージシャン志望の無職で生活力がなく、ツチダはこっそり水商売を始めたりして、そんな折、ハギオに再会して、というような、なんだかこうやってあらすじを書いてみるとなんだかわたしの文章力のせいか陳腐なストーリーな気がしてしまうのだけど、コマ割りとかモノローグとかなんていうか空気感がとてもよくて。初めて読んだ時にわたしはラストでぼろ泣きしたのでした、その頃は恋とか愛とかいうことが理解できなくて、ちっとも共感なんてできなかったのに。職場の休憩室だったのに。

 さて映画の方は、ツチダが臼田あさみさん、せいちゃんは太賀さん、ハギオがオダギリジョーさん。何故か原作のアパレル勤務からライブハウス勤務になった臼田あさみさんがキュート過ぎるので、軽い女性に見えてしまうような感じもしました。せいちゃんは原作では優しかったのが、髭も生えていてちょっと今風でチャラい感じ。でもバンドマンを実写ってなるとこういう感じなのかなあ。
 ラストのせいちゃんが作った歌が、ちょっとイメージと違っていて、うーん…。あんまりネタバレになるとあれですが、原作ではベタな方向に持っていかずにハズしたところがとても良かったんです、そのセンスにほろっとくる。別に映画の曲自体が悪いわけじゃなくて、でも原作で言っているような歌詞はこれじゃないでしょうという感じ。でもこれは原作に対する自分の思い入れが強すぎるせいなのかも。

 魚喃キリコさんはわたしが20代半ばだった頃、「土曜の夜はケータイ短歌」というラジオ番組のパーソナリティーをしていました。わたしは魚喃さんのファンだったので投稿を始め、初投稿で魚喃さんと東直子さんに採っていただけて、とても感激したのを覚えています。結社とか歌壇とか何にも知らず、ただノートに書き留めていた頃でした。こうして短歌の投稿初期にうれしい評をいただいた経験があったから、ずっと続いているのかもしれないです。
 その時の歌は一読すると相聞のようですが、26歳当時のわたしはAセクシャル全開なので、相聞ではないです。投稿テーマは<音楽>でした。
 
  鍵盤を奏でる時の指先と心でわたしにさわってほしい

  公式サイト→http://kabomayo.com/

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昨日は仕事がお休みでした。ちょうど映画館の割引デーだったので、早起きして映画「南瓜とマヨネーズ」を観てきました。魚喃キリコさんの原作漫画が好きで、実写映画化という話を聞いてから楽しみにしていました。感想は次の機会に書くとして。平日の午前中とはいえ、割引の日なのでそこそこ人はいました。早い時間に始まったので、映画が終わっても11時です。

 せっかく街に出たので、少し見て回りましょう。この頃はひざ下丈のスカートを探しています。もともとそんなに服が好きとかではないのですが、さすがにもう手持ちのひざ小僧の見えるスカートが痛々しくなってきた気がするのです。ひざ下丈でも、ガウチョパンツは苦手です、トイレの時に大変だから。結局、セールでお安くなっていたワンピースと、セールでお安くなっていたニットを買いました。おしゃれのためではなく、今着ている服がおかしいので必要に迫られた買い物といった感じです。なんだかもう何を着たらいいのかわからないです。ワンピース、便利ですね。

 お昼はイタリアンで一人ランチをしました。友人と以前行った時にクーポン券をもらっていて、その期限日だったのでした。女性の一人客も割といて、特に気後れすることもなく過ごしました。なまじ料理ができるため「自分で作った方が安いし」と外で食べることは滅多になかったけれど、時々はこういうのもいいなと思うようになってきました。
 それほど混雑してもいなかったので、食後にゆっくりコーヒーを頂きつつ、ノートを広げます。隣の若い女性一人客さんはスマホに夢中で、カルボナーラが運ばれても手を付けずに必死で指をすべらせていました。あの小さな画面で、どんな世界と繋がっているのでしょうね。スマホを持たないわたしは、いくつか短歌を詠みつつ書き留めていくということをしました。

 自宅に帰ると、塔11月号が届いていました。8首も採っていただいていてありがたいですが、なんだか病んでるような歌ばかり。思えばあの頃、心がとても疲れていたのでした。今もほんとうは疲れているような気がします。洗濯機を回して、塔をぱらぱらながめているうちに、眠ってしまいました。
 冷蔵庫に肉類や卵がなくなっていたので午後に買いに行く予定だったのに、起きたらすっかり夜でした。しょうがないのでキャベツを刻みました。

