川が好き。山も好き。
3月に入って、テレビで震災の特集が流れるようになりました。職場の休憩室、一緒にお昼ご飯を食べていた人達でそれらを見遣りながら、やはり「あの日、わたしは」という話になりました。東北に暮らすわたし達はそれぞれの被災経験を持っており、それはこうした談笑の場での共通した話題として機能したりします。あの日々はほんとうにつらかったのに、今こうして「あの時は本当に大変でしたよね」と過去形で笑い合えることを、幸福に思います。
震災の経験を過去形で語れるようにはなりましたが、震災での教訓を全く活かしきれていない自分の心を、この頃は思い知らされています。自分を変えなきゃと思っていたし、変えてきたつもりでいました。けれども、結局またなにかに直面する度に、あの日と同じような心の動きをくり返してしまっています。どうしてわたしは自分を一番に大切にできないのでしょう。自分の心細さを隠して「わたしは大丈夫!」とうそぶいたために後々無理がたたって押しつぶされてしまった震災後の日々。そのように、自分で自分の心に嘘をついたために招いた出来事へ、ことさら嘆いて悲劇のヒロインぶってしまう自分のことも好きになれません。
7年目の3月11日は仙台歌会で、わたしは司会でした。黙祷の時間を設けようとアラームをセットしていましたが、会場の施設では14時46分に黙祷を促す館内放送が流れました。
海の方角に向かって目を閉じながら、もっと大きな被災をした人や、今もくるしんでいる人に比べたら、自分の心に関する問題なんてどんなぜいたくな悩みかと省みたりもするのでした。
震災の経験を過去形で語れるようにはなりましたが、震災での教訓を全く活かしきれていない自分の心を、この頃は思い知らされています。自分を変えなきゃと思っていたし、変えてきたつもりでいました。けれども、結局またなにかに直面する度に、あの日と同じような心の動きをくり返してしまっています。どうしてわたしは自分を一番に大切にできないのでしょう。自分の心細さを隠して「わたしは大丈夫!」とうそぶいたために後々無理がたたって押しつぶされてしまった震災後の日々。そのように、自分で自分の心に嘘をついたために招いた出来事へ、ことさら嘆いて悲劇のヒロインぶってしまう自分のことも好きになれません。
7年目の3月11日は仙台歌会で、わたしは司会でした。黙祷の時間を設けようとアラームをセットしていましたが、会場の施設では14時46分に黙祷を促す館内放送が流れました。
海の方角に向かって目を閉じながら、もっと大きな被災をした人や、今もくるしんでいる人に比べたら、自分の心に関する問題なんてどんなぜいたくな悩みかと省みたりもするのでした。
PR
はらい一つ足りないような喪という字二回も書いて午後の手紙に 前田康子
やれば出来ると思いつつ今日も何もせず猫じゃらししごきて歩く 岩切久美子
取り返しのつかぬ筋目をつけながらむらさきいろの鶴を折りゆく 梶原さい子
何の肉かと思えど冷凍ミンチカツとろりとチーズ溶け出してくる 川本千栄
脚立より落下せし子は柿の実と共に斜面を転がりてゆく 吉岡洋子
九十歳に砥ぎてもらいし裁ち鋏さりさり使う秋の夜長を 西本照代
幸せをどこかで言おうでもそれは呟きでないところと思う 山内頌子
寒いからさみしいのかな ゆっくりと三十代の日々は過ぎゆく 片山楓子
くたびれてどうにもならず湯の中のマカロニの穴もおそろしくなる 永田聖子
かじかんだゆびで絵筆をあらうときシンクに消えてゆく秋の川 田村龍平
意地悪もかつては言ひし古き友わたしを忘れ遠い目をせり 西山千鶴子
二日後に乳癌の手術する妻の寝息の聞こゆ我も眠らむ 熊野 温
石はみな石という名で括られて陽を浴びており竹田川沿い 佐々木美由喜
伊勢神宮熱田神宮名古屋城今年も良いことありますように 高橋圭子
立ち話している二人のおばあさんに手を振りて行くおじいさん一人 西川照代
ブーケ買う夢を今朝方見しことを花屋の前で思い起こせり 深井克彦
亡き母の眼鏡を父は掛けてゐし炬燵の端に本を読むとき 守永慶吾
主役へと花束渡す役これがわたしのしたいことだつたんだ 逢坂みずき
腰かけるつもりの石にとんぼ来ぬ も少し歩いてみるのもいいか 今井早苗
母とその赤子に席を二度ゆづり二度断られ出づれば秋雨 篠野京
図書館の屋上庭園のために出てきたかと思う鰯雲 杉田菜穂
あの時は泣けばよかつたかもしれぬ金木犀は花零すのみ 祐徳美惠子
わが髪を撫でつつ君が言うときの「もう寝んさい」はやさしい命令 福西直美
ずっと前滅びた国の逸話から水道代の話に戻る 森永理恵
日銀で鑑定なさねば替えられぬ一万円札 吾が破きたる 浅野次子
いつも和服着ておりし人ジーパンに自転車で来る夫亡きのちは 相本絢子
名を呼べど帰り来るはずなきものを日暮れになればやはり名を呼ぶ 木戸洋子
ちゃん付けで吾を呼びしは百歳の叔母一人のみ昨夜逝きたり 清水千登世
割りばしは歪にわれて駅弁のかまぼこつまむ見舞いの帰り 寺田裕子
昼食を食べたくなくて階段を上ったり下りたりをしている 佐原八重
