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川が好き。山も好き。
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『ある船頭の話』を観てきていました。監督はオダギリジョーさん、出演は柄本明さん、川島鈴遥さん、村上虹郎さんなど。

 明治から大正くらい、着物と洋服の人が混在していて個人的にとても好みな感じの時代です。でも日本というより、日本をモチーフとした架空の舞台のようです。船頭のトイチは日々黙々と渡し舟を漕ぐのですが、川上では大きな橋が建設されています。橋ができたら船頭の仕事は要らなくなってしまうのでした。表向きは、橋ができて便利になることを喜びながらも内心では複雑な思いを抱えたトイチの舟に、ある夜、謎の女の子がぶつかってきます。トイチは意識のない女の子を介抱し、一緒に暮らし始めるのでした。

 場面のほとんどが川を行ったり来たりの映像ですが、とてもきれいです。抑えた色彩の中で、女の子のチャイナ服ふうの衣装などの赤色が印象的でした。次々に現れる乗客はお客様という立場だからか好き勝手に喋り、聞き役に徹するトイチとの人間模様も味わいがあります。
 近代化の波や自然への信仰、人々の営みを絡ませながらついに橋が出来た時、これまでと変わらないなんてことは絶対になくて、それでも鬱屈した気持ちを人前では包み隠して暮らすトイチの人柄が思われるのでした。
 物語はなかなかに思わせぶりで、なにがどういうことなのか最後まではっきりとはわからないのですが、それはそれでいいように思いました。謎解きが目的の話ではないというか。

  公式サイト→http://aru-sendou.jp/

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今年があと一週間で終わってしまいますよ。11月号を読みます。敬称略です。

  ひろがれる向日葵畑の端つこのひまわりの丈低きまま咲く  森尾みづな

 陽が届かない端っこで不格好に咲いている花にも目を配る観察眼。「向日葵」と「ひまわり」の表記の違いもいいと思いました。

  同窓会終はれば友ら真つすぐにそれぞれの家庭へ戻りてゆきぬ  大木恵理子

 二次会へは行かずに家庭へ、ということでしょうか。友らは家庭へ帰るのに自分は一人の部屋へ、とも読みたくなってしまうのでした。4句目の字余りが家庭の人々の多さのようです。

  鍵あなにかぎを差し入れまはすとき短く鳴れる手の中の鈴  清水弘子

 こういう普段の動作の何気ないことを歌にできるのがいいなと思いました。鍵に鈴を付けているというのもかわいくて、人間味があって。

  よく喋る運転手なり天性のものではおそらくない快活さ  金田光世

 見抜かれてしまった。仕事のため本来の自分とは違うキャラクターを演じていることに気づく人もまた、きっと繊細で思慮深いのでしょう。よっぽどバレバレの演技だったのかもしれないけれども。

  負傷した一兵卒と看護婦の出会いのありて生まれた私  坂下俊郎

 戦争なんて起こらなければよかったのだけど、戦争があったから繋がった縁があるということに運命の不思議を思います。お父様が軍人としてあまり偉くも強くもなさそうなのが、また。

  家長といふ指定の席は卓にあり戸棚の皿の出しやすき場所  白井均

 「家長」とおだてられながら皿の取り出しなど雑用に使われているのでしょうか。うまく転がされているような家庭内の立ち位置が見えるようです。

  ネイビーとグレーのパンプス玄関に並べて交互に似た日々を行く  紫野春

 靴が傷まないように二足を交互に履くのでしょう。黒ではなくネイビーとグレーという色合いに、似たような日々へのささやかな抵抗が見えるようだと思いました。

  少しずつ祖母の手に似てくる母の手だ 僕はそろそろ家を出ていく  川又郁人

上の句の字余りとか、断定とか、「似てくる」「出ていく」という捉え方がなにか不思議に気になる。未来に向かっている文脈なのでしょうか。そして口語の味わい。

  畑から売地となりし空き地ゆえところどころに里芋の葉が見ゆ  朝日みさ

 里芋のあの大きな葉が空き地に育っている光景を思い浮かべて和みました。売る時に片付けたのでしょうけれど、生命の力の凄さが思われます。農家の後継ぎ不足問題みたいな背景もある歌なのかもしれません。