 たとえば乳幼児の子育て中で自分の時間が全くないとか、モラハラ夫に支配されていて何をするにも報告や許可が必須とかいうような息苦しい境遇ならば、昨日みたいな一日がとてもしあわせなんじゃないかと思うのです。
 ただ、これがいつものことだとしたら、これから先も何十年も続くのだとしたら、それはそれでとても生きぐるしい。自分の暮らしに自分しかいないような感覚。誰のためでもないわたし。
 でも、昨日みたいな一日を「あの頃は自由で良かったなあ」って思い出す日も来るのかもしれないな。両親の介護もまだ始まっていないし、決して裕福ではないけれどわたしには借金もありません。

 次の日は、欠勤者の穴埋めで、早出残業でした。

  待ってとも待たないでとも言われずに過ぎてゆく秋コンビニへ寄る

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仙台メディアテークにて「夏目漱石~その魅力と周辺の人々」の展示を観てきました。開催期間が2017年11月3日(金)から2017年11月14日(火)までととても短いですが、これで入場料無料っていうのは良心的。生原稿や書簡なども見られて良かったです。とりわけお嬢様に宛てた鶏の絵ハガキとか、土井晩翠宛ての自画像付きハガキが微笑ましい。ポスターやチラシがイケメン風な漫画絵なのが個人的には好ましくないのですが、集客効果を狙ってのものなのでしょうか…。夏目漱石を最近読み耽っていたので、とてもタイムリーでした。

 夏目漱石はこれまで『坊っちゃん』(読書感想文もかきました)、『三四郎』、教科書で『こころ』の一部を読んでいたのですが、ここ数月で『それから』『門』『道草』『彼岸過迄』を読んで、今は『明暗』を読んでいます。『それから』は特に続きが気になって夢中で読み進めたし、自伝的な『道草』も興味深かったです。主人公の健三と細君の距離感がなんとも。
 この数月の間でNHKで「夏目漱石の妻」が再放送されたのもとてもうれしかったのでした。生誕150周年ですしね。リアルタイムでも見ていましたが、より楽しめました。長谷川博己さん、和服が似合いますね!
 漱石漬けだったわけではなく、間に川端康成『愛する人たち』を挟んだりもしました。これも読みやすくて良かったけれど、時代のせいもあってか少し男性目線が強いような気もしました。

 吉田修一『横道世之介』がなんとなく『三四郎』っぽいなと思って(大学のために上京という出だしがそう思わせるのでしょう)なんとなく再読し、続編と言われている『それから』を読んでみたくなったのがきっかけでした。
 あともう一つ、今さら未練も全くないですが元々恋人が夏目漱石を全部読んだという人でした。そして、元恋人とも夏目漱石の話で意気投合したのが始まりです。これは偏り過ぎでしょう。なぜ似たようなことが続くのか、夏目漱石を読むことで何かが見えてくるのではないか、と思いました。自己分析のような心持ちです。けれども、そんな当初の目論見はどうでもよくなっていて、今はただ単純におもしろいなあと読んでいます。そりゃあ夏目漱石は正岡子規と親友で、わたしはアララギ系譜の塔短歌会所属だから、おもしろく思わないはずがないのでした。ああ、でも漱石も解説を寄せている長塚節の『土』は、なんというか。

 メディアテークでは今、「細倉を記録した寺崎英子のまなざし展」という写真展もやっていて、これもとても良かったです。宮城県北西部の鉱山閉鎖に伴う人々の暮らしの記録。こういう何気ない写真はほんとうに胸に届くものがあります。美しい光景とかそういうことではなくて、ここでこうして日常があったという記録性。

 久しぶりに通った定禅寺通りはきれいに紅葉していて、落ち葉の中を歩きました。これがあとひと月後には裸木になり、イルミネーションで彩られるのだなあと思えば、なんだかあっというまです。


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「月と雷」を観てきました。角田光代さんの原作が好きで。主人公の康子の、30代独身で田舎のスーパーのレジ打ちパート勤務というさえない境遇に近しさを覚えるのかもしれません。尤も、それまでの人生は結構歪んでいるのだけれど。ああ、文庫本の「まっとうな家族が作れるのだろうか そんなものを知らずに育った私たちに」という帯文にも惹かれたのだったと思います。
 
