川が好き。山も好き。
春の山形はとてもよかった。満開の桜の向こうに、雪をかぶった真っ白な月山。新しく春の名前を授かったばあちゃんが見せてくれた景色だと思いました。
祖母の葬儀から半月ほどが過ぎました。なにしろ山形へ向かうのですから、道中で「みちのくの祖母のいのちを一目見ん」みたいな歌をはからずも詠んでしまうのだろうと踏んでいたのですが、東根駅まで行く特急バスのバス停に着いたところ、乗るつもりでいた発車時刻のバスが4月のダイヤ改正で無くなっていて、あわてて隣のバス停に来た山形駅行きのバスに飛び乗り、車内ではガラケーで必死に乗り換えを調べたりして、歌を詠むどころではありませんでした。山形駅でみどりの窓口に相談して、新幹線を使えば東京から来る叔母との待ち合わせに間に合うとわかりました。まさか人生で山形-東根間を新幹線で移動する日が来ようとは。新幹線の窓からは今が盛りの霞城公園の桜が見えて、とてもきれいでした。たくさんの花見客がこちらにカメラを向け桜越しの新幹線の写真を撮っていました。
なんとか東根駅で叔母と合流し、タクシーで実家へ。地名が田舎過ぎて伝わらず、赤い橋を目印にしてもらいなんとかたどり着きました。
妹は七歳の甥っ子を連れてくるか迷っていたようですが、これまでのいくつかの葬儀を思い出し、連れてくることを勧めました。無邪気な子供の存在はこうした場を和ませてくれます。実際に、本家のかあちゃんが「よぐ来たなあ~」とよろこんだり、わたしも甥っ子が様々に聞いてくるのへ「天国に行くんだよ」みたいに答えているうちに、そんな楽しげな映像が浮かんできたりするのでした。それにしても、あやしい宗教ではなくいたって一般的な真言宗なのに、一連の儀式やおっさまのお話、お経、仏様の存在なども生きている人の作りごとのようだと思いました。子供に言い聞かせるように、大人も物語の中で悲しみを癒してゆくのかもしれません。
親戚から、わたしの父は婿に来て一年足らずでわたしの祖父の喪主になったという話を聞きました。今まで続柄がよくわかっていなかった親戚も結構いたのですが、あらためて確認すると祖父の兄弟やその上の世代が婿に行った家など入婿がとても多いです。親戚だけでなく、近所でも多いようです。農村といえば男尊女卑で長男が偉い前時代的なイメージがありますが、意外に世代を遡るほど男性の方が名字を変えて婚家の農業を継いでいますし、長男が外に出て次男三男が継いでいる家もあります。
わたしも婿を取っていればよかった、と悔やんだのは、祖母を運んだり棺を運んだりする場面で「男性の方、前に出てください」と呼ばれても、高齢男性しかいなかった時です。祖母は痩せてしまって軽いとはいえ、ここでわたしの夫がいれば病を患っている方や杖をついている方に負担をかけさせずに済んだのに。夫がいなくとも女のわたしでも役に立ちそうに思いましたが、なにか儀式的な意味があるのかもしれず前に出られませんでした。
親戚がたくさん集まって、頭の中の家系図を書き加えながら、その細りゆくことを思いました。わたしの実家はわたしで断絶するし、本家も次で断絶、祖母の実家も、父の実家も、あの家もこの家もいずれ断絶します。家のために子を生むわけではないけれど、先祖代々の田んぼや畑を次世代に繋いでゆけないことが、わたしはとてもくるしい。農作業の合間に肥やし袋を尻に敷いておにぎりを食べるような時間を、自分の子や孫とも過ごしてみたかった気もしてくるのです。わたしがなりふり構わずそうなるように突き進んでいればそういう未来もあったかもしれず、結局は自分が選んできた今なのかもしれません。
告別式で親類の挨拶などがあれば、祖母との仲からして頼まれるのはわたしだろうという自負があったのですが、泣いて泣いてとてもそんな状態ではないだろうと見越した母や伯母が、挨拶の代わりにわたしの歌集から数首を司会の方に朗読してもらうように手筈をつけていました。セレモニーホールの待合室で葬儀社の方と漢字の読み方などの打ち合わせをしていて、「タイトルがなんのことだかわからなかったけれど、この歌(表題歌)を読んでわかりました」なんていう会話の後、「この本、買えますか?」と思わぬ申し出があり、そのまま差し上げました。
