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川が好き。山も好き。
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再開した映画館で『つつんで、ひらいて』を観てきました。装幀家・菊地信義さんのドキュメンタリー映画です。監督は広瀬奈々子さん。本づくりのこだわりや、印刷や製本などの工程や、いろいろ、とても楽しかったです。あらためて、一冊の本が出来上がるのに、たくさんの人が関わっているんだなあ。大切に、大切につくられているということが伝わってきました。やっぱり紙の本はいいなあと思いました。
 
 コロナ禍前は、平日の休みに映画館に行った時は帰りにランチやお茶をしながら読書したりしていたのですが、まだしばらくは自粛します。少しずつ日常は戻ってきつつありますが、なにか戻れなさも感じてしまう初夏です。

 公式サイト→https://www.magichour.co.jp/tsutsunde/

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塔4月号を読みます。1月20日〆切分、なんだか遠い昔のようです。敬称略です。

  先ず麦わら次に稲わらそして子が無くて祭りの一つが消えたり  酒井久美子

 少しずつ形を変えながらも守り続けていたお祭りが、過疎により途絶えてしまうということ。おそらく、子供に装束を着せて神様に見立てたりして行うようなお祭りだったのでしょう。淡々とした詠いぶりがかえって寂しい。

  干支のハンコ隅に捺されて父からの賀状は今も文字だらけなり  山下裕美

 賀状にお父様の人柄が表れていて、文字だらけで伝えたいことがいっぱいあるのがおもしろくも愛情を感じるし、何より隅に干支のハンコが押されているのがとてもいい。妙な律義さにおかしみがあります。

  首のなき地蔵様にも新しき赤き前垂れ子の年となる  澤井潤子

 首がどこかに行ってしまったのか、何か由来のある首なし地蔵なのかわかりませんが、どんなお地蔵さまにも新年のための新しい前垂れを作る人がいるということ。人の思いを感じます。赤い色も効いています。

  更年期障害の長女がくるしむに何の役にも立たず父とし  歌川功

 女性が自らの更年期障害を詠う歌はありますが、お父様によるお嬢様の更年期障害の歌は初めて読みました。というより、お嬢様の更年期障害を心配するお父様を初めて見たような気がして、なにか感動しました。

  小学校入試を終えた女の子「ケーキ屋さんになりたい」と言う  畑久美子

 小学校入試を自ら望んで受ける子供はおそらくいない、ということにハッとしました。とはいえ、地域や財力、親の向上心などでみんながみんな高等な教育を受けられるわけではないのですから、恵まれた環境に生まれついたということに感謝する日もいつか来るのでしょう。

  川沿いの梅のほころぶ三月は自殺対策強化月間  高橋武司

 季節感のある叙景からのこの下の句。ひしめき合う感じの字面や、妙に整った韻律が効いているような気がします、梅に誘われて川に飛び込んでしまう人がいるのでしょうか、あまり関係ないとしても取り合わせの味わいを感じます。

  この先は危険、立入禁止です。「この先」に入り看板立てる  よしの公一

 看板を立てる時に禁止側に入って作業をしちゃうのですね。おもしろい感じの歌ですが、境界というものについて考えさせられます。線を引いたとして、そこからくっきり危険と安全が分かれているわけではないということ。たとえば原発の避難区域など。

  永遠があるなら雪の夜に食う讃岐うどんの湯気のことかな  大橋春人 

 永遠とはこれなのだ、と力説したいのではないのでしょう、実際よくわからないし。けれども、自分なりの感慨が郷土愛を交えながら口語で軽く詠われているのがいいと思いました。雪もうどんも湯気も白い。

  ありがたき我への言葉を少しだけ引き算をして胸にいただく  澤﨑光子

 この謙虚さを見倣いたいと思いました。確かに、ありがたい言葉の中には、本当の気持ちや評価だけでなく、社交辞令やお気遣いやリップサービスが上乗せされているかもしれません。「いただく」という謙譲語の結句がうつくしい。

  まだ抱いてない子もいるが年玉の袋五つに名を書いており  宮脇泉

 遠方に住んでいるとか、忙しいとか、不仲とか、産まれたばっかりとか、お正月まで会えなかった事情を想像させつつ、どのような子にも平等に与えられる現金。血縁というしがらみ、というよりは作者のお正月の準備にあたたかさを感じました。