***
敬称略。3月号が届く前に。
やれば出来ると思いつつ今日も何もせず猫じゃらししごきて歩く 岩切久美子
取り返しのつかぬ筋目をつけながらむらさきいろの鶴を折りゆく 梶原さい子
何の肉かと思えど冷凍ミンチカツとろりとチーズ溶け出してくる 川本千栄
脚立より落下せし子は柿の実と共に斜面を転がりてゆく 吉岡洋子
九十歳に砥ぎてもらいし裁ち鋏さりさり使う秋の夜長を 西本照代
幸せをどこかで言おうでもそれは呟きでないところと思う 山内頌子
寒いからさみしいのかな ゆっくりと三十代の日々は過ぎゆく 片山楓子
くたびれてどうにもならず湯の中のマカロニの穴もおそろしくなる 永田聖子
かじかんだゆびで絵筆をあらうときシンクに消えてゆく秋の川 田村龍平
意地悪もかつては言ひし古き友わたしを忘れ遠い目をせり 西山千鶴子
二日後に乳癌の手術する妻の寝息の聞こゆ我も眠らむ 熊野 温
石はみな石という名で括られて陽を浴びており竹田川沿い 佐々木美由喜
伊勢神宮熱田神宮名古屋城今年も良いことありますように 高橋圭子
立ち話している二人のおばあさんに手を振りて行くおじいさん一人 西川照代
ブーケ買う夢を今朝方見しことを花屋の前で思い起こせり 深井克彦
亡き母の眼鏡を父は掛けてゐし炬燵の端に本を読むとき 守永慶吾
主役へと花束渡す役これがわたしのしたいことだつたんだ 逢坂みずき
腰かけるつもりの石にとんぼ来ぬ も少し歩いてみるのもいいか 今井早苗
母とその赤子に席を二度ゆづり二度断られ出づれば秋雨 篠野京
図書館の屋上庭園のために出てきたかと思う鰯雲 杉田菜穂
あの時は泣けばよかつたかもしれぬ金木犀は花零すのみ 祐徳美惠子
わが髪を撫でつつ君が言うときの「もう寝んさい」はやさしい命令 福西直美
ずっと前滅びた国の逸話から水道代の話に戻る 森永理恵
日銀で鑑定なさねば替えられぬ一万円札 吾が破きたる 浅野次子
いつも和服着ておりし人ジーパンに自転車で来る夫亡きのちは 相本絢子
名を呼べど帰り来るはずなきものを日暮れになればやはり名を呼ぶ 木戸洋子
ちゃん付けで吾を呼びしは百歳の叔母一人のみ昨夜逝きたり 清水千登世
割りばしは歪にわれて駅弁のかまぼこつまむ見舞いの帰り 寺田裕子
昼食を食べたくなくて階段を上ったり下りたりをしている 佐原八重
***
敬称略。3月号が届く前に。
仕事帰りに同僚さん達と長話になりました。普通の人達はこういう時は飲み屋さんに行ったりするのかもしれませんが、なんとなく寒空の下を一時間ほどしゃべっていました。同僚さんは、他の人のフォローを頼まれることが多く、とても疲れているようです。大変さの割に報われないのはほんとうにつらく思います。
派遣社員のいいところは、そうした不満を上司に直接掛け合わなくとも、派遣会社の相談窓口や営業担当さんに伝えられることです。間に入ってくれる人がいるというのはありがたいです。同僚さんも相当に相談をしたらしく、少し社内の雰囲気が変わってきたように思います。ちゃんと改善されるあたりの柔軟さに救われます。
少し帰りが遅くなり、コンビニへ寄ると「いい人を止めると幸せになれる」「いい人は損をする」みたいな本が3種も置いてありました。書店の自己啓発本のコーナーにはこういう類の本がいくつもありますが、コンビニの小さな棚に3種も揃えてあるのに世相を感じます。それだけ、こうした本の必要な人がたくさんいるのでしょう。
自分をいい人だと思っているわけではありませんが、昔、わたしの働き方を見ていた二回りほど年上の同僚さんから「人の言うことを聞いていてもいい人だなんて誰も思ってくれない。感謝もされない。都合のいい人だと思われて便利に使われるだけだから、ちゃんと自己主張した方がいい」というような忠言を受けたことがあり、わたしもこうした本を時々読みます。仕事のことだけでなく、人間関係全般において、わたしの思考の癖を正されるようです。
自分の心を一番大事にしよう。と、震災以降は特に自分に言い聞かせていました。けれども、やっぱりできないみたいです。どうしたらこの場がまるく収まるのかとか、どうしたら人の顔に泥を塗らずに済むのかとか、わたしは咄嗟のことになるといつも自分より別の何かを守ってしまいます。人の顔を立てても、自分がしあわせになんてなりません。
わかっているのに、難しいものですね。でも、もう引き返せません。
「ぜひ」と求められるより、「無理しなくていい」「断ってもいい」と逃げ道を用意してくれる方が、自分を大事にしてもらえているような気がします。自分を大事にしながら、自分を大事にしてくれる人のことも大事にしたいと思うのでした。
嘔吐して早退したるバスの中お年寄りに席をゆずってしまう
派遣社員のいいところは、そうした不満を上司に直接掛け合わなくとも、派遣会社の相談窓口や営業担当さんに伝えられることです。間に入ってくれる人がいるというのはありがたいです。同僚さんも相当に相談をしたらしく、少し社内の雰囲気が変わってきたように思います。ちゃんと改善されるあたりの柔軟さに救われます。