  婚活をする夢を見てうなされて起きて隣を見てまた眠る  塩原久美

 夢にうなされるほど婚活とは壮絶なものなのか!と、ちょっと笑ってしまったのです。隣で眠る相手がいるのなら婚活をする必要はないのですから、安心して二度寝もできるでしょう。動詞が多さときっちり定型に収まっているのがコミカルな印象です。

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『兄消える』は夏頃に観ていました。監督は文学座の西川信廣さん。柳澤愼一さん(86歳)、高橋長英さん(76歳)のW主演。この主役二人の年齢で「観よう!」と決めました。兄役の柳澤さんは「本作を遺作にしたい」と挑まれたとのこと。タイトルが『父帰る』(菊池寛)、『兄帰る』(近藤ようこ)、『母帰る』(重松清)『夜消える』(藤沢周平)、などと紛らわしいですが、似ている響きの作品が多いからこそ耳に残るというのもあったかもしれません。

 町工場で一人で真面目に働く独身の弟のもとに、行方不明だった兄があやしい女性を連れて40年ぶりに帰って来て……という老兄弟の話。
 弟・鉄男の食生活がとにかく悲しい。朝は自宅でトーストとウインナーとコーヒー、昼は工場でカップラーメン、夜は行きつけのスナックで、というくり返しで、健康面が心配になってしまいます。見ているわたしが悲しくなるだけで、鉄男にとっては日常なのです、というのも悲しい。この映画の見どころはいっぱいあるのですが、わたしは食生活が一番印象に残りました。
 そんな実直な弟に対して、兄・金之助は飄々としてつかみどころのない感じ。服がおしゃれ。とてもすてきなので、遺作なんて言わないでこれからもご活躍いただきたい。
 長野の町並みは懐かしく、優しい映画でした。そして主題歌の「私の孤独」がとても合っていて良かったです。どこかで聴いたことがあるような気がしたのですが、シャンソンの名曲なんですね。この先の人生でもきっと折に触れて聴きたくなると思いました。
 
  公式サイト→https://ani-kieru.net/

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わたしの部屋がこんなに散らかっているのは本のせいだと決め込み、思い切って大きな本棚を買いました。組み立て式の本棚が自宅に届き、これでやっとスッキリするぞ、と期待しました。が、思わぬ落とし穴がありました。「必ず二人以上で作業してください」と、説明書に太字で注意書きがありました。

 こういう時にわたしにも兄がいたらよかったんだろうか。と、考えたのは昔の元同僚さんが「何か困ったことがあるとお兄ちゃんを呼んでる。いつでも夜中でも駆けつけて来てくれる」と言っていたのを思い出したからです。
 デートをしていたら親が付いてきたとか、外泊したら警察に失踪届を出されたとか、許しを得られなかったので家出をして一人暮らしを強行したとか、その人の家族の過保護ぶりは雑談の時の定番ネタでした。割と放任主義で家を出ることを望まれて一人暮らしになったわたしは、まるで別世界の話のように聞きながら、「愛されてるね」と何度も相槌を打ったものです。

 生育環境の違いは思わぬ時に影響を及ぼします。震災の翌朝、わたしとその当時の同僚さんは、それぞれ別の人に車で自宅に送られることとなりました。わたしは自宅アパートの前で降ろしてもらい、めちゃめちゃになった部屋を一人で片付け、トイレを借りに役所に行ったり来たりしつつ、夜は避難所に行って冷たい床の上で眠りました。
 同じくらいの年齢で同じ時間に同じように同じ場所を出発した同僚さんは、その後を同じようには過ごしていませんでした。自宅アパートまで送ってもらった後、送ってくれた人が部屋の中まで片付けてくれ、こんなところに置いてゆけないと心配され、みんなと一緒の所へ引き返していたのでした。

