川が好き。山も好き。
内々の忘年会でした。いつもは独身女子の集まりで、仕事の話になりがちなのですが、今日はほとんど働いたことがないという人も参加でした。一度も働かずにご結婚されてずっと専業主婦でお子さんが独立して初めて働いた、という人の話を聞くと、そういう人生もあるのか、と別な世界のようです。そういう人生もあるのか。
今までにも何人か、お子さんが大きくなるまでずっと仕事をしていなかったという人と仕事で接したことがありますが、独特な浮世離れしたような感覚が共通してあるような気がします。基本的にはみんな良い人で、自分が肯定されていることにとても慣れているような印象です。お子さんを育て上げたということが大きな自信にも繋がっているのでしょう。
仕事においては独特な傾向があって、昔、わたしが病気になって仕事を辞めるほどに追い詰めてきたのも、元専業主婦の50代のパートさんでした。精一杯気を遣っていたつもりでしたが、年下のわたしに指示をされるのに抵抗があったのかもしれません。あれ以来わたしは、部下を持つような仕事はしていません。
きっと、みんな家では良いお母さん、良いお祖母ちゃんなんだろうなとは思うのです。
こうした集まりの場で仕事をしなくて生きてこれた人の話を聞く分には、その優雅さ、圧倒的なな自己肯定感がまぶしくも見えるのでした。わたしを含め他の面々は、生活のために働いていて、働かなくては生きていけなくて。働いて社会と繋がることで見えてくるものはたくさんあるので、たとえば、この日曜日、年末年始に街へ出ればお店の人はたくさんの人が休みの時期にお店の仕事をしているのだ、大変だなあお疲れ様です迷惑な客にならないように気を付けようと思いやれることとか、いろいろ自分の心のためにもわたしは働いていたいようにも思うのでした。
一人が待ち合わせ場所を間違えて迎えに行ったついでに、光のページェントを見られました。明日で終了だった気がするので、すべり込みです。見る気になればいつでも見に来れるのに、いつでも見に来れると思うと見に来なくなっていたのでした。やっぱりきれいです。たくさんの人が居て混み合っていました。ここに居るみんなが楽しそうでした。
落葉樹常緑樹並び立つ道に冬でなければ気づかなかったな
今までにも何人か、お子さんが大きくなるまでずっと仕事をしていなかったという人と仕事で接したことがありますが、独特な浮世離れしたような感覚が共通してあるような気がします。基本的にはみんな良い人で、自分が肯定されていることにとても慣れているような印象です。お子さんを育て上げたということが大きな自信にも繋がっているのでしょう。
仕事においては独特な傾向があって、昔、わたしが病気になって仕事を辞めるほどに追い詰めてきたのも、元専業主婦の50代のパートさんでした。精一杯気を遣っていたつもりでしたが、年下のわたしに指示をされるのに抵抗があったのかもしれません。あれ以来わたしは、部下を持つような仕事はしていません。
きっと、みんな家では良いお母さん、良いお祖母ちゃんなんだろうなとは思うのです。
こうした集まりの場で仕事をしなくて生きてこれた人の話を聞く分には、その優雅さ、圧倒的なな自己肯定感がまぶしくも見えるのでした。わたしを含め他の面々は、生活のために働いていて、働かなくては生きていけなくて。働いて社会と繋がることで見えてくるものはたくさんあるので、たとえば、この日曜日、年末年始に街へ出ればお店の人はたくさんの人が休みの時期にお店の仕事をしているのだ、大変だなあお疲れ様です迷惑な客にならないように気を付けようと思いやれることとか、いろいろ自分の心のためにもわたしは働いていたいようにも思うのでした。
一人が待ち合わせ場所を間違えて迎えに行ったついでに、光のページェントを見られました。明日で終了だった気がするので、すべり込みです。見る気になればいつでも見に来れるのに、いつでも見に来れると思うと見に来なくなっていたのでした。やっぱりきれいです。たくさんの人が居て混み合っていました。ここに居るみんなが楽しそうでした。
落葉樹常緑樹並び立つ道に冬でなければ気づかなかったな
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せんだいメディアテークにて「細倉を記録した寺崎英子のまなざし展」を観てきました。昨年のモノクロ編に続き2回目の鑑賞です。今年はカラー編。かつて、宮城県北西部に細倉鉱山という鉱山がありました。鉱山の閉山が決まってから、その後の細倉とそこに暮らす人々の行方を撮影した写真展です。