少し帰りが遅くなり、コンビニへ寄ると「いい人を止めると幸せになれる」「いい人は損をする」みたいな本が3種も置いてありました。書店の自己啓発本のコーナーにはこういう類の本がいくつもありますが、コンビニの小さな棚に3種も揃えてあるのに世相を感じます。それだけ、こうした本の必要な人がたくさんいるのでしょう。
自分をいい人だと思っているわけではありませんが、昔、わたしの働き方を見ていた二回りほど年上の同僚さんから「人の言うことを聞いていてもいい人だなんて誰も思ってくれない。感謝もされない。都合のいい人だと思われて便利に使われるだけだから、ちゃんと自己主張した方がいい」というような忠言を受けたことがあり、わたしもこうした本を時々読みます。仕事のことだけでなく、人間関係全般において、わたしの思考の癖を正されるようです。
自分の心を一番大事にしよう。と、震災以降は特に自分に言い聞かせていました。けれども、やっぱりできないみたいです。どうしたらこの場がまるく収まるのかとか、どうしたら人の顔に泥を塗らずに済むのかとか、わたしは咄嗟のことになるといつも自分より別の何かを守ってしまいます。人の顔を立てても、自分がしあわせになんてなりません。
わかっているのに、難しいものですね。でも、もう引き返せません。
「ぜひ」と求められるより、「無理しなくていい」「断ってもいい」と逃げ道を用意してくれる方が、自分を大事にしてもらえているような気がします。自分を大事にしながら、自分を大事にしてくれる人のことも大事にしたいと思うのでした。
嘔吐して早退したるバスの中お年寄りに席をゆずってしまう
上司に不満があって退社した同僚さんが、次の仕事先で業務内容も含め「前よりもっとひどい」と嘆いているそうです。この仕事はどこの職場もクセがあります。元同僚さんは不満だったようですが、わたしは鈍いのか、もっとひどい上司に追い詰められていた経験のせいか、そこまで強い不満を抱くことなく過ごせています。
こういう仕事にくる7割はクズだからね、というようなことを言って苦笑しているのを聞いたことがありました。少し、わかるような気もします。そもそもちゃんとした人なら非正規ではなく正社員の職に就くでしょう。
もちろん、わたしも落ちこぼれなのでこういうところに流れ着いています。それでも、勤怠が良いというだけで真面目さん扱いされているのを感じます。先日初めて休んだ時も、よっぽどなにかあったのかと心配されてしまいました。一般の会社では毎日仕事に来るなんていうのは当たり前のことですが、体調不良というわけでなくとも休むことになんの躊躇もない人が世の中にはいるようなのでした。そんなに休んで生活は大丈夫なのかと他人事ながら思ってしまうくらいの人も今まで見た中には何人もいました。とはいえ、今の職場に限らず今の職種は人間関係的にはざっくりして気楽です。
明日来てと言っても連絡なしに来ないのは普通、字を書けない人もいる、なんていうのはさすがに話を盛ってるでしょうと思いますが、それとは別にクレーム対応などをしていると、どうにも思考の難しい人が存在しているということはつくづく実感します。無茶な人には、ことさらにこやかな声で淡々とお話するということをしています。
もしかしたらわたし達も、優しくしてもらえている、のではなく、諦められている、最初から期待をされていない、ということなのかもしれません。
いつ誰が辞めたかわからない部屋で補うための残業をする
こういう仕事にくる7割はクズだからね、というようなことを言って苦笑しているのを聞いたことがありました。少し、わかるような気もします。そもそもちゃんとした人なら非正規ではなく正社員の職に就くでしょう。
もちろん、わたしも落ちこぼれなのでこういうところに流れ着いています。それでも、勤怠が良いというだけで真面目さん扱いされているのを感じます。先日初めて休んだ時も、よっぽどなにかあったのかと心配されてしまいました。一般の会社では毎日仕事に来るなんていうのは当たり前のことですが、体調不良というわけでなくとも休むことになんの躊躇もない人が世の中にはいるようなのでした。そんなに休んで生活は大丈夫なのかと他人事ながら思ってしまうくらいの人も今まで見た中には何人もいました。とはいえ、今の職場に限らず今の職種は人間関係的にはざっくりして気楽です。
明日来てと言っても連絡なしに来ないのは普通、字を書けない人もいる、なんていうのはさすがに話を盛ってるでしょうと思いますが、それとは別にクレーム対応などをしていると、どうにも思考の難しい人が存在しているということはつくづく実感します。無茶な人には、ことさらにこやかな声で淡々とお話するということをしています。
もしかしたらわたし達も、優しくしてもらえている、のではなく、諦められている、最初から期待をされていない、ということなのかもしれません。
いつ誰が辞めたかわからない部屋で補うための残業をする
二人して映画に行きしと記しおり見たる映画はなにも記さず 池本一郎
(日記の歌、とてもリアルで細かいところを詠っていると思う。青春っぽい。)
