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川が好き。山も好き。
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欠勤も遅刻も早退もしていないのに、先月分のお給金が先々月分より8万円ほど下がっていて絶望しかありません。

 昨日は仕事終わりにドキュメンタリー映画『港町』を観てきました。公開初日で、想田和弘監督の舞台挨拶付き上映です。あいにくの雨でしたが、たくさんの方が観に来られていたようでした。
 ナレーションもテロップも音楽もなく、ただひたすら牛窓という小さな港町の目の前の現実が淡々と映し出されるドキュメンタリーです。おしゃべりなおばあちゃん・クミさんがしゃべっていて、飄々とした老漁師のワイちゃんが魚を取ります。ワイちゃんが魚市場へ行き、魚は魚屋さんが競り落とし、魚屋のおばさんはマニュアルのトラックで配達します。魚を買うお客さん達、魚を与えられる猫達、通りがかるお墓参りのおばさん。大きな事件が起こったりはしません。けれども、流れるように出会うそれぞれの人達に、それぞれの人生があります。そうした、台本のない生の言葉や振る舞いからにじみ出るものに、ああ人間ってかなしいな(「愛しい」と書いて「かなしい」と読みたい感じ)、と思うのでした。とりわけ、クミさんの妙な意地悪さ、悪気のない押しの強さは、クミさんの長い独白とは別にして、なにか寂しく、なによりどうしようもなく人間くさいのでした。

 上映終了後は想田監督のトークや観客の質問の時間が設けられました。ざっくり覚えていることを箇条書きで。
・当初は色が重要な映画だと思っていて、特に夕暮れの色が重要だと思っていて、タイトルも『港町暮色』だった。何かが足りず、奥様の提案でカラーからモノクロに、タイトルも『港町』になった。
・牛窓を撮ったのは、ご縁。元々は奥様の親類にゆかりがあって訪れていて、そこで前作の映画を撮っていたところ、漁師のワイちゃんと出会った。ワイちゃんを撮っているうちにクミさんが映り込んできて最初は困っていたが、いつのまにか主役のようになり、ついにはポスターにまで。
・これまでの映画は、どこを入れるかカットするか最終的な決定まで編集で何パターンもあったが、『港町』は割とすんなりいった。
・テーマを決めて撮ることはない。たとえばこの映画なら漁業の衰退や一期一会などをテーマにすることができるかもしれないが、テーマを先に決めると撮るものが違ってきたり編集でそぎ落とされてしまう。とりあえず自分のおもしろいと思ったものを撮っていく。テーマは後から浮かび上がってくるもの。もし漁業の衰退というテーマが先にあったとしたら、クミさんや猫は出てこない。
・クミさんが語っていた過去について、自分はジャーナリストではないので追及はしていない。ジャーナリズムとドキュメンタリーは違う。
・人が魚を食べる場面にはなぜか巡り合えなかった。
・ワイちゃんは90代の今もご健在で漁師業も現役。

 細かい文脈は違うかもしれませんが、こんな感じでした。とても興味深かったです。
 特にテーマについては、短歌の連作の作り方に通じると思いました。自分の目で見たことや感じたことを詠んでいるうちに、歌の順番や取捨を推敲しているうちに、連作全体のテーマが浮かび上がってくるものです。もちろん先にテーマがあって歌を作ってゆく人もいるし、創作で独特の世界観を詠む人もいる中で、わたしが短歌に求めているものはドキュメンタリー性なんだな、とあらためて気づきました。



  公式サイト→http://minatomachi-film.com/

 最近あんまり感想を書いていませんが、映画はいくつか観に行っていました。そのうちいろいろまとめたいです。

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今年のゴールデンウィークは休みです。のんびり過ごすつもりでしたが、思い立って元同僚さんにお勧めしてもらっていた塩竃市の塩竃神社へ参拝してきました。近場の名所ではありますが、初めて赴きました。天気が良くて行楽日和でした。