写真という表現方法の記録性にずっと惹かれているのですが、寺崎さんの写真は「ああ、この表情を、この光景を残しておきたかったんだ」って納得するようなところがあって、写真を見ながら寺崎さんの目線に自分が重なる感覚になります。展示名に「まなざし」という言葉が選ばれているのがわかります。
寺埼さんは短歌や俳句も詠まれていたようで、ノートも展示されていました。そちらももっと読みたいと思いました。残しておきたいものを記録すること、場面を切り取るということなどは写真と短歌・俳句に共通するのかもしれません。
わたしは最近、これからは叙景歌を詠んでゆきたいなと思っていて、すぐその場で詠めればいいのだけれど、なかなかすぐ言葉にならないこともあるので「あっ、歌だ!」と思った時に写真を撮っています。
歌の良し悪しは別として、後でちゃんと歌にすることもあるし、歌にならない時もありますが、自分の心に「あっ」と思った瞬間の写真が残ってゆくことがうれしくもあるのでした。写真の良し悪しは別として。
写真という表現方法の記録性にずっと惹かれているのですが、寺崎さんの写真は「ああ、この表情を、この光景を残しておきたかったんだ」って納得するようなところがあって、写真を見ながら寺崎さんの目線に自分が重なる感覚になります。展示名に「まなざし」という言葉が選ばれているのがわかります。
寺埼さんは短歌や俳句も詠まれていたようで、ノートも展示されていました。そちらももっと読みたいと思いました。残しておきたいものを記録すること、場面を切り取るということなどは写真と短歌・俳句に共通するのかもしれません。
わたしは最近、これからは叙景歌を詠んでゆきたいなと思っていて、すぐその場で詠めればいいのだけれど、なかなかすぐ言葉にならないこともあるので「あっ、歌だ!」と思った時に写真を撮っています。
歌の良し悪しは別として、後でちゃんと歌にすることもあるし、歌にならない時もありますが、自分の心に「あっ」と思った瞬間の写真が残ってゆくことがうれしくもあるのでした。写真の良し悪しは別として。
わたしの12月はどこへ行ってしまったのでしょう、いつのまにか月末です。塔12月号が届いておりますが11月号を読みます。敬称略。
蝉は鳴くあの時母にひどいことを言はずにをれなかつた私に 久岡貴子
お母様との複雑な関係が見える一連から。ひどいこととわかっていても言わずにおれなかったのは、それだけ我慢ならないことがあったのでしょうし、他人ではなく母だから我慢せずに言えたのでしょう。それも過去のこと。耳を突くような蝉の声。何があったのかを明確にはせず「あの時」としたことで、憤りが母でなくあの時の自分に向いていることが際立っているようです。
亡き父に君を会わせて「良い女を見つけたなあ」と褒められたかった 杜野泉
「女」に「ひと」のルビは好みが分かれるような気もするのですが。親に褒めてもらいたいという、子供の絶対的願望をいくつになっても持ち続けているいじましさ。自分の人を見る目をきっと褒めてくれただろうというお父様への信頼と、褒められるような奥様であるという愛情も感じられます。
嫁になり姑になりて寡婦となる やうやく春の日祖母となりたり 伊藤陽子
肩書きのみを畳みかけることで女性の人生を語り、それぞれ変わりゆく際に付随したであろう物語が大胆に省略されています。そして一字を空けてのゆったりした下の句に、今の充実が伺えます。「祖母」となるのは健やかに歩まれた人生の着地点でしょう。これらの肩書きのほとんどと縁のなさそうなわたしもどうなんだろう、ということも考えらせられるのでした。
転がつた踊り手もをり盆踊りは今年かぎりと発表されて 岡本伸香
代々続く地域の盆踊り大会が、楽しみに、大切にされていたのが伝わります。「転がつた」というのが、ショックで腰を抜かしたようでもあるし、ズコーってなっちゃったようにも読めて、寂しくも愛嬌があります。ここまで愛される盆踊りもすばらしいなと思いました。
一貫づつ分けあふことのうれしさよ次は帆立の回り来るを待つ 大堀茜
回転寿司の歌。一貫ずつ食べればたくさんの種類を食べられるのがお得、というような現実的な喜びだけでなく、一皿を二人で分け合えること、同じものを共有できることのうれしさ。他のネタも当てはめてみて、やっぱり「帆立」なのが良いなあと思いました。