この夕べ支へて呉るる人が欲し否、否、光るしやもじが欲しい 松木乃り
(上の句の切実さと下の句の大胆な飛躍っぷり。)
美しい瓶がほしくて酒を買ふ青地に赤いもみぢの舞へる 寺田慧子
(瓶の方が目的というのがおもしろくて、瓶の詳細さも良くて。)
町内をめぐる神輿を遠くから行きと帰りに家族で見たり 徳重龍弥
(神輿がずっと町内をぐるぐる回ってるんだなあっていう時間の流れと郷土感。)
音だけは聞いていた花火どちらとも行こうと誘わぬままに過ぎき 吉川敬子
(「誘えぬ」ではなく「誘わぬ」というあたりが絶妙なニュアンス感。)
白桃の大きなパフェを食べ損ね数年が過ぐ坂の途中の 西村玲美
(そのまま過ぎる歌が好きなのかなあ、わたしは。パフェの具体性もおもしろくて。)
ふるさとの神様の前でお願いする死ぬまでお金が入ってきますように 石井久美子
(笑えるようでいて、近所ではなく「ふるさとの神様」にお願いするあたりのいじましさ。)
ふと箸の軽くなるときすくひたる麺にまつはる麺ははなれつ 佐藤陽介
(こういうなんでもない歌は意外と詠うのが難しい。)
親鳥と見紛ふほどになりたれば誰も撮らざる白鳥のひな 岡部かずみ
(既にそれは「ひな」なのかという疑問もありつつ、観察と風刺に。)
結婚をすると会社が二万円くれるらしくて考えている 吉田恭大
(数字の具体性がリアルで、心情的にも正直で。)
川の面に立てる白波 病室の窓辺で舟が遠ざかり行く 朝野ひかり
(「川」「病室の窓辺」「舟」という取り合わせ、さびしい。)
きみと来た日々を選んできてしまうえのころ草の揺れる坂道 北虎叡人
(「えのころ草」いいなあ、「きみ」の人柄や関係性を思わせる。)
聞き手という手はあり君の白き手がわれの言葉を書き留めゆく 小林貴文
(優しい歌、インタビューか何かのようにも思えるけれど。)
ゑのころの穂むらを染めて陽が沈む何もなき今日が暮れてゆくなり 広瀬桂子
(「ゑのころ」いいなあ、「何もなき今日」というのも好きなテーマなので。)
テレビで見る岩松了と変わらない岩松了が笑っているよ 山口蓮
(岩松了さんという人選。そしてそんなにテレビで見ない気が。わたしは映画で最近見ました。)
いつか行く旅の話をするための夜ふかし 今日を覚えていてね 小松岬
(そう、旅よりも、旅の予定を立てている時の方がほんとうにしあわせ。)
上司より茶色の小瓶を手渡さる身過ぎ世過ぎと割り切る職場で 竹井佐知子
(全く同じ経験があったので共感から。わたしはオロナミンCでした。)
生涯を飲み続けよと言われたるなんとはかなき黄の丸薬 津田雅子
(上の句の重さと、下の句の小ささの対比。)
ストレスと過労が原因ゆっくりと休みなさいと言ってくれ ない かがみゆみ
(結句の一字空けがすご過ぎる。ゆっくり休んでほしいです。)
ぐすんぐすん擬音語出せばそんなにも泣きたいことではないと気づきぬ 中井スピカ
(「ぐすんぐすん」は確かにマンガチックで悲劇のヒロインっぽい。客観性の味わい。)
誰もみな良い人だつたと思ひおり木槿の白花蕊まで白い 小畑志津子
(「だつた」の過去形がなんとも寂しくて惹かれるのでした。)
初恋の少年夢にあらわれて会釈をすれどわれは黙せり 吉田典
(夢なのに。夢の中でも、というせつなさ。)
届きたる差出人の月へんのきみの名前が今も眩しい 萩原璋子
(どんな贈り物より手紙が一番うれしかったりして、でも過去なんですね。眩しいな、月へん。)
もうできないことと今ならできることどっちにしろできなくて 粉雪 逢坂みずき
(どっちにしろできない、という諦観。もどかしいけどリアル。)
川沿ひの郵便局も陶器店もいたくちひさし葬の車窓に 千村久仁子
(実際の光景なのでしょうけれど、具体の選び方、取り合わせがいいなあ。)
いくたびも入院したる夫、父母どの病棟にもわれは迷へり 西山千鶴子
(病院はほんとうに迷いやすいと思うし、作者の心も迷っていたのでしょう。)
「退院したら」会はうとふ人増えて来て退院後の我が初冬輝く 高野岬
(闘病の歌ながら希望があって、「輝く」も思い切った表現だけど伝わる。)
月明かり星のあかりのつもる家待つ人おれば帰るほかなく 菊井直子
(待つ人がいなければ帰りたくない?不思議な心情が気になる。)
水筒のお茶泡立ちて日に温む 樹を見るために歩く山道 森尾みづな
(健康的で気持ちのいい歌。山道を歩いたら樹が見える、ではない表現の工夫もおもしろく。)
あわれなり父に殺されし五人の子読み仮名なければ読めぬ名を持ち 倉成悦子
(歌としては率直すぎる気もしつつ、とてもわかるので。)
***
敬称略。ずっとわたしもやってみたくて、やっとやってみました。毎月マルを付けながら読んではいましたが、こうして書き写してみると、なにか見えてくるものもありますね。余裕があれば評的なものも追記したいな。するかも。
(2018年2月17日 一言評を追記しました。)
(日記の歌、とてもリアルで細かいところを詠っていると思う。青春っぽい。)
この夕べ支へて呉るる人が欲し否、否、光るしやもじが欲しい 松木乃り