 片づけを手伝ってほしいと頼んだのか、自主的に世話したのか、詳しい話は聞いていません。この際どちらでも同じようなものでしょう。それぞれの送ってくれた人の人柄の違いや相性もあるでしょう。けれども、組み合わせが逆だったとしても結局わたしは一人で避難所に行く流れになる気がしました。愛されて育った人特有の可愛げだとか素直さだとか守ってあげたくなるような雰囲気だとかそういうものがわたしには足りなくて、そうした人格形成の差がこういう非常時に運命を分けるのだ、と知りました。尤も、大きな被害に遭った人がたくさんいる中で、わたしの個人的な小さな衝撃なんて些細なことに過ぎません。命が助かっただけでもう充分にわたしは幸運な側にいるのでした。

 本棚は一人で組み立てました。一人の腕の力では重くて持ち上げられなかった物も、腰を下げて肩に担ぎ、背負うようにすれば、どうにかなんとかなりました。自分の身長より高くなった本棚に、床いっぱいの本を収めてゆきました。ずっとこんなふうに生きてきたし、ずっとこんなふうに生きてゆくのかと思いました。窓の外はすっかり夜になっていました。

  「たすけて」とときどき叫びたいけれどあの日のようにまたがまんする

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月日の流れがこの頃とても早く感じるのです。10月号を読みます。敬称略です。

  名古屋場所の観客席に父に似る人あり団扇をゆつくり使ふ  石原安藝子

 土俵と観客席が近いからか引きの映像が多いからか相撲中継では観客席が割と映ります。団扇をゆっくり使う様まで見えるのは相撲らしい時間の流れ方だと思いました。

  わたくしに淡くつながるをみなごの赤いお箸を買ひにゆく夏  藤木直子

 つながりの淡さと赤が対比のようでいいなと思いました。女の子だから赤というよりは、お祝いごとの赤と読みました。縁というものをあらためて大切にしたくなる一首です。

  農の手を休めてスイカ頬張りし九十歳も種を飛ばせり  石井久美子

 元気な九十歳だなあ、と読んでいてうれしくなりました。「九十歳も」なので他の人達と種の飛ばしっこをしているのでしょう。つかの間の休憩を終えたらまた炎天の中を農作業に戻るのです。

  まどろみに重き瞼をひらくとき吾へほほ笑まんとす君の気配す  大堀茜
 
 この一首だけだと幸せな相聞歌で、それはそれとして安心感の伝わる良い歌ですが、こういう歌が闘病の一連の中にあるということにも深みを感じました。

  祝ひ水かけられ歩く加勢鳥の身ぶるひすれば我も濡れおり  中西よ於こ

 加勢鳥は全身を覆う蓑のようなものを被った人達が「カッカッカー」と言いながら踊り歩く山形の風習なのです。沿道の人から加勢鳥へ、加勢鳥から作者へという水の動きが人々を繋ぐようです。

  老主夫を見かねて嫁は窓越しに餃子差し入れする春の宵  菊池秋光

 一読して嫁舅のあたたかい歌のようなのですが、一緒に食べるわけでもなく、玄関から家に入って渡すわけでもなく、窓越しであることに微妙な距離感を感じてぞわぞわしました。そして料理が餃子というのが絶妙。