 仙台駅から仙石線で30分くらい、塩竃駅から徒歩15分くらいで着きました。表参道の男坂を上ります。この202段の階段を上るとしあわせになれるのだそうです。お参りの後は「しあわせ御守り」を購いました。小判を模した色かたちでふくふくした綿入りの、ながめているだけでしあわせになりそうな素朴さです。おみくじは小吉でした。
 境内では小学生による国旗のある絵の展示をしていました。展示名だけ聞くと何か思想の匂いを感じるのですが、旭日旗が描かれているわけでもなく、単に憲法記念日にちなんだものでした 
 葉桜の時期だからか参拝客は思ったより少なくて、まったり過ごせました。高台の方からは海がきれいに見えました。花嫁さん花婿さんの姿は見えませんでしたが、結婚式もしていたようです。天候に恵まれてきっと良いお式だったことでしょう。



 お昼はマリンゲート塩釜内の魚長亭にて「おいしおがま丼」をいただきました。まぐろ、いくら、ほたて2種の乗って1500円。いくらの量がとても多くて、お味噌汁、昆布の小鉢、マグロの煮付けの豆鉢も付いておいしかったです。
 マリンゲート塩釜からは遊覧船が出ています。塩釜一周コースと松島まで行くコースがあり、松島まで行くことにしました。前に松島発松島一周のに乗ったのが2010年なので、遊覧船は8年ぶりです。船に乗ると一気に旅気分が増しました。波がきらきらしてとてもきれいです。船内では松島湾の島々の紹介のアナウンスが流れます。前とは違って、いくつか「東日本大震災の時には」という文言がありました。震災によって形が変わってしまったという島もありました。
 港で船を見ている子供や、海の上ですれ違う別の船のお客さん達と遠巻きに手を振り合うのもなにかうれしいものでした。



 松島はさすがに混み合っており、わたしも来たことがあるのでさらりと過ぎ、お土産屋さんをながめたり、売店の少し薄いコーヒーを飲んだりしました。
 帰りは松島駅から仙台駅へ。いっぱい歩いて少し疲れましたが、とても楽しい一日でした。

  春の海に陽は反射して少しだけふしあわせなわたしをも照らす

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さまざまな会社のカレンダー路に売る老人のゐて一つ買ひたり  花山多佳子