司会の女性は、たんたんとしていると評されがちな作風のわたしの歌を、情感たっぷりに読んでくださいました。そして「にず」の訛りのアクセントがネイティブで完ペキです。祖母の歌は思ったより少なくて、三首選ぶのに迷いませんでした。これからは、どんなに詠んでも挽歌です。元気なうちに元気な祖母をもっと詠んでおけばよかったと思いました。
いい時に死んでくれた、と叔母はくり返しました。果樹の仕事がひと段落した時期でちょうどよかったというのです。祖母には果てしなく長生きしてほしかったわたしには、叔母の言葉がなんだか無神経に感じたりもしたのですが、わたしもわたしで来月の歌集を読む会の日にそうなったらどうしようと相当に心配していたので、時期の被らなかった安堵感は確かにあったのでした。また、結社誌の詠草の取りまとめ作業のある20日前後に自宅を数日離れるのも厳しかったので、なんでもない日で、なんだか祖母に渾身の力で空気を読んでもらったようです。尤も、母は予定していた一泊旅行が取りやめになり、祖母に呼ばれて旅行がなくなるのはこれで3度目らしいのでした。
コロナ禍も落ち着いて遠方の叔母や妹が来れて、とはいえ通夜振る舞いなどの会食は弁当を持たせてお帰りいただくことで縮小できて、いつかの真冬の雪の葬儀に比べたらよっぽど体も楽で、天気が良くて、花が咲いていて、充分に長生きして、葬式代もちゃんと遺して。なんて見事な仕舞いっぷりでしょう。でも、おしゃべりでにぎやかな祖母のもういない世の中を生きてゆくのは寂しいです。
くり返し「寂しい人生だ」とつぶやけば祖母に「楽しい」と訂正される
祖母の葬儀から半月ほどが過ぎました。なにしろ山形へ向かうのですから、道中で「みちのくの祖母のいのちを一目見ん」みたいな歌をはからずも詠んでしまうのだろうと踏んでいたのですが、東根駅まで行く特急バスのバス停に着いたところ、乗るつもりでいた発車時刻のバスが4月のダイヤ改正で無くなっていて、あわてて隣のバス停に来た山形駅行きのバスに飛び乗り、車内ではガラケーで必死に乗り換えを調べたりして、歌を詠むどころではありませんでした。山形駅でみどりの窓口に相談して、新幹線を使えば東京から来る叔母との待ち合わせに間に合うとわかりました。まさか人生で山形-東根間を新幹線で移動する日が来ようとは。新幹線の窓からは今が盛りの霞城公園の桜が見えて、とてもきれいでした。たくさんの花見客がこちらにカメラを向け桜越しの新幹線の写真を撮っていました。
なんとか東根駅で叔母と合流し、タクシーで実家へ。地名が田舎過ぎて伝わらず、赤い橋を目印にしてもらいなんとかたどり着きました。
妹は七歳の甥っ子を連れてくるか迷っていたようですが、これまでのいくつかの葬儀を思い出し、連れてくることを勧めました。無邪気な子供の存在はこうした場を和ませてくれます。実際に、本家のかあちゃんが「よぐ来たなあ~」とよろこんだり、わたしも甥っ子が様々に聞いてくるのへ「天国に行くんだよ」みたいに答えているうちに、そんな楽しげな映像が浮かんできたりするのでした。それにしても、あやしい宗教ではなくいたって一般的な真言宗なのに、一連の儀式やおっさまのお話、お経、仏様の存在なども生きている人の作りごとのようだと思いました。子供に言い聞かせるように、大人も物語の中で悲しみを癒してゆくのかもしれません。
親戚から、わたしの父は婿に来て一年足らずでわたしの祖父の喪主になったという話を聞きました。今まで続柄がよくわかっていなかった親戚も結構いたのですが、あらためて確認すると祖父の兄弟やその上の世代が婿に行った家など入婿がとても多いです。親戚だけでなく、近所でも多いようです。農村といえば男尊女卑で長男が偉い前時代的なイメージがありますが、意外に世代を遡るほど男性の方が名字を変えて婚家の農業を継いでいますし、長男が外に出て次男三男が継いでいる家もあります。