  徒歩圏内にコメダ珈琲店があるそれだけが今の心の救い  山上秋恵

 転居の一連。慣れない土地で居場所を見つけた安心感が伝わります。「それだけ」の切実さ。チェーン店に救われるというもわかる気がします。

  この道でよかったのだろうそういえばいつも何かの花が咲いてた  森川たみ子

 迷子の歌かもしれないけれど、人生のことのようにも思えます。「何かの花」という漠然とした表現が、この歌では良いと思いました。

  もう田には入るなといわれ千春さん畔に黙って後手を組む  高原さやか

 入るなと言われても田んぼに居たい千春さんに胸を打たれるのでした。後手を組むのはお年を召して腰が曲がっているからと読みました。

  職場から海が見えるというけれどビルの谷間の指の先ほど  内田裕一

 「見える」とわざわざ言うほどでもないくらいということでしょうか。指の先ほどの小ささでも、海が見えることをありがたく感じる人がいるのでしょう。

 そして10月号は池本一郎特集ということで、自選30首に入っていなかった歌でわたしの好きな池本さんの歌を一首挙げましょう。

  幾瀬経てたとえば一郎杉という呼び名残れば来て遊ばんか  『池本一郎歌集』

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毎週楽しみに観ていたドラマ『少年寅次郎』が最終話を迎えました。映画『男はつらいよ』の主人公・寅さんの少年時代の物語で、主人公は育てのお母さんです。映画の方とは少し設定が変わっていたのかもしれませんが、おもしろかったです。なにより、幼年時代、少年時代の子役の子がかわいい。この子が大きくなって寅さんになるんだ、というのが自然に受け入れられるような雰囲気で好演でした。
 物語が昭和11年から始まったので当然の流れとして、第3話あたりで昭和20年8月を迎え、玉音放送が流れてきました。まただ、と思いました。少し前に大河ドラマの『いだてん』でも玉音放送を聞きました。その前に昼ドラの『やすらぎの刻~道~』でも玉音放送を聞きました。

 そんなにたくさんの連続ドラマを観ているわけではないのに、それほどの時期をおかずに玉音放送を続けて聞いたのが、自分でも少し気になりました。戦争特集の多い夏に観た単発ドラマでも聞いたかもしれないし、ドキュメンタリーを入れればもっと聞いたかもしれません。

 テレビで聞く玉音放送はほとんどが「耐え難きを耐え~忍び難きを忍び~」という一節ですが、8月に映画館で観た『東京裁判』では冒頭で全文が流れました。全文を聞いたのは初めてです。なんだかとっても難しい文章だったのですが、当時リアルタイムでラジオから聞いた人は理解ができたのでしょうか。少なくとも無学なわたしの祖母はわからない気がします。父方の祖父や同居していた大伯父など、戦争に行って帰ってきた人が存命だった頃にいろいろ話を聞いておけばよかったなあとも今になって思うのですが、子供の頃は戦争の話は怖くて積極的に聞こうという姿勢にはなれませんでした。また、家には戦死した兵隊さんの遺影があるので、子供心に察して遠慮していたようなところがありました。兵隊さん、なんて言っていたけれど、わたしと血の繋がりのある人なのだと思えば、なにか大切なことを通り過ぎてしまったような気もするのでした。
 『東京裁判』は冒頭で玉音放送が流れたあと、『昭和萬葉集』より土岐善麿などの短歌がいくつか流れました。こういったドキュメンタリー映画の中で短歌の朗読が挿入される、ということも興味深いです。どうして短歌なのか。どうしてわたし達は短歌を詠むのか。
 5時間くらいあったので体も心もどっと疲れましたが、観てよかったと思いました。観る前まではA級戦犯が誰なのかも、靖国参拝がどうして問題になっているのかもよくわかっていなかったのです。なにかを深く理解したとか、思想が大きく変わったとかいうわけではないですが、事実としてあったことのそのままの映像を観た、というのがよかったです。12月にも再上映されるそうです。