誰も来ぬホームのベンチ海老せんの土産一袋食べてしまいぬ  中島扶美惠

野の道はそれからずっと続きおり悲しんだことを忘れた時も  山下泉

冬昼の千手観音立像がわたしの方へ向けてくれる手  永田愛

ひとりならどうするのかと思いおり君の背中に薬ぬりつつ  本間温子

雨の日はイオンモールを歩きなさいかかりつけ医の指示にて歩く  川田伸子

五年日記買つてしまひぬ子を亡くしおぼおぼと暮らす八十のわれ  野島光世

雪を寄せ雪を運べる労力を惜しみなく使い冬を越えゆく  石井夢津子

これからの介護の果てを一言も触れずみかんを剥いて食べたり  小圷光風

水引の結び目が好きうつくしく年賀の菓子箱まだ棄てられず  立川目陽子

まっすぐに我に向かいて来たと思う水鳥すっと逸れゆくまでは  林泉

クリマスイブだねとわがロボットがやさしき声で一度だけ言う  宮地しもん

しんみりとしていしが乗り換え駅で「パンが食べたい」と一言いえり  荒井直子

ゆき違ひのため停車する駅のありされど扉の開かれぬ駅  杉本潤子

初売りのフロアに流れる「春の海」入れ歯になっても吹きたい曲だ  澤端節子

草刈り機だけ残りたる農機具の倉庫はからっぽ私もからっぽ  金原華恵子

除雪作業後の毛糸の帽子と手袋を置く場所なりしピアノの上は  西内絹枝

独りでも楽しく暮らせるものならば吾もなりたい一つの独楽に  ジャッシーいく子

たまらなく福祉の仕事に戻りたい 時々思い時々思わず  奥山ひろ美

見たものをすぐに描きたい七歳は長谷の大仏を箸袋に描く  吉田京子

硝子扉のなかには白き背表紙のならびて冬の部屋が明るむ  中田明子

けふ一日われに声かけくれし人みな他人なりおぢいさんなり  友成佳世子

餅ならば五個食べる児が朝食の半膳のご飯持て余しおり  布村千津子

お前実はなんでもできるんやって英文、秋のマクドの壁に  廣野翔一

ホームまでもたないほどのコーヒーのあたたかさ でも君に贈った  小松岬

別れることはもうないような気分もて列車を降りる冬ざれの午後  木村陽子

スコップが畑の真中に立ったまま晦日は暮れるし牛蒡は抜けぬ  高原さやか

おとうとの部屋を通りて毛布干すハンターハンターのその後訊きつつ  篠野京

死に近き叔父は新年迎うるを最後の晴れと待ち望みたり  金原千栄子

書留は割高ですと窓口で三度言はれて三度うなづく  山縣みさを

***

敬称略。老いの歌と農の歌に惹かれる傾向があるようです。
「特集 歌集の作り方」も、とても興味深く読みました。

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金銭管理は割としっかりしている方だと思います。支出の帳簿を付けていて、ひと月の予算を決め、お金を下ろすのは月に一回です。収入から予算を引いた額を貯金して、細々とお金を貯めてきました。

 これまで節制ぶりに反し、この頃は財布の紐がやたらゆるいです。環境が変わったことで、出費が思いのほかあったのです。自分の欲しいものなら我慢ができますが、自分の意思と関係なく必要なものはそうはゆきません。あれも買わなきゃ、これも買わなきゃ、とやっているうちに、少し麻痺してきました。今まで通りだったら買わなくてよかったものであるということに憤りを感じ、今まで一生懸命に計算して貯蓄していた日々はなんだったのか、と空しくなってゆきました。
 輪をかけて、気疲れからか滅多に出ない熱を出してしまいました。寝込むわけにはいかないので薬を買ったり、食欲や食事作る気力がなくてもとにかく食べなきゃとコンビニ弁当などを数日買いました。自炊だったらその半額もしないでしょう。

 必要なものはどんどん増えてゆきます。あれも買わなきゃ、これも買わなきゃ、とやっているうちに、あれも買っちゃえ、これも買っちゃえ、と今まで控えていたようなものまで買ってしまっています。こけしクリップ、エクレア、ブロッコリーと海老のサンド、その他いろいろ。
 読み終えないまま次から次へと本も買ってしまいます。どうせ貯まらなくなるのだから何か一発当ててやれと「公募ガイド」、図書館で読んだけど所持したくなってきちゃった!と津村記久子『婚礼、葬礼、その他』、あ、エッセイも読みたいと津村記久子『やりたいことは二度寝だけ』、山川藍歌集『いらっしゃい』も元々読みたかったけど津村さんの帯が決定打に。近藤ようこさんが帯を書かれていたので、中身も見ずに齋藤なずな『夕暮れへ』も買ってしまう、漫画を買うのも3年ぶりくらい。自分を見つめなおしたくビジネス新書も買うのです、岡田尊司『回避性愛着障害 絆が希薄な人たち』。もう次から次へとです。

 ずっと、我慢ばかりしてきました。物だけじゃなく、言葉や心もです。どれだけのものを飲み込んで今の現実に流れ着いたでしょう。わたしの人生なのだもの、誰も何も慮ることなく、好き勝手に生きればよかった。そうしたら、たとえうまくいかなかったとしても、後悔はしなかったのに。
 と、反動のように半ばやけくそに散財してみたところで、本はともかく買い食いなどはやっぱり「あああ、親子丼なんて自分で作ったら100円もかからないのに」と、それなりに悔いは押し寄せるのでした。

  しあわせは「施設へ入居する金が貯まって老後が安泰」のこと


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退職前、一人の同僚さんに、失業手当をもらいながらのんびり短時間のアルバイトをしていた頃の話を聞きました。自分の考えがあってそうしていたのに一緒に働いていたおばさん達には全く理解されなかった、と言っていました。その同僚さんは、わたしと同世代の一人暮らしの女性です。
 ほんとうに、働き方は人それぞれ。女性が輝く時代!と謳われて、出世したいのに結婚や妊娠でキャリアが築けないことを不公平だと嘆く女性の声も大きく聞こえます。けれども、みんながみんな仕事で輝きたいわけではないでしょう。今のわたしは、心身ともに無理せずに割り切って働けて、ちゃんと暮らしていけるくらいのお給料がもらえればそれでいいです。もし生活に困らないほどお金があったとしても、浮世離れしないように少し働いて社会と繋がっていたいとも思います。
 以前、変に動かなければ受給できたはずの失業手当を、焦って無理に再就業したらやっぱり無理で、結局ちゃんと受給できなかった、という苦い経験があるので、彼女の話を興味深く聞きました。今後そのような機会があったら参考にしたく思います。
(当時の失業手当をめぐるいきさつはこちら→2014/11/14 その日記に添えた歌の、解散せしバンドとは野狐禅のことなのですが、竹原ピストルさんは今ソロで活躍されていてうれしいです。歌自体はもっと前の解散直後に詠んだものでした。)