11月号はオウムの死刑執行にまつわる歌と、生産性の歌が多くて興味深かったです。特に生産性の歌はどなたのもせつなくて。
蝉は鳴くあの時母にひどいことを言はずにをれなかつた私に 久岡貴子
お母様との複雑な関係が見える一連から。ひどいこととわかっていても言わずにおれなかったのは、それだけ我慢ならないことがあったのでしょうし、他人ではなく母だから我慢せずに言えたのでしょう。それも過去のこと。耳を突くような蝉の声。何があったのかを明確にはせず「あの時」としたことで、憤りが母でなくあの時の自分に向いていることが際立っているようです。
亡き父に君を会わせて「良い女を見つけたなあ」と褒められたかった 杜野泉
「女」に「ひと」のルビは好みが分かれるような気もするのですが。親に褒めてもらいたいという、子供の絶対的願望をいくつになっても持ち続けているいじましさ。自分の人を見る目をきっと褒めてくれただろうというお父様への信頼と、褒められるような奥様であるという愛情も感じられます。
嫁になり姑になりて寡婦となる やうやく春の日祖母となりたり 伊藤陽子
肩書きのみを畳みかけることで女性の人生を語り、それぞれ変わりゆく際に付随したであろう物語が大胆に省略されています。そして一字を空けてのゆったりした下の句に、今の充実が伺えます。「祖母」となるのは健やかに歩まれた人生の着地点でしょう。これらの肩書きのほとんどと縁のなさそうなわたしもどうなんだろう、ということも考えらせられるのでした。
転がつた踊り手もをり盆踊りは今年かぎりと発表されて 岡本伸香
代々続く地域の盆踊り大会が、楽しみに、大切にされていたのが伝わります。「転がつた」というのが、ショックで腰を抜かしたようでもあるし、ズコーってなっちゃったようにも読めて、寂しくも愛嬌があります。ここまで愛される盆踊りもすばらしいなと思いました。
一貫づつ分けあふことのうれしさよ次は帆立の回り来るを待つ 大堀茜
回転寿司の歌。一貫ずつ食べればたくさんの種類を食べられるのがお得、というような現実的な喜びだけでなく、一皿を二人で分け合えること、同じものを共有できることのうれしさ。他のネタも当てはめてみて、やっぱり「帆立」なのが良いなあと思いました。
11月号はオウムの死刑執行にまつわる歌と、生産性の歌が多くて興味深かったです。特に生産性の歌はどなたのもせつなくて。
『鈴木家の嘘』を観てきました。野尻克己監督作品、出演は岸部一徳さん、原日出子さん、木竜麻生さん、加瀬亮さん、岸本加世子さん、大森南朋さんなど。
突然自死してしまった引きこもりの兄、ショックで意識を失った母は、意識が戻った時に兄の死を忘れていました。母の笑顔を守るため、咄嗟に兄はアルゼンチンに行っていると嘘を吐き、その嘘を守るため、家族親せき一同は奮闘するのでした。
家族の確執や喪失と向き合うホームドラマで、やはり死が絡んでいるので重めになりがちなテーマながら、コメディふうでもあって、なにか不思議な味わいでした。それぞれ個性のある役柄ですがキャストが、とてもハマっているんじゃないでしょうか。木竜さんと加瀬さんは実年齢が20歳離れているのに兄妹役って。あんまり気にならないのは出番が少ないとか、加瀬さんが若く見えるとかもありますが、何より役に合っているからなのでしょう。個人的に、引きこもりの男兄弟という設定が他人事でなく、いろいろ思いながら観ました。あと、チェ・ゲバラのTシャツが欲しくなりました。
公式サイト→http://suzukikenouso.com/
突然自死してしまった引きこもりの兄、ショックで意識を失った母は、意識が戻った時に兄の死を忘れていました。母の笑顔を守るため、咄嗟に兄はアルゼンチンに行っていると嘘を吐き、その嘘を守るため、家族親せき一同は奮闘するのでした。
家族の確執や喪失と向き合うホームドラマで、やはり死が絡んでいるので重めになりがちなテーマながら、コメディふうでもあって、なにか不思議な味わいでした。それぞれ個性のある役柄ですがキャストが、とてもハマっているんじゃないでしょうか。木竜さんと加瀬さんは実年齢が20歳離れているのに兄妹役って。あんまり気にならないのは出番が少ないとか、加瀬さんが若く見えるとかもありますが、何より役に合っているからなのでしょう。個人的に、引きこもりの男兄弟という設定が他人事でなく、いろいろ思いながら観ました。あと、チェ・ゲバラのTシャツが欲しくなりました。