 映画を観る前に再読をしました。幼い康子の家に転がり込んでくる親子・直子と智。わたしは直子みたいな女の人にどうしようもない嫌悪感があります。一日中酒を飲み、タバコ、パチンコ、ゴミ屋敷。男の人にもだらしがなく次から次へと渡り歩く。不倫して何度も妊娠して堕胎する。ことさら不快に思えるのは、わたしがそうしたことを自分に禁じているからという、心理学でいう投影の法則なのかもしれません。
 直子のようなクズ系の女性は身近にはいませんが、妙によく聞くような気がします。ニュースで知る犯罪者は大概がこんな感じじゃないでしょうか。というか、わたしは読んでいて石井光太『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』というルポタージュ本を思い出したのでした。「愛していたのに殺した」という親達。そしてその親を育てた親たちへ目を向けてみると見えてくる悲惨な成育歴、劣悪な環境、歪みの連鎖にどんよりとした気分になります。要するに、極めて常識的でない人達の下に生まれた人達は、まともに育てられていないので何かが欠けていて、大人になって自分が子を持った時にどうしたらいいかわからないのです、愛していても。

 映画の方は、康子は初音映莉子さん、小説の屈折したイメージより正統派な美人さんでした。智は高良健吾さん、これはとてもわかる。そして直子がお上品なイメージの草刈民代さんというのは意外なキャスティングでした。
 原作で好きな台詞が映画には出てこなかったのと、原作とちょっとタイミングの違ったラストが少し不満かなあ。でも映画らしい余韻なのかも、とも思いました。
 それにしても、公式サイトの角田さんのコメント「書いていて大嫌いだった泰子も智も直子も」って! わかるけれども!

  公式サイト→http://tsukitokaminari.com/

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「中学生の時、ブラジャーを買ってもらえなかった。」

 点けっぱなしのテレビからなんとなく始まったドラマの冒頭でのモノローグの一言に、泣くかと思いました。今でこそ、成長期に必要な下着を買ってもらえないのは毒母あるあるとして知れ渡っています。とはいえ、人気の女優さんがこんな普通の時間帯のドラマでよくこうしたリアルな台詞を言ってくれたなあと、妙に感激しました。あの頃、ほんとうにくるしかった、白くて薄い体操服。

 専門書を読んだり、様々なドキュメンタリーを見たりすると、世の中には酷い親がたくさんいます。そうした虐待やネグレクトなどに比べたら、クラスのみんなのお母さんと同じことをしてくれなかったことぐらい、たいしたことないように思えてきます。そうやって、わたしはしあわせな方なんだ、恵まれている方なんだ、と言い聞かせることでどこか救われるような気もするし、なにかが麻痺してゆくような気もします。

「明日の約束」、第2話も見ました。母親が娘を言葉で傷つける、という場面が、とてもつらい。言葉は、呪いのように人生に作用してゆきます。
 自分が心の底から満たされて安心しない限り、ふり返り続けるんだろうなって思います。前を向いて生きていたいけれども。

  帰省するなら冬がいい 背に浮かぶ線の隠れる上着を羽織る

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今の仕事に勤めて一年が経ちました。当初は3月までの期間限定の仕事と聞いていたのですが、業務が延長になり、その業務が終了しても別な業務が始まり、という感じで今に至ります。いつまで仕事が続くのかはわかりませんが、普通に働いてお給料がもらえて、生活ができるのはありがたいことです。今よりつらい働き方だった頃や、働けるような状態ではなくなって休職していた頃のことなどを忘れないようにしなければ、と思います。
 
 同期には妊婦さんが3人いました。研修の始まった頃は、こんなにお腹が大きい状態で新しい仕事を始める人生もあるのか、と心配になったりしたものです。2人はもちろん途中で辞めてゆきましたが、今頃は赤ちゃんが生まれているのだろうなあ。もう一人は、妊婦さんだと思ったのはわたしの勘違いで、今も一緒に働いています。余計なこと言わないでよかった…。

 職場の前には銀杏並木があり、この時期は落ちた銀杏がたくさん踏みつぶされていて、独特な匂いがします。でも、この匂い、わたしは結構好きです。
 
  「明日 勇気」ハローワークの求職の申込書の記入例の名

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ベランダの鉢に紅花の種を蒔いたことは以前書きましたが、7月頃に花が19咲きました。紅花染めをしたいな、と思っていたのですが、量も少なめだったので、結局は食べてしまいました。花を摘んで、ご飯を炊く時に炊飯ジャーに入れました。サフランライスのように、ご飯が黄色に染まって華やぎました。

 紅花の咲き終わった鉢に、なにかが生えているのに気づきました。最初は雑草だと思っていましたが、それにしてはなんだか存在感があります。しばらくそのままにしたら、黄色い花が咲きました。
 その黄色の花は知っています。去年その鉢で育てていたミニトマトです。傍に寄れば、トマトの青臭い匂いがします。去年は苗を買って植えましたが、今年は植えていません。苗は植えていませんでしたが、時期の終わって赤くならないままに茶色く変色した実を、肥料にでもなるかなと思い、土に混ぜていたのでした。あの実の中の種が発芽したのでしょう。まさか芽が出るとは思っていなかったのでびっくりです。
 しばらくしてミニトマトはいくつか実がなり、2つほどは赤く色づきました。せっかくなので収穫して食べてみました。思いがけず実ったミニトマトは、思いがけずおいしかったです。
 