(上の句の切実さと下の句の大胆な飛躍っぷり。)
美しい瓶がほしくて酒を買ふ青地に赤いもみぢの舞へる 寺田慧子
(瓶の方が目的というのがおもしろくて、瓶の詳細さも良くて。)
町内をめぐる神輿を遠くから行きと帰りに家族で見たり 徳重龍弥
(神輿がずっと町内をぐるぐる回ってるんだなあっていう時間の流れと郷土感。)
音だけは聞いていた花火どちらとも行こうと誘わぬままに過ぎき 吉川敬子
(「誘えぬ」ではなく「誘わぬ」というあたりが絶妙なニュアンス感。)
白桃の大きなパフェを食べ損ね数年が過ぐ坂の途中の 西村玲美
(そのまま過ぎる歌が好きなのかなあ、わたしは。パフェの具体性もおもしろくて。)
ふるさとの神様の前でお願いする死ぬまでお金が入ってきますように 石井久美子
(笑えるようでいて、近所ではなく「ふるさとの神様」にお願いするあたりのいじましさ。)
ふと箸の軽くなるときすくひたる麺にまつはる麺ははなれつ 佐藤陽介
(こういうなんでもない歌は意外と詠うのが難しい。)
親鳥と見紛ふほどになりたれば誰も撮らざる白鳥のひな 岡部かずみ
(既にそれは「ひな」なのかという疑問もありつつ、観察と風刺に。)
結婚をすると会社が二万円くれるらしくて考えている 吉田恭大
(数字の具体性がリアルで、心情的にも正直で。)
川の面に立てる白波 病室の窓辺で舟が遠ざかり行く 朝野ひかり
(「川」「病室の窓辺」「舟」という取り合わせ、さびしい。)
きみと来た日々を選んできてしまうえのころ草の揺れる坂道 北虎叡人
(「えのころ草」いいなあ、「きみ」の人柄や関係性を思わせる。)
聞き手という手はあり君の白き手がわれの言葉を書き留めゆく 小林貴文
(優しい歌、インタビューか何かのようにも思えるけれど。)
ゑのころの穂むらを染めて陽が沈む何もなき今日が暮れてゆくなり 広瀬桂子
(「ゑのころ」いいなあ、「何もなき今日」というのも好きなテーマなので。)
テレビで見る岩松了と変わらない岩松了が笑っているよ 山口蓮
(岩松了さんという人選。そしてそんなにテレビで見ない気が。わたしは映画で最近見ました。)
いつか行く旅の話をするための夜ふかし 今日を覚えていてね 小松岬
(そう、旅よりも、旅の予定を立てている時の方がほんとうにしあわせ。)
上司より茶色の小瓶を手渡さる身過ぎ世過ぎと割り切る職場で 竹井佐知子
(全く同じ経験があったので共感から。わたしはオロナミンCでした。)
生涯を飲み続けよと言われたるなんとはかなき黄の丸薬 津田雅子
(上の句の重さと、下の句の小ささの対比。)
ストレスと過労が原因ゆっくりと休みなさいと言ってくれ ない かがみゆみ
(結句の一字空けがすご過ぎる。ゆっくり休んでほしいです。)
ぐすんぐすん擬音語出せばそんなにも泣きたいことではないと気づきぬ 中井スピカ
(「ぐすんぐすん」は確かにマンガチックで悲劇のヒロインっぽい。客観性の味わい。)
誰もみな良い人だつたと思ひおり木槿の白花蕊まで白い 小畑志津子
(「だつた」の過去形がなんとも寂しくて惹かれるのでした。)
初恋の少年夢にあらわれて会釈をすれどわれは黙せり 吉田典
(夢なのに。夢の中でも、というせつなさ。)
届きたる差出人の月へんのきみの名前が今も眩しい 萩原璋子
(どんな贈り物より手紙が一番うれしかったりして、でも過去なんですね。眩しいな、月へん。)
もうできないことと今ならできることどっちにしろできなくて 粉雪 逢坂みずき
(どっちにしろできない、という諦観。もどかしいけどリアル。)
川沿ひの郵便局も陶器店もいたくちひさし葬の車窓に 千村久仁子
(実際の光景なのでしょうけれど、具体の選び方、取り合わせがいいなあ。)
いくたびも入院したる夫、父母どの病棟にもわれは迷へり 西山千鶴子
(病院はほんとうに迷いやすいと思うし、作者の心も迷っていたのでしょう。)
「退院したら」会はうとふ人増えて来て退院後の我が初冬輝く 高野岬
(闘病の歌ながら希望があって、「輝く」も思い切った表現だけど伝わる。)
月明かり星のあかりのつもる家待つ人おれば帰るほかなく 菊井直子
(待つ人がいなければ帰りたくない?不思議な心情が気になる。)
水筒のお茶泡立ちて日に温む 樹を見るために歩く山道 森尾みづな
(健康的で気持ちのいい歌。山道を歩いたら樹が見える、ではない表現の工夫もおもしろく。)
あわれなり父に殺されし五人の子読み仮名なければ読めぬ名を持ち 倉成悦子
(歌としては率直すぎる気もしつつ、とてもわかるので。)
***
敬称略。ずっとわたしもやってみたくて、やっとやってみました。毎月マルを付けながら読んではいましたが、こうして書き写してみると、なにか見えてくるものもありますね。余裕があれば評的なものも追記したいな。するかも。
(2018年2月17日 一言評を追記しました。)
久しぶりに、山本周五郎「三十ふり袖」を読み直しました。
主人公のお幸は賃仕事をしながら病身のお母様と二人で裏長屋に暮らしています。不景気で生活が行き詰まっていたところに、近所の飲み屋「みと松」のおかみさん・お松から、常連客である巴屋の旦那の妾の話を持ちかけられます。巴屋の旦那は四十五、六でとても良い人だと言います。