  ハツ四つ串いつぽんにつらぬかれ鶏は四羽も殺されてゐる  千葉優作

 確かに、ねぎまやつくねは鶏一羽で間に合いますが、心臓は一羽に一つしかないのです。動詞が率直なものが選ばれているため残酷さが際立ちますが、動物愛護の主張などではなく、事実を詠ったというだけのような印象がいいような気がします。

  ハイハイの孫の写真にアマゾンの段ボール箱が三個転がる  望月淑子

 ハイハイ姿を撮れば床の上にあるものが映ります。「アマゾンの段ボール箱」という具体に生活のにじみ出るのがおもしろくて(表記はカタカナでいいのだろうかと思いつつ)、赤ちゃんとの取り合わせも絵的におもしろいと思いました。

***

 コラム「わたしの休日」のわたしの担当分は終了です。感想のお言葉をいただくこともあり、とてもうれしかったです。2年間お付き合いくださりありがとうございました。

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映画『春を告げる町』を観ました。監督は島田隆一さん。東日本大震災の発生直後から全町避難を余儀なくされた福島県双葉郡広野町の2019年を見つめるドキュメンタリー映画です。

 震災の経験を演劇にする高校生、山形などから来て重機を扱う作業員、生まれてくる子供が5体満足かどうかだけを心配していたという夫婦、震災後に生まれた子供達、スタッフの方に果物を勧めるおばあちゃん、「(原発の)煙突を見ると帰ってきたってホッとする」と言いながら町のために働く女性、「(地元は)買い物が大変だから仮設住宅の方が良かった」と言う高齢者。アヒルはすくすく大きく育ち、春に田植えをした米は秋に収穫され、復活させた地域のお祭りの火が灯されます。この町に戻った人々の、なにげないような確かな生活です。なんでもないような会話が、なんだかとても愛おしい。高校生の演劇以外の町の人達は割と笑っていて、日々の暮らしそのものがメッセージであるような映画でした。
 
「2020年東京五輪聖火リレーの出発地点福島県双葉郡広野町から問いかける」とのコピーがチラシに記載してありますが、まだオリンピックの延期は決まる前に刷られたものでしょう。震災後の日々すら違う未来に来たようなのに、さらにまた違うところへ飛ばされてしまったような現在だと思います。それでも、過去に戻ることはできないので、生きてゆくのです。

 映画館はまだ休館中なので、「仮設の映画館」という配信サービスで鑑賞しました。自宅に居ながら新作映画を見ることができてうれしいです。このような状況の中、映画館を応援できたこともうれしいです。
 映画館に行けない期間が続いたので、この際CS放送やビデオオンデマンドサービスなどに加入するのもいいかなあという気持ちが芽生えていたのですが、こうして「仮設の映画館」で映画を観てみると、一転して映画館に足を運びたい気持ちが強くなりました。
 どうして映画館に行きたくなるのか、考えてみました。わたしは車も持っていないし行動範囲があまり広くなくて気軽に遠出はできないけれど、映画館へ足を運ぶと、その距離以上に心が遠くへ行けるからなのかなあ、という気がしてきました。

  公式サイト→https://hirono-movie.com/

  仮設の映画館→http://www.temporary-cinema.jp/

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服装は割と自由な仕事ではありますが、この閑散とした街で不要不急な外出をしていると思われないように、オフィスカジュアル色の強い恰好を心がけて「仕事なんです!」とアピールしつつ通勤しています。こうした時期なので、職場では席がソーシャル・ディスタンス仕様になったり、検温や消毒なども実施されています。心理的には窮屈になってきましたが、命を守るのだと思えば。時々の楽しみだった仕事前や仕事帰りのカフェも自粛しました。帰宅したら速攻で手を洗ってて感染予防に努めています。
 
 仕事でやむを得ず外出する分、買い物など他の外出を控えられるように、保存の利く干し野菜を作り始めました。天気がいい時は、干し野菜用のネットに多めに買った野菜を入れてベランダに吊るします。にんじん、ニラ、レタス、しいたけ、しめじなどいろいろ。外出自粛中でも、ベランダで出て作業をすることで陽を浴びられて元気が出ます。

 街の中でも職場でも布マスクをしている人が増えてきました。不織布のマスクが売っていないから、というのもありますが、ここまで定着したのはやっぱりテレビ見る全国の知事の方々、特に小池百合子都知事の布マスク姿が大きいんじゃないかと思います。地方の知事の方が県のゆるキャラなどのマスクをしているのには郷土愛を感じるし、「今日はどんな柄かな」と百合子マスクに注目するのも楽しいです。率先して布マスクを着用してメディアに映っている方々を見ると、明治時代に日本の女性の洋装普及のために率先して洋服を着ていらしたという昭憲皇太后のエピソードを思い出したりもします。