 しあわせって、こういうものなんじゃないかなと思いました。それと知らずに自分で種を蒔いていて、いつのまにか育っていて、忘れた頃に花が咲いて、熟した実を自分の口に頬張れるような。人生にも、そのようなことがあるんじゃないかなと思いました。そんなふうに、自分の暮らしにもしあわせの種を蒔いていけたらいいなと思いました。

 先日の日曜日は良い天気だったので、ベランダに布団を干して、もう時期の終わった紅花の花の中から、種を取り出しました。この種は春に蒔きます。そうして命を繋いでゆきます。

  一人という家庭のかたち日曜のベランダに干す一つの枕


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台風が近づいていて外は雨降りでしたが、14日の木曜日に貸していただいた鍵を返しに、不動産屋さんに行ってきました。最初に契約した時は近場の不動産屋さんでしたが、途中で何回か管理が変わり、今の不動産屋さんは少し離れた所にあります。

 通勤では座れない地下鉄も、雨の日曜日は空いています。わたしは通勤用に購入していた夏目漱石『それから』の続きを読みました。半分くらい読み進めていて、今さらですが、とってもおもしろいです、高等遊民っぷり。
 地下鉄ですが地上に出る瞬間もあり、それまでの真っ暗な窓にぱあっと緑が映ります。この緑の公園を、元恋人とよく散歩しました。あのおだやかな時間も今は遠い日々です。秋にはキンモクセイの香りで満ちる階段があります。

 今日で2度目の駅に降りて、不動産屋さんに鍵を返しました。せっかく外に出て、普段は来ない場所に来たのだから、少し留まってみようと思いました。けれども、見回しても周りに何もありません。コーヒーでも飲めるお店がないかと案内板を見ても、いくつもの公営住宅の位置を示すばかりです。
 仕方がないので、近くのスーパーに入ってみました。2階建てのスーパーは食品だけでなく衣料品も扱ってあり、パン屋さんも書店も旅行店も100円ショップも入っていました。きっとこの辺りに暮らす人達はこのスーパーで何でも揃えられるのかもしれないですね。自転車で15分先にあった20代の頃のわたしの職場ととても似ていて、なつかしくなりました。一方で、あのままあそこに勤めていたらわたしの人生は今よりずっと閉塞的だっただろうと思うのでした。フードコートもありましたが、コーヒーは飲まず、鶏ムネ肉を買って帰りました。

  一人きり部屋から出ない言いわけが出来上がるから雨の日は好き

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自宅の鍵を失くしてしまいました。こんなことは鍵を持つようになってから初めてです。失くすようなものではないと思っていたので、合鍵も作っていませんでした。気付いたのはお昼過ぎ、仙台駅西口のペデストリアンデッキを歩いていた時です。

 今日は、午前中に駅近くで用事があり街へ出たのでした。短時間で終わりましたが、せっかくなのであちこち見て回ることにしました。
 丸善で大口玲子『神のパズル』を見つけたので、即購入しました。第一歌集から最新作まで自選短歌579首の他にエッセイや東日本大震災の母子避難講演録なども収録されているとの赤い帯に、わたしは絶対に読んだ方がいいと思いました。それにしても、久しぶりに訪れた丸善は内装が変わっていて少し迷いました。
 普段は滅多に一人で外食をしないのですが、せっかくの平日ランチタイムなので、一人ランチもしてみましょう。普段の自分と違ったことをしてみると、それが些細なことでも自分の世界が広がるのを感じます。適当なお店でパスタをいただきました。食後のコーヒーを飲みながら、勉強している周りの人に倣ってノートも広げてみます。最近のわたしは詠みたい歌はもう詠んでしまった気がして、この先はもう歌を詠まなくなるんじゃないかなあなんて思っていたのですが、今日歩きながら思ったことがそのまま4首の歌になりました。長居をしないようにという注意書きに従い、ほどよいところでお店を出ました。

 それにしても今日は暑い一日です。歩き回ったせいかもしれません。額の汗を拭こうと左ポケットからハンカチを取り出した時に、いつも左ポケットに入れているはずの鍵がないことに気づきました。
 右のポケットにも、後ろのポケットにもありません。鞄の中を探しても見つかりません。今日赴いたところを探そうと思いましたが、いかんせん今日は移動が多過ぎました。行けるところは行ってみて、駅の忘れ物センターも当たってみました。「鍵は届いていませんか?」と伺ったら「いっぱい届いてます」と返ってきたのが、こんな非常事態ながら妙におかしく、同じように帰れなくなった人がいっぱいいるのだと胸が痛くなりました。
 結局、そのまま不動産屋さんに電話して、貸していただくことになりました。