わたしも婿を取っていればよかった、と悔やんだのは、祖母を運んだり棺を運んだりする場面で「男性の方、前に出てください」と呼ばれても、高齢男性しかいなかった時です。祖母は痩せてしまって軽いとはいえ、ここでわたしの夫がいれば病を患っている方や杖をついている方に負担をかけさせずに済んだのに。夫がいなくとも女のわたしでも役に立ちそうに思いましたが、なにか儀式的な意味があるのかもしれず前に出られませんでした。
親戚がたくさん集まって、頭の中の家系図を書き加えながら、その細りゆくことを思いました。わたしの実家はわたしで断絶するし、本家も次で断絶、祖母の実家も、父の実家も、あの家もこの家もいずれ断絶します。家のために子を生むわけではないけれど、先祖代々の田んぼや畑を次世代に繋いでゆけないことが、わたしはとてもくるしい。農作業の合間に肥やし袋を尻に敷いておにぎりを食べるような時間を、自分の子や孫とも過ごしてみたかった気もしてくるのです。わたしがなりふり構わずそうなるように突き進んでいればそういう未来もあったかもしれず、結局は自分が選んできた今なのかもしれません。
告別式で親類の挨拶などがあれば、祖母との仲からして頼まれるのはわたしだろうという自負があったのですが、泣いて泣いてとてもそんな状態ではないだろうと見越した母や伯母が、挨拶の代わりにわたしの歌集から数首を司会の方に朗読してもらうように手筈をつけていました。セレモニーホールの待合室で葬儀社の方と漢字の読み方などの打ち合わせをしていて、「タイトルがなんのことだかわからなかったけれど、この歌(表題歌)を読んでわかりました」なんていう会話の後、「この本、買えますか?」と思わぬ申し出があり、そのまま差し上げました。
司会の女性は、たんたんとしていると評されがちな作風のわたしの歌を、情感たっぷりに読んでくださいました。そして「にず」の訛りのアクセントがネイティブで完ペキです。祖母の歌は思ったより少なくて、三首選ぶのに迷いませんでした。これからは、どんなに詠んでも挽歌です。元気なうちに元気な祖母をもっと詠んでおけばよかったと思いました。
いい時に死んでくれた、と叔母はくり返しました。果樹の仕事がひと段落した時期でちょうどよかったというのです。祖母には果てしなく長生きしてほしかったわたしには、叔母の言葉がなんだか無神経に感じたりもしたのですが、わたしもわたしで来月の歌集を読む会の日にそうなったらどうしようと相当に心配していたので、時期の被らなかった安堵感は確かにあったのでした。また、結社誌の詠草の取りまとめ作業のある20日前後に自宅を数日離れるのも厳しかったので、なんでもない日で、なんだか祖母に渾身の力で空気を読んでもらったようです。尤も、母は予定していた一泊旅行が取りやめになり、祖母に呼ばれて旅行がなくなるのはこれで3度目らしいのでした。
コロナ禍も落ち着いて遠方の叔母や妹が来れて、とはいえ通夜振る舞いなどの会食は弁当を持たせてお帰りいただくことで縮小できて、いつかの真冬の雪の葬儀に比べたらよっぽど体も楽で、天気が良くて、花が咲いていて、充分に長生きして、葬式代もちゃんと遺して。なんて見事な仕舞いっぷりでしょう。でも、おしゃべりでにぎやかな祖母のもういない世の中を生きてゆくのは寂しいです。
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歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)
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tomomita★sage.ocn.ne.jp
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