 わたしも、先日の考えの通り、越中ふんどしをマスクにリメイクしてみました。ふんどしというか元々は手ぬぐいですので抗ウイルス効果は期待できませんが、咳エチケットぐらいには役立つんじゃないでしょうか。

  ひもすがら蛍光灯をひからせてオフィスオフィスとにぎやかなりき


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3月号20首評の続きです。敬称略です。

  106歳のテルコさん召されテレビ横の定席大きな空間となる  さつきいつか

 特別作品の「アタラナイヨ」から。テルコさんが大柄な体格だった、というわけでなく、存在感の大きさでしょう。テレビ好きというキャラクター性、また年齢や個人名にも実感があります。

  色浅き南天の実に雨粒のひと粒ひと粒空を映しぬ  戸田明美

 とても丁寧な観察眼を見倣いたく思いました。若い南天の実に落ちた雨粒に映る、雨上がりの青空。「空を映しぬ」だから主語は雨粒なのでしょうか、おもしろいです。

  菊の紋の煙草を父は賜りき 瀬戸の風吹くみかん畑山  田中ミハル 

恩賜のたばこも今は昔。健康増進法の制定によって廃止された今でも、お父様の誇りの品なのでしょう。今みかん畑山には煙草の煙ではなく風が吹くのです。

  頻繁に猫に会ふから猫道と名づけて今日も抜ける猫道  濱松哲朗

「猫」の字が3回も出てきて、猫に頻繁に会う様子が字面に表れています。同様に「猫道」と繰り返すことで、何度も往来している様が伝わります。楽しい名付けです。

  また会いたいなって気持ちはほんとうでぬるい炬燵に賀状を書けり  魚谷真梨子

 また会いましょう、は年賀状の定型文。とはいえ本当に会いたくて書いています、わたしも。上の句の句またがりに感情がにじんでいるようです。

  坂の下の穭田の畔に腰かけて娘の車の来るを待ちおり  白井陽子

 上から下へ素直に流れる歌の作りで、懐かしいような映像が浮かびます。また、家と田の距離や母子関係など31文字以上の物語を感じました。

  飲んで泣き泣いては飲んでされど九時過ぎれば飲まぬ泣きはすれども  石橋泰奈

 わたしは飲めないのでこの感じを正しく理解できている自信がないのですが、九時という明確な時間できっかりお酒を切り上げる妙な自制がおもしろいです。

  エビちゃんを主婦の雑誌で見ておりぬ誰もきょうより若くはならない  淵脇千絵

 OLのアイコン的存在だったエビちゃんも今や主婦。かつてOL向け雑誌を読んでいたのが今は主婦雑誌を読むように、作者もエビちゃんと同様に年を重ねるという感慨でしょう。。

  葉を散らすことも花咲くこともない電信柱を染める秋の陽  吉原真

 「ない」とあえて詠うことで葉や花をつけた電信柱の絵が浮かびます。生物のような電信柱を想像するとメルヘンチックな気分になりました。

  京町屋改装したる私塾ゆえ開講の夜にともる提灯  仲町六絵 

 なんて趣のある私塾でしょう。文化や歴史を大切にする心が伝わります。提灯に焦点を当てたのがいいなと思いました。

  子の巣立つたびに実家に犬はふえ父の庭には犬小屋六棟  百崎謙

 お父様の寂しさの伝わる歌ですが、「犬小屋六棟」に笑ってしまう。六人巣立ったのでしょうか。犬小屋で庭が埋め尽くされてしまっているのでは、と心配になります。


***

  本日の歌会の田宮さん語録「松村さんを見るのも大事」 逢坂みずき

 これは歌会での一コマで、ある場所で松村さんを見ていたという内容の歌が提出されてあり、評を当てられて「どうして作者はここで松村さんを見ているのでしょう。松村さんの顔を見るのも大事ですけど~」というような文脈での発言でした。
 本来の目的ではない対象を見ていたというのが元歌のおもしろさであり、この歌もこうしてネタバラシせず謎語録のままの方がおもしろいのだろうと思いつつ。また、どちらの歌も人名が違っていたら味わいも違ったものになりそうです。それにしても歌会も自粛となった今ではなにかとても懐かしいです。