 そういえば、祖母から戦時中のエピソードを一つだけ聞いたことがあります。群馬県の落下傘工場で働くことになり、少女だった祖母はどうも罪を犯してきたようなのでした。

  落下傘工場で絹糸一つくすねてきたと祖母舌を出す

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9月号を読みます。敬称略です。

  ひたぶるに鍬を振りゐる友の見ゆ手さへ揚げずて今日は離りき  尾形貢

 「今日は」なのでいつもは挨拶してお話に興じたりするのでしょうか。手を上げるのも躊躇われるほどの農作業の様子が目に浮かぶようです。

  雨の日は畑に出でず機を折る母にとっては休息なりき  大久保明

 機を織ることが休息だという心根に胸を打たれる。根っからの働き者のお母様なのでしょう。余談ですがわたしの母は家で祖母と居るのが嫌で畑に出てゆきます。

  母、舅、見知らぬ老女となるにつれ私の声は遠くてやさしい  佐原亜子

 この下の句はわかる気がする。心を離れてよそ行きの声になってゆく自分の声、「やさしい」と自分で言えるのも客観的な視線を自分に向けているからなのでしょう。

  歌会への途中に大蒜出荷して市民プラザの会場に着く  別府紘

 歌会へ行くついでに市場へ寄る、というのが有意義な一日でいいなと思いました。一つ前に<大蒜を五袋荷せば賄える塔今月の歌会の会費>という歌があるのもおもしろくて。歌会に出るお金がないので大蒜を売ったわけではないのでしょうけれど。

  小さき服用意して待つ日々の中振り返ること少なくなりぬ  魚谷真梨子

 過去に目が向くのはあまり心の状態が良くない時らしいので、これはすごく健康なことなんじゃないかなあと思いつつ、振り返る暇もないくらいに前へ進むしかない日々というのも伝わります、小さき服。

 コンビニでチキンをひとつ買うほどの値段なり旬の飛魚の五尾入り  株本佳代子

 タンパク質を摂取するとしたら、やっぱりここは旬のものをいただきたい。しかも旬のものは安い。数字の対比もわかりやすいし、カタカナの無機質な印象に比べれば「飛魚」の字の躍動感のなんて美味しそうなことか。

  子のなくば「ばあば」と呼ばれる筋はなく和佳ちゃんあなたは私の友達  大谷静子

  有紗にはおばあちゃんはいないと言う ばあばと呼ばれる吾は友達か  日比野美重子 

 この二首はそっくりなのですが、立場が違って内容が真逆なのが興味深いです。和佳ちゃんはある年代の女性をみんな「ばあば」と呼んでしまうのでしょうか。有紗ちゃんは「おばあちゃん」という続柄がまだわかっていないのでしょうか。どちらにしても無邪気で愛らしい。

  駅を出て徒歩七分とう歌会に信号待ちを二回して着く  須山佳代子

 そのままの歌なのでしょうけれど、こういう何気ないところで立ち止まって歌に詠めるのがいいなあと思うのです。七分という微妙さは五分以上はかかるけど十分はかからないかな~ぐらいの設定なのでしょう、おそらく信号待ちの時間は含まずに。

  藤棚の下で安らぐ老人に添い寝している村上春樹  山田精子

 作家の村上春樹氏が老人にぴったり添い寝している光景を思い浮かべてシュールな気分になりましたが、人ではなく村上春樹氏の著書が読みかけのまま置かれている状態か、あるいは幻が見えたのか、想像が広がります。

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朝起きたら、昨夜の大雨が嘘みたいに晴れていました。台風はすっかり過ぎたみたいです。わたしは幸い自分の体がずぶ濡れになったぐらいで済みました。とはいえ、各地の被害状況などをニュースで見ると胸が痛みます。

 昨日は仕事でした。前日には「無理をして出勤しないように」という連絡がありました。実際に、交通事情で休みの人や、運休時間前に早退して帰宅する人もいましたが、わたしは特に影響なさそうなので予定通りに出勤です。朝はそんなに雨も降っていなかったので、少し甘く見ていたのもあります。仕事中に、翌日の歌会の中止のメールが来ました。残念だけどしょうがない。
 ほぼ定時で仕事をあがり、雨の中を10分ほど歩いて駅に着くと、バス停は閑散としていました。街中だというのに、デパートもドラッグストアも早々と閉店しています。いつもより薄暗い街に、バスの灯りが煌々としていました。