 あの頃、焦って無理して就業して、結局休職して退職した施設に、今は別の知り合いが勤めているということを最近知りました。当時は直雇用でしたが、今は業者に委託しているとのことで、その委託業者に知り合いが所属しているのでした。よって、当時の直雇用の職員の誰も残っていないそうです。耳をふさぎたくなるような下品な話ばかり飛び交うなどの当時の惨状を思えば、そりゃあ業者に委託するだろうな、と納得もするのでした。今はとてもいい人達ばかりとのことです。解雇された人達はどうなったんでしょうね。誰の人生も、先が見えないものだなと思いました。

  十二階トイレ窓からお隣りのビルの会議が見ゆ薄曇り

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退職しました。退職すると決めたのはわたしなのに、どうして退職することになってしまったのか自分でもよくわからなくて、まだ気持ちが着いてゆけません。そうした運びが決まってから、ずっと落ち着かない日々を過ごしてきました。

 1年半ほど勤めました。当初は去年の春まで、と聞いていたのですが業務が延長になり、わたしは予定より1年ほど長く勤めました。今までくり返し読んでほとんど暗記しているマニュアルも、パソコンの独特な社内システムも、もうわたしとは関係ないんだな、と思うと寂しくなりました。休憩室の窓から、遠くに山の上の観覧車が見えるのも好きでした。仕事とは別なところで、平日のシフト休みに映画に行くのも楽しみの一つでした。
 思いのほかたくさんの人が惜しんでくださって、上司の方々にも同僚さん達にもたくさんのうれしい言葉をいただきました。これまでの人生でこんなに惜しんでもらえたことってなかったんじゃないかってくらいです。ほんとうにありがたいです。

 上手に生きられるようになりたい。この頃ずっと考えています。人生は思い通りにゆかないものだし、後悔するようにできていると藤沢周平も『蝉しぐれ』で書いているけれども、それでもわたしはもう少し自分次第でなんとかできるんじゃないか、そんな気がしてしまうのでした。

  ありがとうだけでは生きてゆけないね紐を引かねば点かない灯かり

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先週、突発的に帰省してきました。実家へは車で直行すれば2時間もかからないのですが、公共交通機関を使うと乗り換え乗り換え乗り換え乗り換えで、しかも地元の町には駅がなく、実家から一番近いバス停さえ徒歩40分という有様なので、車のないわたしはどうにも帰るのが億劫になりがちです。
 終点はずっと遠くですが、地元の隣町で途中下車できる高速バスがあったので、今回はそれに乗ってみました。乗り換えが少ないというだけでもかなり楽でした。

 3月の山形はまだ肌寒く、冬用のコートで十分なくらいでしたが、それでも雪解けで春めいていました。
 実家では特に何をすることもなく持参していた塔3月号と夏目漱石『行人』を読み、ご飯を作り、犬の散歩をし、あとはひたすら92歳の祖母としゃべっていました。祖母は週に一度のデイサービスがとても楽しいようで、相変わらず元気いっぱいでした。でも、「いつまでも長生きしやがって」と疎まれているという被害妄想になぜか囚われているのが妙におかしかったです。

 実家には、なにかとてもあやしい電位治療器があります。母が、スーパーの駐車場で行っていた無料体験のセールストークに乗せられてついに購入したらしいのです。通っていると聞いた時から、あやしい、悪徳商法ではないかと注意していたのに……。ネットでちょっと検索すればいろいろ悪いうわさが出てきますが、田舎だとこうした変な販売方法も娯楽めいて盛り上がってしまうのかもしれません。みんな集まって楽しいように通っているうちに、販売員と変な信頼関係も芽生えてしまうのでしょう。それにしたって浪費壁のある母ではないのに、こんなものに引っかかるなんて。
 なんでこんな高額な機器を買ったのか咎めましたが、母は「私がいいと思って買ったんだからいいんだ」と譲りません。本人が満足しているなら騙されているうちには入らないのでしょうか。とはいえプラシーボ効果にしたって高額過ぎです。
 そんなあやしいものを買うくらいならそのお金をわたしにくれればよかったのに、とぼやいたら、母は笑っていました。そうして、わたしにもその機器を使うことを勧めてくるのでした。