***

 2019年特別作品年間優秀作の優秀作に、12月号掲載の「めそめそ」を選んでいただきました。ありがとうございます!
 また、選歌欄評も今号に限らず取り上げていただいていて、とてもうれしいです。まとめてで恐縮ですが、お礼申し上げます。


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ステイ・ホーム!ということで20首読みましょう。敬称略です。

  点滴をうけゐる向う空があり好きな形の雲とどまらず  岩野伸子 

 点滴中に窓の向こうの空をながめていたら雲が流れていた、というそのままの内容だと思いますが、なにか暗示的な下の句に惹かれました。静かな時間が感じられます。

  鎖骨のうえあたりをゆらゆらするお湯がやわらかいネックレスのようだ  上澄眠

 入浴中のこんな何気ない瞬間が歌になるのだ、と思いました。おもしろい気づきで、ひらがな多めの表記がとても合っています。

  つぎつぎにバナナを食べるようになり少し遠くへ父は行きたり  高橋武司 

 食の趣味が変わって別人のような遠い存在になったということなのかなあ。歌意はうまく汲み取れないのですが、バナナの具体が何か良くて妙に気になる歌です。

  飛び跳ねるのみの一人あり障害者ふれあいステージの端っこにして  橋本英憲 

  「障害者ふれあいステージ」という言葉にまず驚きました。どういう立場の人が考えたのでしょう。ショーのタイトル含め事実のみの抑えた描写がよくて、いろいろ考えさせられます。

  雪のうへ雨降るやうな疲れなり椅子に凭れてしばらくをあり  國守久美子

 おもしろい比喩だと思いました。積もった雪の上にぶすぶす雨の穴の開いてゆくあの感じ。雪から雨に変わったのは気温が上がったからだと思いますが、それでも何かが降るという鬱屈感。

  七拾九才最後のこの朝を二カップ半のつや姫を研ぐ  左近田榮懿子

 区切りとなる大切な一日も朝に米を研ぐことから始まるのです。二カップ半という細やかさにも実感があります。そして山形の農民として、「つや姫」を選んでくれたことがありがたく思います。

  出てゆきし子の部屋をいま書斎としシクラメンなど飾っていたり  松塚みぎわ

 シクラメンを飾るところまで詠ったのがいいなあと思いました。部屋の主の交代が決定的になったと感じるし、子の代わりに花を置いているようでもあります。

  パレードを見に行く人を馬鹿にしてこころ安らぐ安らがねども  相原かろ

 屈折した内容が清々しいほど率直に詠われています。言ったそばから打ち消す下の句に人間味があり、なにが仰々しい文語体にもおかしみを感じました。
 
  式挙げておらねば妻の紹介を通夜振る舞いに小声でしおり  中村英俊

 親戚一同を集めて一気に周知するのも結婚式の役割だったのだ、ということに気づかされる一首。お通夜が初対面では挨拶も小声でするしかないでしょう。

  一鉢のポインセチアをいただきて転ばぬように雪道あるく  小林多津子 

 作者は北海道の方。両手で鉢を持って、固く積もって滑りそうな雪道を歩く様子が伝わります。ポインセチアの赤と雪の白のコントラストが鮮やかです。


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新型コロナウイスの感染拡大に伴い、緊急事態宣言が全国にも出され仙台の街中も閑散としてきました。が、週5で出社しております。ただ、これまでの業務は一時的に縮小になったため、一時的に別部署の仕事をすることになりました。おかげで勤務時間が変わり、これまで元々時差出勤だったのが、満員電車に乗る羽目になってしまいました。平時ほどぎゅうぎゅう詰めではないとはいえ、密です。よりクレーム対応が多いとも聞いています。心も荒みがちな世の中になってきたのでしょうがないです。業務縮小によって契約を切られたりはしなかったのが救いかもしれないのでした。
 母は花農家で働いていますが、花を飾る行事がことごとく中止になっているため影響が大きいようです。沿道を飾るために植えた花を抜きに行かなきゃいけない、と冗談のように笑っていました。笑うしかない状況なのかもしれません。