公式サイト→http://suzukikenouso.com/
第6回現代短歌社賞、佳作をいただいておりました。現代短歌12月号に阿木津英さんの選による10首抄が掲載されております。
ひっそり応募していたのですが、わたしは賞をいただくようなタイプではないとずっと思っていて、結果のことはあまり気にしていませんでした。思いがけず選考座談会にも取りあげていただき、あたたかい評も厳しい評もとてもありがたいです。歌がうまくならないと、と思いました。
今年の初め頃、某所から既発表作より100首提出して欲しいという書面が届きました。いろいろ謎だったのでそれは放っておきつつ、100首って薄い歌集くらい?と、自分の歌を100首選ぶということに興味を持ちました。
秀歌を100首集めるより、わたしの場合は物語を見せた方がいいように思いました。けれど、いざ並べてみると100首ではうまく季節がめぐらないのです。ふと、現代短歌社賞の募集要項が目に留まりました、――300首。そんな流れでした。
構成する作業は割と楽しかったのですが、あらためて自分の歌を読み返すと、かなしいような恥ずかしいような気持ちになります。こういう歌ができてしまった。こういう歌ができてしまうように生きてきてしまった。わたし自身に問題が無ければ起こらなかったことも、わたし自身の人格によって招いてしまったことも、きっとたくさんあるでしょう。自分を見つめなおさなければ、ということを考えています。そうして、しあわせな歌や優しい歌を詠んでゆければ。
ひっそり応募していたのですが、わたしは賞をいただくようなタイプではないとずっと思っていて、結果のことはあまり気にしていませんでした。思いがけず選考座談会にも取りあげていただき、あたたかい評も厳しい評もとてもありがたいです。歌がうまくならないと、と思いました。
今年の初め頃、某所から既発表作より100首提出して欲しいという書面が届きました。いろいろ謎だったのでそれは放っておきつつ、100首って薄い歌集くらい?と、自分の歌を100首選ぶということに興味を持ちました。
秀歌を100首集めるより、わたしの場合は物語を見せた方がいいように思いました。けれど、いざ並べてみると100首ではうまく季節がめぐらないのです。ふと、現代短歌社賞の募集要項が目に留まりました、――300首。そんな流れでした。
構成する作業は割と楽しかったのですが、あらためて自分の歌を読み返すと、かなしいような恥ずかしいような気持ちになります。こういう歌ができてしまった。こういう歌ができてしまうように生きてきてしまった。わたし自身に問題が無ければ起こらなかったことも、わたし自身の人格によって招いてしまったことも、きっとたくさんあるでしょう。自分を見つめなおさなければ、ということを考えています。そうして、しあわせな歌や優しい歌を詠んでゆければ。
母から電話がありました。実家の固定電話が鳴って数コールで切れたそうで、わたしからだったのかの確認でした。わたしではないと伝えたところで、「何してたの?」と聞かれたので、「昭和天皇の本を読んでたよ」と答えました。平成の時代ももうすぐ終わるということもあり、あらためていろいろ知りたくなったのです。先日『神宮希林』を観て、伊勢神宮の祭祀など様々な儀式が伝承されてゆくということに惹かれたというのもありました。
わたしが答えるなり「そんなもの私は読まない」と一蹴されました。
いつもの何気ない会話の流れでしたが、「ああ、こういうところだ」と思いました。こんなふうに何気なく、子供の頃からずっと否定の言葉を浴びてわたしは育ってきたのだ、と思いました。
ひこうき雲を見ました。見たこともない太さで、その力強さは空を分断しているかのようでした。少し歩くと、ひこうき雲の先が見えました。そこは空き地で、景色が開けていたのです。
少し前までは、老朽化した大きな集合住宅が建っていました。ひと月ほどかけながら、ゆっくり壊されてゆきました。空き地になってから数月経ち、立ち入り禁止の柵の中に、小さな昼顔がいくつか咲いています。他の空き地がそうだったように、ここにもそのうち新しい建物が建つでしょう。きっと今だけ咲いている花が、なんだか愛おしいです。