――あたしもう二十七なんだわ。
と、くり返されるお幸の独白がかなしい。江戸時代の二十七は今でいう三十七の感覚でしょう。それでも、わたしがこの作品を初めて読んだ時の年齢が二十七くらいだったので、当時はお幸の心に寄り添うように読んだものでした。
「心を鬼して云うわよ」と、お松は言います。「世間がこんな具合だし、病身のお母さんを抱えていては、お嫁に行くこともお婿さんをもらうこともできやしない。それにあんたも年が年だし、もしかして縁があっても、子持ちの処へのちぞえにゆくぐらいがおちだわ、ねえ、そのくらいならいっそちゃんとした人の世話になって、ゆっくりお母さんにも養生をさせ、あんたも暮しの苦労からぬけるほうがいいじゃないの、世の中には十五十六で身を売る娘だって少なくはないのよ」
お幸が承知したところで、この話がうまくまとまれば巴屋の旦那から世話料を貰える、それが貰えれば助かるから、心の中ではそれをあてにしていたのよ、とお松は泣き声で白状するのでした。
――誰が悪いんでもない、こういうめぐりあわせなんだもの、世間にはもっと、いやな辛いおもいをする人だって、たくさんいるんだもの。
と、お幸は自分に言い聞かせながらも、自分のことをあんまりかわいそうだと思うのでした。
完全なる善意から、五十歳近い男性を紹介されることになりました。仲介の知人女性が無邪気に「うまくいくといいな~」とウキウキしている様子に、わたしはどこか傷ついています。わたしが勝手に傷ついています。誰も悪くありません。
水を差したいような気持ちになり、仲介の女性に、障がいがあってまともに社会生活の送れない弟がいることを伝えました。女性は困ったようになり、しばらく逡巡した後、相手には黙っていましょうと言いました。
――あたしもう三十七なんだわ。
「三十ふり袖」のお幸のように、わたしは心の中でくり返しています。
主人公のお幸は賃仕事をしながら病身のお母様と二人で裏長屋に暮らしています。不景気で生活が行き詰まっていたところに、近所の飲み屋「みと松」のおかみさん・お松から、常連客である巴屋の旦那の妾の話を持ちかけられます。巴屋の旦那は四十五、六でとても良い人だと言います。
――あたしもう二十七なんだわ。
と、くり返されるお幸の独白がかなしい。江戸時代の二十七は今でいう三十七の感覚でしょう。それでも、わたしがこの作品を初めて読んだ時の年齢が二十七くらいだったので、当時はお幸の心に寄り添うように読んだものでした。
「心を鬼して云うわよ」と、お松は言います。「世間がこんな具合だし、病身のお母さんを抱えていては、お嫁に行くこともお婿さんをもらうこともできやしない。それにあんたも年が年だし、もしかして縁があっても、子持ちの処へのちぞえにゆくぐらいがおちだわ、ねえ、そのくらいならいっそちゃんとした人の世話になって、ゆっくりお母さんにも養生をさせ、あんたも暮しの苦労からぬけるほうがいいじゃないの、世の中には十五十六で身を売る娘だって少なくはないのよ」
お幸が承知したところで、この話がうまくまとまれば巴屋の旦那から世話料を貰える、それが貰えれば助かるから、心の中ではそれをあてにしていたのよ、とお松は泣き声で白状するのでした。
――誰が悪いんでもない、こういうめぐりあわせなんだもの、世間にはもっと、いやな辛いおもいをする人だって、たくさんいるんだもの。
と、お幸は自分に言い聞かせながらも、自分のことをあんまりかわいそうだと思うのでした。
完全なる善意から、五十歳近い男性を紹介されることになりました。仲介の知人女性が無邪気に「うまくいくといいな~」とウキウキしている様子に、わたしはどこか傷ついています。わたしが勝手に傷ついています。誰も悪くありません。
水を差したいような気持ちになり、仲介の女性に、障がいがあってまともに社会生活の送れない弟がいることを伝えました。女性は困ったようになり、しばらく逡巡した後、相手には黙っていましょうと言いました。
――あたしもう三十七なんだわ。
「三十ふり袖」のお幸のように、わたしは心の中でくり返しています。
「女子力高い」と連呼されてひどく居心地が悪くなった自分、というものを覚えておくことにします。反射的に「このわたしの女子力が高いいもんか!」とわざわざ髪をぼさぼさにしたり、すっぴんを晒したり、くたびれた恰好をしたりおかしな姿を見せつけて「ほーら、わたしの女子力が高いわけがないでしょう」って相手を納得させようとするような、破壊衝動に走らないように。
破壊情動に走るのは、わたしがわたしの女性性を受け入れきれてないからです。だから、指摘されると恥をかかされたような気分になっていたたまれなくなり、否定したくなってしまう。特に女性には不幸だと思われていたい、見下されている方が安心します。
呪いだ、これは。わたしは女性らしくてもいいし、しあわせになってもいいのに。呪いです。戦うように、スカートを履いているのです。