  家にもうお金がないと通帳を二冊投げつけ母の嗚咽は


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水槽を透かして床に届く陽のなかに金魚の影あわく浮く  松村正直

妹の電話の声は母に似てときおり掛けぬ冬の炬燵で  栗山繁

子の命ずるままにうつ伏し子の登る山と化すわれは出勤前に  澤村斉美

ああ心じかんは冬であるばかり 公民館の庭おほふ雪  松木乃り

人生の最良の日がくだらない日々の中にも罠のようにある  山口蓮

止められて電気料金借りにくる隣の人の皺のてのひら  斎藤雅也

午前二時視力がだんだん落ちてきてああこの人の歌は読みにくい  石井久美子

いいよいいよと言いても謝り来る人の暴力に似た眼差しを受く  金田光世

中央線「武蔵小金井」ゆふぐれてわが子の他に知り人あらず  澄田広枝

学校を休んでいる子と食べに行く味一番なり替え玉を頼む  宇梶晶子

手はきっと言葉以上にわたしだからあなたの髪を撫でていたかった  佐藤浩子

冠はシロツメクサでつくったの世界はあたしのものだったのよ  真間梅子

新しき年は良い年さう決めて向日葵色の手帳を買ひぬ  鈴木むつみ

ストーブの上の鍋からよそわれて蕎麦屋でいただく昆布の佃煮  吉田典

でかい方くれよとふ声聞きたきにまづは小さき蜜柑差し出す  川田果弧

われ以外みな連れのあり喋りつつ初日を見んと橋へと急ぐ みぎて左手

いもうとがいておとうとがいてわたしテレビの前に夕ぐれはきた  落合優子

リニューアルオープンカフェに一人用の椅子が増えいし鳥を待つごと  泉みわ

うすくふくらんだ手編みのセーターにアネモネは咲き ひと挿しもらう  北虎叡人

定刻に来ることあらぬバス停に芒の穂群さわさわと揺る  松尾桂子

生きているか死んでいるかもわからない暴力教師を今でも恨む  山上秋恵

この時候お一人様を引き受ける宿のないこと分かっていたり  シャッシーいく子

ま白なる冬のかぶらはみづみづとだし煮の中にすきとほりゆく  鈴木伊美子

踏切りを渡りて今朝も遇う人と会釈などせずすれ違いたり  村﨑京

いい男の子は結局つまらないかも知れないぞ父のようにだ  井上雅史

両親の居ぬ故郷に来て雪降れば帰りの便まで映画館に過ごす  林雍子

眼科外来けふも多かりゆづりあひ四人掛け椅子に五人が座る  千葉なおみ

寺山より流るる夕のメロディーは寂しすぎると投書のありき  山﨑惠美子

休日の一つの窓を二人で見る降つてきたとか晴れてきたとか  森尾みづな

十時には「真夜中」が来て鶴も人も静かに眠る冬の出水は  伊地知樹里

***

敬称略。3ヶ月は続けてみようと思い、3ヶ月になりました。続けるかどうかは未定です。今さらながら30首選はちょっと多いような気もしました。

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また、仕事中に電話口で訛りを指摘されてしまいました。さすがに仕事中に「んだ」とか「だべ」とか方言丸出しではないので自分では標準語をしゃべっているつもりですが、どうにもアクセントにクセがあるようです。時には「何を言っているかわからない」「あなたとは話が通じないから訛りのない人に代わってほしい」「NHKのアナウンサーを見習って正しい発音を身に着けろ」「正しい日本語も使えない奴が仕事するな」等々のクレームに繋がってしまうこともあります。特に、関西圏の方々には耳障りのようです。

 訛ってるとは言われても、わざとそうしているわけではないため、どこがどう聞き苦しいのか自分でよくわかりません。上司に相談した際は、ゆっくり話す必要はあるけれどあまり気にしなくてもいいのでは、との返答でした。仕事はそれなりにこなせているので、大きな問題ではないのでしょうか。けれども、やっぱり苦言を呈されることがあるため、気にしてしまいます。