また家が壊されている十五年わたしが通った道だ、一人で
わたしが答えるなり「そんなもの私は読まない」と一蹴されました。
いつもの何気ない会話の流れでしたが、「ああ、こういうところだ」と思いました。こんなふうに何気なく、子供の頃からずっと否定の言葉を浴びてわたしは育ってきたのだ、と思いました。
ひこうき雲を見ました。見たこともない太さで、その力強さは空を分断しているかのようでした。少し歩くと、ひこうき雲の先が見えました。そこは空き地で、景色が開けていたのです。
少し前までは、老朽化した大きな集合住宅が建っていました。ひと月ほどかけながら、ゆっくり壊されてゆきました。空き地になってから数月経ち、立ち入り禁止の柵の中に、小さな昼顔がいくつか咲いています。他の空き地がそうだったように、ここにもそのうち新しい建物が建つでしょう。きっと今だけ咲いている花が、なんだか愛おしいです。
また家が壊されている十五年わたしが通った道だ、一人で
小さなるクツ下ばかりがおとなりの竿にさがりてみとれてしまふ 大橋智恵子
小さな靴下はほんとうにかわいい。そして靴下に包まれる幼子の小さな足も。こんなにかわいく思えるのは庇護欲ゆえでしょうか、母性ゆえでしょうか。竿に干してある光景を浮かべただけでも心がほわほわします。靴下の造形だけでなく、人が生まれ育って結ばれて新たな命を繋いでゆく営みの、その健康さにみとれてしまうのかもしれません。
超がつく喫煙者たりし父の言「たばこを吸わぬ男はつまらん」 中村蓉子
逆にわたしが超嫌煙者なので気になってしまった歌。 まして、たばこは嗜好品なので吸うも吸わないも他人がとやかく干渉するものではないと思い、口を噤んでいるからこそ。この徹底的な相容れなさを興味深く思うのでした。
美味しいが二度と立ち寄らぬ定食屋ハローワークの最寄の駅の 尾崎智美
二句目の字余りに思いの強さが表れていて、読む時に引っかかってもたつくのが就職活動の紆余曲折を思わせるような気もするのでした。不安なハローワーク通いの日々の中でも、名残惜しくなるような楽しみを見つけていたということ。美味しい食事に心救われた時も、きっとあったのでしょう。
朝覚めずあの世に行きたい願望の卆寿の人は今日も元気だ 高木節子
願い叶わず目覚めてしまい、今日も生きてしまっていることに絶望する……わけではなくて、お元気な高齢者。実際、あの世の話をする人ほど元気なものなのです。92歳のわたしの祖母もよく言っています。結句の言い切りが気持ちいい。
草むしり隊十二番隊長のなつこばあちゃんが振りかざす鎌 佐原八重
破調の勢い。おばあちゃん、たのもしい。そして元気。実際におばあちゃん達が隊を結成しているのか、或いはおばあちゃんの草刈りの様子を見ながら作者が遊びで実況中継をしているのかな、とも思いました。
小さな靴下はほんとうにかわいい。そして靴下に包まれる幼子の小さな足も。こんなにかわいく思えるのは庇護欲ゆえでしょうか、母性ゆえでしょうか。竿に干してある光景を浮かべただけでも心がほわほわします。靴下の造形だけでなく、人が生まれ育って結ばれて新たな命を繋いでゆく営みの、その健康さにみとれてしまうのかもしれません。
超がつく喫煙者たりし父の言「たばこを吸わぬ男はつまらん」 中村蓉子
逆にわたしが超嫌煙者なので気になってしまった歌。 まして、たばこは嗜好品なので吸うも吸わないも他人がとやかく干渉するものではないと思い、口を噤んでいるからこそ。この徹底的な相容れなさを興味深く思うのでした。
美味しいが二度と立ち寄らぬ定食屋ハローワークの最寄の駅の 尾崎智美
二句目の字余りに思いの強さが表れていて、読む時に引っかかってもたつくのが就職活動の紆余曲折を思わせるような気もするのでした。不安なハローワーク通いの日々の中でも、名残惜しくなるような楽しみを見つけていたということ。美味しい食事に心救われた時も、きっとあったのでしょう。
朝覚めずあの世に行きたい願望の卆寿の人は今日も元気だ 高木節子
願い叶わず目覚めてしまい、今日も生きてしまっていることに絶望する……わけではなくて、お元気な高齢者。実際、あの世の話をする人ほど元気なものなのです。92歳のわたしの祖母もよく言っています。結句の言い切りが気持ちいい。
草むしり隊十二番隊長のなつこばあちゃんが振りかざす鎌 佐原八重