まっとうな女のごとくにふるまえるのちの安堵にパンスト放る
破壊情動に走るのは、わたしがわたしの女性性を受け入れきれてないからです。だから、指摘されると恥をかかされたような気分になっていたたまれなくなり、否定したくなってしまう。特に女性には不幸だと思われていたい、見下されている方が安心します。
呪いだ、これは。わたしは女性らしくてもいいし、しあわせになってもいいのに。呪いです。戦うように、スカートを履いているのです。
まっとうな女のごとくにふるまえるのちの安堵にパンスト放る
今日は10時前には職場に着いていないといけないのに、起きたら11時20分でした。寝坊です。連絡して遅番のシフトに変えてもらおうと思いましたが、どうにもぐったりして無気力感が強く、体調不良と伝えて欠席をしました。ずる休みです。
ずる休みでしょうか。寝坊をする、という時点で体調が悪かったと言えなくもありません。数年前、休職(のち離職)した不調の発端も、朝起きられなくなったことでした。目覚めても体が動かず、それが何日も続き、日常生活がまともに送れなくなりました。そうした経験もあり、朝の目覚めの瞬間の気分は、自分の心身の健康の指針にしています。
あの頃ほどひどい状態でなくとも、少し変だな、と思う朝があります。もう一週間ぐらいひたすら寝てたいほど気怠いこともあります。日内変動によってしばらくすれば回復することもあるので、いつもは重い体を引き摺って仕事に行ってみます。職場に着いて黙々と仕事をこなし、休憩時間に同僚さん達とぺちゃくちゃしゃべっているうちに、紛れたりもします。そうやって、「あ、ダメかも」と思った日も何度か乗り越えてきました。仕事のプレッシャーやパワハラ、イジメで追い込まれていた頃に比べれば、仕事で復調できるのはどんなに幸福な境遇かと思います。
昼過ぎには倦怠感も落ち着きました。今の仕事に就いてから、休んだのは初めてです。勤怠の良さが取り柄の一つだったし、熱が出たわけでもないので自己嫌悪です。また明日からがんばれるように、今日は早く眠れるように、がんばります。
一週間仕事休めば一週間分の給金が消えてくるしい
ずる休みでしょうか。寝坊をする、という時点で体調が悪かったと言えなくもありません。数年前、休職(のち離職)した不調の発端も、朝起きられなくなったことでした。目覚めても体が動かず、それが何日も続き、日常生活がまともに送れなくなりました。そうした経験もあり、朝の目覚めの瞬間の気分は、自分の心身の健康の指針にしています。
あの頃ほどひどい状態でなくとも、少し変だな、と思う朝があります。もう一週間ぐらいひたすら寝てたいほど気怠いこともあります。日内変動によってしばらくすれば回復することもあるので、いつもは重い体を引き摺って仕事に行ってみます。職場に着いて黙々と仕事をこなし、休憩時間に同僚さん達とぺちゃくちゃしゃべっているうちに、紛れたりもします。そうやって、「あ、ダメかも」と思った日も何度か乗り越えてきました。仕事のプレッシャーやパワハラ、イジメで追い込まれていた頃に比べれば、仕事で復調できるのはどんなに幸福な境遇かと思います。
昼過ぎには倦怠感も落ち着きました。今の仕事に就いてから、休んだのは初めてです。勤怠の良さが取り柄の一つだったし、熱が出たわけでもないので自己嫌悪です。また明日からがんばれるように、今日は早く眠れるように、がんばります。
一週間仕事休めば一週間分の給金が消えてくるしい
どんと祭に行ってきました。もう人生の半分を仙台に暮らしていますが、どんと祭に行ったのは初めてです。どんと祭といえば大崎八幡宮が有名ですが、映画を観に行った帰りに寄れる陸奥国分寺薬師堂へ赴いてみました。薬師堂はわたしの宗派と同じ真言宗智山派なので、心の安らいもあります。
薬師堂に向う途中で、裸参りの人達とすれ違いました。雪もない夕べとはいえ、とても寒そうです。みんな白い紙を口に咥えていて、なにか伝統を感じます。17時頃に薬師堂に着き、わたしも長い行列に並びました。
わたしが持参したのは、震災後でとてもつらかった頃に母が買ってくれた干支の根付の御守りと、前厄の年に祈祷してもらった御札、本厄の年に買った厄除けの御守りです。本来はこういったものは一年毎に新しくするのでしょうけれど、わたしは気の済むまで持っていたくて、持っていました。そうして、もう気が済んだというか、手放すことで自分の心がすっきりするような気もして、焼納してもらいました。
焚き上げられた火は御神火と呼ばれ、あたれば一年間無病息災、家内安全の御加護を得られると言い伝えがあります。とてもあたたかい火でした。炎の揺らめきは不思議に気持ちが落ち着き、いつまでも見ていたいようでした。
地元の山形では、おさいとうという風習があります。どんと祭と似たような、正月飾りや御札、御守りなどを焚き上げる行事です。わたしの集落では、おさいとうに行くと少しの炊き込みご飯をもらえて、それをみんなで食べるのでした。あの縮こまった糸こんにゃくが妙においしくて。