 パートが休みになっている妹から、手作りマスクが届きました。10年くらい前の女性用ふんどしブームの時に手ぬぐいで作ったものの思いのほか実用的でなく未使用だった越中ふんどしをマスクに作り替えようかな、と思っていたところだったので、ありがたいです。手作りマスクをしている人も珍しくなくなってきました。
 妹にお礼の電話をかけたところ、甥っ子が話したがっていて代わりました。4歳の甥っ子とは物心つく前にしか会ってないような気がするのですが、甥っ子にとってどのような存在なんだろうなあ、わたしは。「コロナで公園にいけない」と愚痴ってきたので「さびしいね、おうちでピアノ弾いてあそうぼうね」と言ったら「はい」と返事が返ってきました。聞き分けが、なんていいのでしょう。マスクのお返しにふんどしを作って送ろうかしら、と思いました。
 
  柳になって仕事してると言う人の「申し訳ございません」すがし


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今月は5本くらい観たい映画があって、『人生フルーツ』の再上映は一回観たからと涙を飲んで見送ったところ、急遽しばらく映画館が休館することとなりました。残念ですが、しょうがないですね。お家で過ごすことにしましょう。

 『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』は、自粛前の公開直後あたりに観てきました。なにしろ自分が生まれる10年前のことなので、どちらかに格別な思い入れもなく、一定の距離感を持って鑑賞できた気がします。
 生まれる前のことだからこそ、学生運動とか聞くともう過去のニュース映像で見るあさま山荘事件とかよど号ハイジャック事件とかのカルトなイメージが先立ってしまっていました。あらためてこの機にいろいろ調べてみても、やっぱりよくわからないところがあります。革命を起こして日本を共産主義の国にしたかった、ということで合っているのでしょうか。
 三島由紀夫はいくつか小説を読んでいたぐらいで、三島事件などの思想についてはくわしく踏み込んでいない普通の読者といったところです。
 こんな感じなので、討論の内容については、正直なところあまり理解ができなかったのですが、実際にこの国にあった出来事の貴重な記録を観られて良かったと思いました。血気盛んな若者達に対して三島由紀夫の落ち着きっぷり。

 東大全共闘の方の「東大動物園 駒場分室 特別作品 三島由紀夫 飼育費1000円」という走り書きと、三島由紀夫をゴリラに見立て揶揄した絵が出てきて、なんだかがっかりした気持ちになりました。
 少し前、ある特定の政治家が泣きながら土下座をしている絵を楽しそうに掲げて大声を出してはしゃいでいる集団を駅前で見たのを思い出しました。あの時もなんだか不快でした。その政治家を支持するとかしないとかじゃなく、下品で幼稚な表現に感じたのです。毒の効いた風刺画だったらニヤリと笑えたりするのでしょうけれど、ただの剥き出しの攻撃性みたいなものにはわたしは抵抗があります。それを集団で笑っているのにも。仲間内では楽しいのかもしれませんが、外からそれを見た時に「この人達は正しいことを言っている」とは思いにくい気がします。相手への攻撃ではなく自分達の主張に力を入れればいいんじゃないかと思うのですが、いろいろ事情があるのでしょうか。難しいことはほんとうによくわかりません。

 元全共闘の人、元盾の会の人、討論の場にいた人達の現在のインタビューも興味深かったです。当時は敵対していて、今はどうなのかはよくわかりませんが、どちらの立場の人も大体が社会的地位の高い職に就かれているようでした。
 わたしの両親は世代的には5つぐらい下なんだな、と思いました。5つぐらい下でも東大どころか中卒の父は同じ時期に既に肉体労働で働いていて、学生運動なんて別世界の話です。学生運動の時代を青春のように語れるのは都会の家柄にも経済的にも恵まれていた人達であって、地方の貧困層にはあまり関係がなかったように思われ、あらためて分断のようなものに気づくのでした。

  公式サイト→https://gaga.ne.jp/mishimatodai/

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塔4月号が届く前に、塔2月号を読みます。塔3月号も読み終えております。敬称略です。

  餅負いてひ孫一歳誕生日ばあばも負けずにうんとこどっこい  青井せつ子
 
 一升餅のお祝いをあたたかく見守る光景でしょうか。なんだかとても元気な気持ちになりました。声に出して読むとなお楽しいです。

  山形のおいしいお米「つや姫」を三合炊いて四度の食事  矢野正二郎

 一読して、前は三合で三度食べていたのが食が細くなった、と思ったのですが、計算したら三合を4で割ったら250gなので中盛ぐらいでした。やっぱり具体的な数字が良くて、四人分じゃなくて四度というところにも暮らしぶりが表れています。