破調の勢い。おばあちゃん、たのもしい。そして元気。実際におばあちゃん達が隊を結成しているのか、或いはおばあちゃんの草刈りの様子を見ながら作者が遊びで実況中継をしているのかな、とも思いました。
塔10月号のエッセイで映画『人生フルーツ』について少し触れたのですが、最近あちこちの映画館で再上映されているようです。わたしが観た時でも何かの受賞記念の再上映だったので、再々上映でしょうか。時期が合ったことなども不思議な感じがしています。と同時に、それが樹木希林追悼上映であることを寂しくも思うのでした。
追悼上映のいくつかの中から『神宮希林 わたしの神様』を観てきました。『人生フルーツ』と同じ伏原健之監督のドキュメンタリーで、樹木希林さんがお伊勢参りをするのを軸として、式年遷宮にまつわる祭事に参加したり、東日本大震災で流されて小さく建て直された石巻市雄勝町の神社に行ったり、歌人の岡野弘彦さんに会いに行ったりします。
遷宮のためのヒノキがあったりとか、いくつもの儀式があったりとか、儀式のための供物が決まっていたりとか、わたし達にとっての神様とは、ということを深く考えさせられました。わたし自身は仏教だとは思うのですが、日本の神様の話も好きです。先日帰省した際は地元のお祭りに行ったのですが、伝統の舞楽やお囃子、奴などに民間信仰を強く感じました。すべては神様への祈りであり、神様への感謝でもあるのだと思いました。
おもしろかったのは、伊勢うどんのお店で、女将さんが法被をあげようとするのへ、いらない、と拒否したところ。女将さんは「他の人はもらってくれるのに」とぶつぶつ言っていましたが、確かによろこんで受け取った方がその場がまるく収まるし、実際に女将さんの厚意がありがたいから受け取る人が多いのでしょう。もらったって着ないから、と頑なな希林さんは、強情で、正直で、身近にいたらちょっとめんどくさい人なのかもしれないなあと思いつつ、うらやましい気持ちにもなりました。自分に不要な法被は受け取らない一方で、ティッシュなどは一度取り出したら必ず何かを拭いたりして使い倒すと冒頭で仰っていて、本当に物を大事にするとはこういうことなのだという気もしました。
チラシやポスターにもなっている稲の光景が美しいです。可憐な稲の花の接写から広がってゆく緑が。祭祀に稲が使われる意味を、あらためて思ったりするのでした。
伊勢神宮にはいつか行ってみたいです。
公式サイト→http://jingukirin.com/
追悼上映のいくつかの中から『神宮希林 わたしの神様』を観てきました。『人生フルーツ』と同じ伏原健之監督のドキュメンタリーで、樹木希林さんがお伊勢参りをするのを軸として、式年遷宮にまつわる祭事に参加したり、東日本大震災で流されて小さく建て直された石巻市雄勝町の神社に行ったり、歌人の岡野弘彦さんに会いに行ったりします。
遷宮のためのヒノキがあったりとか、いくつもの儀式があったりとか、儀式のための供物が決まっていたりとか、わたし達にとっての神様とは、ということを深く考えさせられました。わたし自身は仏教だとは思うのですが、日本の神様の話も好きです。先日帰省した際は地元のお祭りに行ったのですが、伝統の舞楽やお囃子、奴などに民間信仰を強く感じました。すべては神様への祈りであり、神様への感謝でもあるのだと思いました。
おもしろかったのは、伊勢うどんのお店で、女将さんが法被をあげようとするのへ、いらない、と拒否したところ。女将さんは「他の人はもらってくれるのに」とぶつぶつ言っていましたが、確かによろこんで受け取った方がその場がまるく収まるし、実際に女将さんの厚意がありがたいから受け取る人が多いのでしょう。もらったって着ないから、と頑なな希林さんは、強情で、正直で、身近にいたらちょっとめんどくさい人なのかもしれないなあと思いつつ、うらやましい気持ちにもなりました。自分に不要な法被は受け取らない一方で、ティッシュなどは一度取り出したら必ず何かを拭いたりして使い倒すと冒頭で仰っていて、本当に物を大事にするとはこういうことなのだという気もしました。
チラシやポスターにもなっている稲の光景が美しいです。可憐な稲の花の接写から広がってゆく緑が。祭祀に稲が使われる意味を、あらためて思ったりするのでした。
伊勢神宮にはいつか行ってみたいです。
公式サイト→http://jingukirin.com/