「ただいまー。雨すごいよー。わたしともう一人と運転手さんしかバスに乗ってなかったよ、こんなの初めて。街も暗くて、みんな休んでるのに、こういう時って運転手さんは大変だよね。レインシューズ履いてったけど、道路も水浸しでもうだめ、靴下もびちゃびちゃ。傘も全然役にたたなくて、早く着替えなきゃ風邪引いちゃう。あ、ベランダの桃の鉢も部屋に入れててくれてありがとう。え、お風呂沸かしてくれてるの? ご飯もできてるの? やったー!」
 、とかなんとか帰った時にこの状況を分け合える相手がいたらいいのになあと思うけれども、一人暮らしなので昨日作っておいた親子丼とわさび菜とツナのサラダを冷蔵庫から出して食べました。するうち実家の母から「停電になった、あ、点いた」と電話が来たので、こっちもこれから停電するかもと思い、備えの確認をしました。懐中電灯も、LEDのランタンも、ろうそくも、カセットコンロも、非常用トイレも、なんだかんだで揃っています。震災の時に揃えてリュックに詰めていたのでした。

 雨風の音はどんどん強くなってゆきました。サイレンは聞こえるし、携帯電話に不安を煽るような音で市からの避難指示や避難勧告が何度も届きます。テレビの台風情報で各地の被害状況を見るにつけ、あの人は大丈夫かな、この人は大丈夫かな、と心配になりました。
 けれども、心配だからといって連絡をして向こうの携帯電話の電池を消耗させてしまったら申し訳ないという配慮が先立ちます。停電して充電ができないような状態だったらわたしとのやりとりよりもっと大切な人にその貴重なエネルギーを使うべきだし、わたし以外の人からたくさんの心配の連絡が来ていて連絡に追われて大変かもしれない、家族など大切な人と身を寄せ合っているところに水を差すかもしれない、などと思いめぐらせ、結局は今は遠くから祈るのみにとどめました。
 言葉で伝えてはいないからといってなにも思っていないわけではなくて、案じています。みなさん無事でありますように。

  言葉ほどあてにならないものはなくそれでも言えばよかった言葉

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10月になってしまいました。8月号を読みましょう。そして9月号も読み終えておりますので近々。敬称略です。

  しまらくを迷ってプリンを買わざりきこうして四十年を過ごした  高橋武司

 本当にプリンを買わなかったのかもしれないけれど、プリンそのものへの執着というより、プリンのような買おうと思えばいつでも買えるような些細な物を買わないできてしまった生き方への自問の歌だと思いました。下の句の句またがりと口語が印象的。

  早苗とか佳苗とかいう名の友達が教室にいた昭和の頃は  山西直子

 わたしの同級生にも早苗ちゃんがいました。他にも耕、実など豊作の祈りを込めた名づけが、農家には確かに多いとあらためて気づきました。家業にちなんだ名づけも、農家も、時代の流れと共に少なくなっているのでしょう。

  それぞれの家に継がれし被爆記を内に秘めおり長崎の人は  北辻千展

 長崎といっても長崎全てが一緒ではなく、それぞれに物語があるということ。それを表沙汰にはせず内に秘めているということ。長崎という地名が、実際に長崎なのでしょうけれど、長崎なのが良いです。

  小さくてすぐにふさがる傷なれど痛みに夜を明かすことあり  佐伯青香

 実際にケガをしたのかもしれないけれど、心の傷のようにも読めました。「すぐにふさがる」という断定がなにかせつない。たいしたことない、すぐ治るってわかってても、痛いものは痛い。 