似たような行事なのに、なんだかわたしはおさいとうが懐かしくて、どんと祭はよそ行きな気分です。いつまでも、よそ行きな街です。
羽黒山二四四六段上り下り母が御守り買ってくれたり
薬師堂に向う途中で、裸参りの人達とすれ違いました。雪もない夕べとはいえ、とても寒そうです。みんな白い紙を口に咥えていて、なにか伝統を感じます。17時頃に薬師堂に着き、わたしも長い行列に並びました。
わたしが持参したのは、震災後でとてもつらかった頃に母が買ってくれた干支の根付の御守りと、前厄の年に祈祷してもらった御札、本厄の年に買った厄除けの御守りです。本来はこういったものは一年毎に新しくするのでしょうけれど、わたしは気の済むまで持っていたくて、持っていました。そうして、もう気が済んだというか、手放すことで自分の心がすっきりするような気もして、焼納してもらいました。
焚き上げられた火は御神火と呼ばれ、あたれば一年間無病息災、家内安全の御加護を得られると言い伝えがあります。とてもあたたかい火でした。炎の揺らめきは不思議に気持ちが落ち着き、いつまでも見ていたいようでした。
地元の山形では、おさいとうという風習があります。どんと祭と似たような、正月飾りや御札、御守りなどを焚き上げる行事です。わたしの集落では、おさいとうに行くと少しの炊き込みご飯をもらえて、それをみんなで食べるのでした。あの縮こまった糸こんにゃくが妙においしくて。
似たような行事なのに、なんだかわたしはおさいとうが懐かしくて、どんと祭はよそ行きな気分です。いつまでも、よそ行きな街です。
羽黒山二四四六段上り下り母が御守り買ってくれたり
あっという間に今年が10日も経ってしまいました。仕事が始まれば新年気分もすっかり抜けていつもの日常です。お昼休憩の一緒になった同僚さんに「今年、良いことがあるといいですね」と言ったら、にっこりとして「私は毎日なにごともなく暮らしてゆけたらそれでいいです」というような答えが返ってきました。
ほんとうにその通り、特別な良いことなんてなくとも、平穏無事に生活できることはとてもしあわせで、十分に奇跡的なことです。あらためて気づかせてくれた同僚さんの、その謙虚さに胸を打たれたのでした。
その同僚さんのことを、わたしより少し年下くらいかな、と思っていたのですが、はっきりと年齢は聞いてないものの話の節々から察するに、思っていたよりずっと年下のようです。自分よりしっかりしているように感じていたため年齢差を意識したことはありませんでしたが、自分比を取っ払えばわたしより少し年下の35歳くらいのわけはないと思い直しました。そしてわたしは人生経験が足らずに精神が幼いままですが、実際は存外年齢を重ねています。
気がついてみれば、周りに年下の人が多くなりました。上司だってほとんどが年下ですし、短歌で勢いのある人達も、テレビですてきと思った俳優さんや女優さんも、活躍中のスポーツ選手も年下です。みんな、ちゃんとしています。逆に、自分より年上なのに言動の子供じみた人を見かけると、なんともいたたまれない気持ちになります。そのように、わたしも見られることがあるかもしれません。
いつまでも頼りない自分のままではいられないな、年相応の落ち着きが欲しいな、としみじみ思いました。
ターコイズブルーのマタニティドレス(たぶん年下)入れ違いたり
ほんとうにその通り、特別な良いことなんてなくとも、平穏無事に生活できることはとてもしあわせで、十分に奇跡的なことです。あらためて気づかせてくれた同僚さんの、その謙虚さに胸を打たれたのでした。
その同僚さんのことを、わたしより少し年下くらいかな、と思っていたのですが、はっきりと年齢は聞いてないものの話の節々から察するに、思っていたよりずっと年下のようです。自分よりしっかりしているように感じていたため年齢差を意識したことはありませんでしたが、自分比を取っ払えばわたしより少し年下の35歳くらいのわけはないと思い直しました。そしてわたしは人生経験が足らずに精神が幼いままですが、実際は存外年齢を重ねています。
気がついてみれば、周りに年下の人が多くなりました。上司だってほとんどが年下ですし、短歌で勢いのある人達も、テレビですてきと思った俳優さんや女優さんも、活躍中のスポーツ選手も年下です。みんな、ちゃんとしています。逆に、自分より年上なのに言動の子供じみた人を見かけると、なんともいたたまれない気持ちになります。そのように、わたしも見られることがあるかもしれません。
いつまでも頼りない自分のままではいられないな、年相応の落ち着きが欲しいな、としみじみ思いました。
ターコイズブルーのマタニティドレス(たぶん年下)入れ違いたり
カレンダー
プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)
連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)
連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
ブログ内検索
カテゴリー
*