寝坊しないようにモーニングコールを頼もうと実家に電話したら、めずらしく弟が出ました。母は芋煮会で留守とのことでした。地域の夜の懇親会すら芋煮会とい名目なあたりが山形です。弟は終始敬語で、こんな喋り方だったかなあ? と妙な感じがしましたが、元からこんな喋り方だったかもしれません。
早起きして、海の方へ向かう電車に乗りました。四方を山で囲まれた盆地で生まれ育ったわたしは、進む先に山がないという光景にどうにも慣れず、このままどこまでも行ってしまうんじゃないかという不安に駆られるのでした。ぐるりと山に囲まれている時は、このままどこへも行けないんじゃないかと閉塞感に苛まれるのに、不思議なものです。電車の中で、川端康成『山の音』を読みました。どうしよう、おもしろ過ぎる。線路沿いのセイタカアワダチソウの黄色の群れが、青空によく映えていました。
およそ一年半ぶりの石巻市です。駅前のプレハブのおみやげ屋さんが小さくなっていたり、被災して他の場所で仮営業していたお店が元の場所で再開していたり、少しずつ変わっている街並みを歩いて、COMMON‐SHIP橋通り「短歌部」の展示へ。白地に黒字、縦書きのシンプルさで、素直に短歌を味わえるのがいいな、と思いました。また、販売している冊子に展示そのままで作品が収録されているのも。
日和山公園にも上ってみましょう。天気が良くて行楽日和です。海も、北上川もとてもきれいです。ごとん、と音を立てて松ぼっくりが落ちてきました。松ぼっくりが落ちる瞬間を、人生で初めて目撃しました。
「トラ・トラ・トラ!」と声がして、何事かと振り向いたら、杖をついたおじいちゃんがトラ猫を呼んでいたのでした。おじいちゃんは猫が好きで、公園にはトラ猫の他に白猫も住み着いているのだと言っていました。猫のたくさんいる田代島は海の向こうです。
石巻まちの本棚で、山形愛書クラブ発行の「書評6 齋藤茂吉特輯号」という冊子が目に留まりました。1966年の冊子です。郷土誌なのか執筆陣は結城哀草果など山形の人がほとんどです。縁を感じたので購入しました。ものすごい価格がついていたらどうしよう、と思いましたが、原価の2.5倍でした。妥当なところです。
辺りにはなんだかやたらトンボが飛んでいて、秋の風物詩なんて趣もないくらいにトンボまみれでした。
海を見て過ごしただけの休日をいつかきらきら思い出そうね
早起きして、海の方へ向かう電車に乗りました。四方を山で囲まれた盆地で生まれ育ったわたしは、進む先に山がないという光景にどうにも慣れず、このままどこまでも行ってしまうんじゃないかという不安に駆られるのでした。ぐるりと山に囲まれている時は、このままどこへも行けないんじゃないかと閉塞感に苛まれるのに、不思議なものです。電車の中で、川端康成『山の音』を読みました。どうしよう、おもしろ過ぎる。線路沿いのセイタカアワダチソウの黄色の群れが、青空によく映えていました。
およそ一年半ぶりの石巻市です。駅前のプレハブのおみやげ屋さんが小さくなっていたり、被災して他の場所で仮営業していたお店が元の場所で再開していたり、少しずつ変わっている街並みを歩いて、COMMON‐SHIP橋通り「短歌部」の展示へ。白地に黒字、縦書きのシンプルさで、素直に短歌を味わえるのがいいな、と思いました。また、販売している冊子に展示そのままで作品が収録されているのも。
日和山公園にも上ってみましょう。天気が良くて行楽日和です。海も、北上川もとてもきれいです。ごとん、と音を立てて松ぼっくりが落ちてきました。松ぼっくりが落ちる瞬間を、人生で初めて目撃しました。
「トラ・トラ・トラ!」と声がして、何事かと振り向いたら、杖をついたおじいちゃんがトラ猫を呼んでいたのでした。おじいちゃんは猫が好きで、公園にはトラ猫の他に白猫も住み着いているのだと言っていました。猫のたくさんいる田代島は海の向こうです。
石巻まちの本棚で、山形愛書クラブ発行の「書評6 齋藤茂吉特輯号」という冊子が目に留まりました。1966年の冊子です。郷土誌なのか執筆陣は結城哀草果など山形の人がほとんどです。縁を感じたので購入しました。ものすごい価格がついていたらどうしよう、と思いましたが、原価の2.5倍でした。妥当なところです。
辺りにはなんだかやたらトンボが飛んでいて、秋の風物詩なんて趣もないくらいにトンボまみれでした。
海を見て過ごしただけの休日をいつかきらきら思い出そうね
朝夕の薬を飲むを忘れぬが昼どき飲むをまた忘れたり 柳田主於美