  首里城を通勤の励みにしていたと電話に語るその声低し  樺澤ミワ

 首里城の歌が今号にたくさんあった中で、「通勤の励みにしていた」というのに惹かれました。仕事でいろいろなことがあっても、いつも変わらずそこに首里城があったのでしょう。

  転院の待合室に差し込める初冬の光を母はよろこぶ  萩尾マリ子

 一連の歌からお母様の病状は思わしくない様子。そうした中でのささやかなよろこび。待合室という、束の間の滞在の場所であることもなにか胸に迫るものがあります。

  信仰を勧める人にムスリムと偽り伝ふを夜半に悔いをり  山下太吉

 相手を諦めさせるため実際の信仰ではなくムスリムと偽る、迷惑な勧誘撃退として適当な嘘を吐くのはよくある話ですが、結句に人柄が表れていて、この結句で歌がより深まっていると感じました。

  父に妻、母に夫ありわたしにも夫や子どもがいればよかった  永田愛

 自分語りになりますが、結婚したいと言うと男を欲しがっている、飢えていると解釈されることがあり、そういう意味じゃないのになあと思いつつその違和感をうまく伝えられなかったのですが、この歌のようなことが言いたかったのだ、と気づかされました。口語の素直な文体と過去形の結句がせつないです。

  陰口を拒めないままテーブルのアクアパッツァは冷めきっていて  中井スピカ

 ああこれは女子会でしょうか、そこにいない人の相手の話題で誰かがトークショー始めちゃってもう止まらない感じ。ここで流れを変えようとしても水を差すみたいになって変な空気になるので、冷めてゆくオシャレ料理にも手を付けられないのです。

  青空が清々しいと思えるまで軽くなりたり座骨神経痛  石田俊子

 結句の具体名に力を感じました。そうきたか、というような意外性とか、病名の字面が詰まっているのですごく辛そうで、見た目的にも上の句に解放感があるような気がします。

  悪しきものすべて除くと思わねどここは本宮湯の峰温泉  北山順子

 湯治の一連から。祈りの気持ちが伝わってきます。温泉の具体名がいいと思いました。下の句は思わずデューク・エイセスの「いい湯だな」のメロディに乗せて読みたくなります。

  産休で七人休めば独り身の吾娘の帰りは深夜に及ぶ  弟子丸直美

 こういう時の気持ちを本人は言葉にしにくいから、こうしてお母様が気にかけてくれてよかった、と救われました。誰かが悪いわけではないから、おめでたいことだから、どんなにボロボロに疲れても何も言えない、まして独身の立場では。事実のみの描写に徹したのがとてもいいと思いました。

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映画『星屑の町』を観てきていました。原作・脚本は水谷龍二さん、監督は杉山泰一さん、出演は太平サブローさん、ラサール石井さん、渡辺哲さん、でんでんさん、有薗芳記さん、のんさん、菅原大吉さんなど。

 売れないムード歌謡コーラスグループ「山田修とハローナイツ」が地方回りの営業でリーダーの地元の東北の町に行き、歌手志望の田舎娘に出会って…という人情コメディです。
 25年続いた舞台を同じキャストで映画化、ということで安定感があります。それぞれキャラ立ちがすごいのも、舞台でずっと続けてきて磨かれてきたのかもしれません。キャラが立ってるから台詞がおもしろいというか、悲哀を感じる人間模様というか、物語りの流れとか伏線などもお見事と思いたくなるような感じで、いっぱい笑えて、味わいのある良い映画でした。グループのこともおもしろいのですが、田舎を飛び出した人と残った人みたいなのも、田舎者としてはいろいろ思うものがありました。もう一回観たいぐらい、わたしは好きです。

 ロケ地が岩手県久慈市だったようで、のんさんが東北弁を喋っているうえに歌手を志していたりするので、朝ドラ「あまちゃん」がどうしても思い出されますが、おじさんグループに交じって歌っているのが似合うのはいいんじゃないかなあと思いました。また、劇中歌が昭和歌謡なので、昭和歌謡好きなわたしは楽しかったです。オリジナル曲もレトロな感じで良かったです。
 エンドロールをながめていたら、歌唱指導がSmooth Aceの重住ひろこさんでした。昔、ラジオで流れてきた曲がすてきだったのでCDを買ったのでした。いろいろなご活動をされているのだなあ。なんとも味わい深いです。
 
  公式サイト→https://hoshikuzu-movie.jp/

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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