 不動産屋さんに鍵を取りに行くため、仙台駅から自宅とは逆方向行きの地下鉄に乗り、初めて降りる駅で降りました。諸々の書類の手続きをし鍵を貸していただきます。もし本鍵が見つからなかったら鍵を変えなければいけないと案内がありました。拾った人に自宅に侵入される危険もあるので当然の処置ですが、鍵が見つかる可能性が低過ぎるため頭の中はお金のことでいっぱいです。
 
 自宅アパートに着くと郵便受けに塔9月号が届いていました。もうそんな時期です。封筒を開けながら部屋に向かいつつ、どうしようどうしようと途方に暮れていたところ、自分の部屋のドアノブに何かぶら下がっているのが見えました。
 東京タワーのキーホルダーの付いた、鍵でした。出先で失くしたわけでなく、刺したまま忘れて出かけてしまっていたのでした。
 見つかってよかったし、危なかったです。鍵もそうですが、お気に入りの東京タワーのキーホルダーが無事だったのにも安堵しました。ほんとうに、気を付けなければいけません。昨日は駅構内で小銭をばら撒いてしまったし、最近ちょっとぼーっとしてるのかもしれないです。

 『神のパズル』に、わたしの歌も2首引いていただいていました。2014年の心の花の時評で塔・東北「1099日目」を取り上げていただいていたんですね。あらためてありがたいです。今さっき気づいてびっくりしました。

  仙台に一人で暮らすアパートの鍵には銀の東京タワー

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先月に帰省した時の写真をプリントして、実家と妹宅に送りました。家族が揃うことももうあんまりないので、集まった時は写真を撮っています。わたしの父方にはわたしが5歳くらいの時に亡くなった義伯母がいたのですが、義伯母をわたしは慕っていたはずなのに、一緒に映っている写真が2枚くらいしかないのが寂しいのです。そうした思いもあり、甥っ子と祖母を一緒に映しておこうと思います。

 帰省する度、近所の人にわたしは姉の方なのか妹の方なのか聞かれます。自分ではそんなに妹と似ていると思いませんが、そっくりだと言われます。
 それでも、甥っ子には区別がつくようです。妹の姿が見えなくなるとびえええと泣き喚く甥っ子は、同じ顔のわたしが「ママだよ~」とあやしてもしっかり見破りわたしを拒絶するのでした。そうしたことも、まだ物心のついていない甥っ子の記憶にはきっと残らないでしょう。不思議な時間を思います。忘れてしまう日々でも、この頃にちゃんと愛されたかどうかがその後の人格形成へ影響を与えるなどとも言われています。
 
 妹は専業主婦ですが、わたしの母はわたしを産んでひと月後には仕事復帰しました。2歳の甥っ子は妹の姿が見えなくなると泣きだしますが、わたしが2歳だった頃、母のいない時に泣いたのでしょうか。記憶にはないけれど、2歳の頃には母のいないことなんてもう慣れっこだったのではないでしょうか。

 DVを受けて育った人が、無意識にDV男性に惹かれてしまうというような話をよく聞きます。それがどんなに良くないものだとしても、慣れている環境に安心するらしいのです。
 わたしは、放置する人を選ぶ傾向がある気がします。そして、わたしも相手を放置します。束縛はされるのもするのも苦手です。密接な関係より、距離があった方が楽なのでしょう。そのせいか仲が深まらず終わる、ということをくり返しました。乳幼児期の環境のせいかもしれないし、大人になってからの一人暮らしが長いせいかもしれないし、両方かもしれません。或いは、まったく関係ないかもしれません。

 母が赤ん坊のわたしを家に残して仕事に行っても、わたしには曾祖母がいました。曾祖母といっても、ほんとうは大伯母です。曾祖母は子供を生めなかったため、実の妹を養子にしたのでした。それが今も元気な90歳の祖母です。当時は祖母も農業や土木の仕事に出ていました。だから、家のことは主に曾祖母がしていたのです。
 赤ん坊のわたしが曾祖母に抱っこされている写真を時々ながめます。古い頃の家の庭で日向ぼっこをしている写真が特にお気に入りです。赤ん坊のわたしは目をつぶって眠っていますが、曾祖母はなんだかしあわせそうに見えます。
 
  アルバムのなか幼子を抱く母は知らぬ笑顔で一つ年下


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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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