  腰痛の検査で癌がわかったと山の友達いつも前むき  林都紀恵

 重い内容を率直な言葉で詠んでいますが、友達のキャラクターに合っていると思いました。下の句が3・4・3・4と調子が良くて山登りの足取りのようです。

  菜の花のごとく明るくふるまって年度当初をしのいでおりぬ  垣野俊一郎
  
 お仕事の歌でしょうか。上の句の比喩に惹かれました。確かに春のどの花より菜の花が一番明るくてまぶしい気がします。花びらの薄さなども思いました。

  指先より老いは始まるとう指先に春を触れたり木の芽を抓みぬ  山本建男

 人間の老いと、これから育ちゆく自然との命の対比。出荷や料理のために木の芽は抓まれるのでしょうか。「指先に」「春を」と助詞の使い方がおもしろいです。

  次女の夫はオーママと呼び長女の夫はお母様と我を呼ぶなり 小川玲

 呼び方一つにも人柄が表れます。姉妹でも男性の好みはそれぞれ。しっかり者の長女は真面目な人と、のびのび育った次女は気さくな人と、似た者同士で結ばれたのでしょうか。当事者でありながら観察に徹しているような詠いぶり。

 新元号の歌の他に、円空仏の歌が多いように感じたのですが、なにか円空仏が世間の話題になっていたのか気になりました。時事詠の競演も結社誌のおもしろさだと思います。



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少しずつ、8月を振り返ってみたく思います。

 お盆の頃に、小学校の同窓会に行きました。10年くらい前にも案内が来ましたが、返信しませんでした。その数年前の成人式すら出ませんでした。理由はたった一つ、会いたくない人がいたからです。
 小学校の頃に別に仲良くもなかった人が、中学校で同じクラスになり、クラス中にわたしの悪口を吹聴するようになりました。わざと聞こえるように言われたこともあります。誰もかれも、声の大きいその人に流されているように思えました。尤も、わたしにも嫌われる要因はあったのでしょう。性格もひねくれていたし、身なりもみすぼらしかったような気がします。同じクラスには、目に見えてもっと派手にいじめられている人がいたので、先生の問題意識はそのわかりやすいいじめられっ子の人にしかなく、わたしのことは気づいていないようでした。別なクラスに「気にすることないよ」と言ってくれる友達がいても、部活が楽しくても、多感な年頃で、しんどい2年間でした。

 救いは、成績が違っていたので、高校が別々になったことでした。けれども、嫌われる自分であるという意識はこの頃から今に至るまでずっと消えず、人に対して警戒したり不安を覚えたりしてしまうし、自己肯定がうまくできないという典型的な後遺症が続いています。自分に好かれても迷惑じゃないかという慮りが先立ち、男女問わず、誰かに好感を持ってもそれを伝えるのは苦手です。

 同窓会に行こうと思ったのは、小学5、6年の担任だった先生の定年祝いという名目だったからです。先生にはお会いしたいと思いました。先生には、小学校卒業後も何度か年賀状をいただきました。集まりが悪いと聞いていたので、会いたくない人も来ないかもしれないと期待しました。もし嫌な思いをしても、それもまた人生だろうという変な開き直りもありました。

 少し歩いただけでも汗だくになるほどの当日、地元の商店街の宴会場に着くと、もうほとんどみんな席に着いていました。集まりが悪いと聞いていたから5~6人くらいしかいないのでは、と予想していたのが15人以上は出席なのでした。全員集まっても27人なのだから、それなりの出席率です。中には保育所から高校まで一緒だった人もいますが、さすがに20年ぶりともなれば誰が誰だかよくわかりません。
 名札を付けて席のくじを引くと、乾杯の係に当たっていました。「乾杯!って言うだけでいいから」と促され、これもまた人生と思い引き受けます。幹事さんによる開会の言葉の後にその役目は回って来ました、突然のことで気の利いた言葉も浮かばず、挨拶もそぞろに「乾杯!」とコップを掲げました。
 会いたくないな、と思っていた人も来ていました。わたしにした仕打ちなんてなかったかのように「久しぶり!」「中学の時も同じクラスだったよねぇ!」なんて言ってくるので、わたしは「え~? 覚えてない~」と何度も笑ってすっとぼけるのでした。

  「食物」の教科書われにゆずりたる同級生のその後を知らず

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おとも
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自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

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