 みんなに不評というわけではなくて、「懐かしい気分になった」「ふるさとは大事よ」などのお声をいただくこともあります。たまたまその人になじみのある地方だったりすると、割と好意的に受け止めてもらえるのかもしれません。

 思えば、ここ数日の目下の考え事である、どうしてわたしは自分の心に嘘をついてしまったんだろう、ということも、東北の訛り言葉に郷愁をそそられたことが一因のような気がしてきました。これがクセのない標準語だったり自分とは全く無関係の地方の方言で頼まれたのだったりしたら、流されなかったかもしれません。
 訛りは欠点にも武器にもなり得るのだと思いました。

  ふるさとの訛りひどしとのクレームへ謝るほかにない電話口

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やっぱり山本周五郎が読みたくなり、ここ最近の気分で『野分』を読み返しました。(結末まで書いてしまいますので未読の方はご注意ください。)

 職人気質の祖父と暮らす下町娘・お紋は、大名の庶子に生まれた若殿・又三郎と心を通わせます。又三郎は町人としてお紋や祖父・藤七老人と人間らしく正直に生きてゆきたいと思うようになります。けれども情勢の変化で父の後を継ぐことになり、残された唯一つの夢としてお紋を妻として貰いたい、と藤七老人に懇願します。
 藤七老人は、又三郎の真意をお紋に伝えず、お紋と共にその地を立ち退いてしまいます。
 ある日、お紋は昔の同僚と再会し、又三郎が(正式にはよそから奥方を迎えなければいけないけれど)お紋を生涯の心の妻と決めて恋しがっている、振るなんてあんまりだと責められます。お紋は「あたし若さまが好きだったのよ、若さまの気持さえ本当なら、お部屋さまだってよかった、一生お側で暮らせるならお端下にだって上ったわ、それなのにお祖父さんはあんなひどいことを云って、あんなひどいことを」嘘をついた藤七老人を問い詰めるのでした。
 藤七老人は、腰から手拭を取り、両の目を押しぬぐいながら云います。
「若さまはいまお糸さんの云う通り仰しゃった、他から奥方は貰うが、身も心もゆるす本当の妻はお紋ひとり、生涯変わるまいと仰しゃったんだ」
「……だがお紋、おらあ考えた、本当の妻になって、生涯可愛がってもらえるおまえは、しあわせだろう、けれどもそれじゃあ奥方になって来る方が気の毒じゃあないか、お大名そだちだって人の心に変りはない筈だ、一生の良人(おっと)とたのむ人が自分には眼も向けず、同じ屋敷のなかでほかの者をかわいがっているとしたら、どうだ、悲しくも辛くもねえか、平気で一生みていられるか」
「そんなむごい、不人情なことに眼をつむる訳にはいかねえ、人に泣きをみせてまで、自分の孫を仕合せにしたかねえ」
 それは、藤七老人の江戸っ子としての意地でした。そうして「……あたしだって江戸っ子だわ」と、お紋は祖父の思いを汲み、又三郎に居場所を知られないようにふたたび引っ越してゆくのでした。

 わたしはこうした山本周五郎の人情ものがとても好きで、初めて読んだ時にはあまりにいじましくて、せつなくて、涙が止まらなかったのを覚えています。ほんとうに、なんてうつくしい物語かと思います。
 ただ、最近になって考えるのは、このような生き方をして、お紋その人はしあわせになれるのだろうか、ということです。物語の主人公ならばこうして読者が心に寄り添うことができます。けれども、生身の人間が、自分の心を押し込めて義理や人情を優先したところで、誰が見ていてくれるでしょう。現実には、他人の事情などお構いなしに誰に迷惑をかけようと自分に正直に生きている人の方が、最終的にはしあわせをつかんでいるような気がします。お人好し過ぎては人生を損してしまうだけなのでは、と、初読の時には芽生えなかった思いが、自分の来し方も振り返りつつ浮かぶのでした。
 『野分』は新潮文庫の『おごそかな渇き』という短編集に収録されています。その中の『将監さまの細みち』も、だめな夫に心身疲弊していたところに真面目で自分を思ってくれる幼なじみが現れて、結局は夫と共に生きることを選ぶあたりがもう山本周五郎で、人間というものがなんともかなしく思われるのでした。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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