確かにお昼の薬は朝夕に比べて忘れやすくて、それは昼食を取る場所が職場だったり出先だったりなことが多いからなのか、朝夕のみの服用でよい他の薬と混同してしまうのか、なにはともあれ、こうした日常の何気ない歌にわたしは惹かれるのでした。薬を飲み忘れたお体を心配しつつも。
釘一本打てない壁に囲まれて絵の一枚も飾らぬ暮らし 高橋圭子
釘が打てないのは壁が固いからなのか、賃貸で傷をつけてはいけないからなのか、どちらにしても、飾らない絵のことをあえて言葉にすることによって、そこにない絵や、絵によってわずかでも華やぐであろう暮らしが浮かび上がってきます。「打てない」「飾らぬ」の文語口語交じりが気になりますが、「釘一本」という初句も「一」のリフレインも切なく思われるのでした。
この春になくしてしまったもの味覚、胸のバランス、髪の毛、友だち 落合優子
闘病の歌。淡々と詠まれている分、かえって胸に迫るものがあります。どれをなくしてもつらい中で「友だち」の結句が上手くもかなしい。そして、続く歌<この春に手に入れたもの決断力、主治医、ウィッグ、そして友だち>に少し救われるのでした。お大事にされますように。
「あんたはきっと天国に行けるよ」と身体拭くたび患者は言いぬ 山﨑惠美子
泣いてしまいました。「あんたはきっと天国に行けるよ」という賛辞のうつくしさ。患者さんの人柄がにじみ出るようなサッパリした物言いながら、感謝の気持ちや作者の人柄への評価が伝わるとても優しい台詞。現世の幸福ではなく「天国」という言葉が出てくるのは、患者さんが自分の死期を感じ取っているからでしょう。下の句が過剰にならずさらりと詠まれているのも良くて。
あの村には雨が降る日も水撒きをやりつづけてゐる爺さんがゐた 山下好美
雨の日まで外に出て打ち水をする爺さんの真面目さ、或いは融通の利かなさ? 異常さ? 読めば読むほど妙に気になる歌です。過去形なので今はもういないのでしょう。「あの村」という入りが郷愁を誘うような、昔話のような。
確かにお昼の薬は朝夕に比べて忘れやすくて、それは昼食を取る場所が職場だったり出先だったりなことが多いからなのか、朝夕のみの服用でよい他の薬と混同してしまうのか、なにはともあれ、こうした日常の何気ない歌にわたしは惹かれるのでした。薬を飲み忘れたお体を心配しつつも。
釘一本打てない壁に囲まれて絵の一枚も飾らぬ暮らし 高橋圭子
釘が打てないのは壁が固いからなのか、賃貸で傷をつけてはいけないからなのか、どちらにしても、飾らない絵のことをあえて言葉にすることによって、そこにない絵や、絵によってわずかでも華やぐであろう暮らしが浮かび上がってきます。「打てない」「飾らぬ」の文語口語交じりが気になりますが、「釘一本」という初句も「一」のリフレインも切なく思われるのでした。
この春になくしてしまったもの味覚、胸のバランス、髪の毛、友だち 落合優子
闘病の歌。淡々と詠まれている分、かえって胸に迫るものがあります。どれをなくしてもつらい中で「友だち」の結句が上手くもかなしい。そして、続く歌<この春に手に入れたもの決断力、主治医、ウィッグ、そして友だち>に少し救われるのでした。お大事にされますように。
「あんたはきっと天国に行けるよ」と身体拭くたび患者は言いぬ 山﨑惠美子
泣いてしまいました。「あんたはきっと天国に行けるよ」という賛辞のうつくしさ。患者さんの人柄がにじみ出るようなサッパリした物言いながら、感謝の気持ちや作者の人柄への評価が伝わるとても優しい台詞。現世の幸福ではなく「天国」という言葉が出てくるのは、患者さんが自分の死期を感じ取っているからでしょう。下の句が過剰にならずさらりと詠まれているのも良くて。
あの村には雨が降る日も水撒きをやりつづけてゐる爺さんがゐた 山下好美
雨の日まで外に出て打ち水をする爺さんの真面目さ、或いは融通の利かなさ? 異常さ? 読めば読むほど妙に気になる歌です。過去形なので今はもういないのでしょう。「あの村」という入りが郷愁を誘うような、昔話のような。
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歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)
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