川が好き。山も好き。
昨日に続いて、橋場悦子さんの第一歌集『静電気』の感想を書きましょう。
盗み聞きしてゐるうちに好きになるけなされてゐる知らない人を
対象の人間性が伝わるほど具体的に貶されていたのでしょうか、悪口とはそういうものです。耳に入るものを真に受けることなく、同情でもなく、自分の気持ちで好意を持つということ、その心の在りように注目したい。
キャプションに笑顔とあるが私には仏頂面に見える一枚
この歌も、一首目と同じように、キャプションに流されず、自分の感覚が大切にされています。実際の写真を見てみたくなります。わたしが見たら泣いているように見える、なんていうこともあるかもしれない。
よく読めばしどろもどろの主張さへ明朝体のもつともらしさ
見た目で判断せずに、自分で内容を見極める、というのは先にあげた歌とも共通するテーマでしょうか。「しどろもどろ」と「明朝体」の字面の対比もおもしろいのです。
相手からもわたしが見えるのを忘れひとを見つめてしまふときあり
座談会で共感するかしないかが分かれるんじゃないかと話題になった歌。言われてみればわたしは違うタイプだな、と気づくのですが、おもしろい歌です。没入した後で自分を客観視しているのがおもしろいのかも。
男にはわからないわと女ならわかるでせうは少し異なる
多様性について一時代前を思わせる発言ですが、どちらの声にしても、心を寄せずに「少し」などと言って分析しているのに可笑しみがあります。
壇蜜は嫌ひではない壇蜜を好きと言ひ張る女が嫌ひ
壇蜜を好きな自分が好き、みたいなあざとさでしょうか。独自の路線を行く壇蜜さんが自己アピールに利用されるのもなにかわかる気がする。そして彼女もわれわれと同じ年齢なのでした。
病室でやさしい言葉ばかり言ふやさしいひとであるかのやうに
相手を慮ってやさしい言葉を言う、ということもやさしさではないかとわたしは思うのですが。「やさしい」のリフレインは結構思いきった表現で効いています。
ついていい嘘ならいくらでもつくし譲れるものはなんでも譲る
先の「やさしい言葉」を受けてのこの歌、ではないのですが、一貫した作者のスタンスというものがにじみ出ていて印象に残りました。
髪を切る決断はすぐ成就する伸ばす決意はさうはいかない
切ろう切ろうと思いながらずるずる髪が伸びてしまうわたしと全くの真逆なので、新しい世界が拓けたで個人的におもしろかった歌です。「髪」だけでなく、他のことでも当てはまるのかもしれません。
いくつものルートがあるが乗換へはいづれも二回必要である
なにか人生の暗喩のようでいて、普通に実感なのだとも思う。というか、実際にほとんどの人が経験したことがあるのではないでしょうか。こういうところで立ち止まって歌に詠めるのがすごいし、「二回」の具体性や、結句の妙な断定口調に味わいがあります。
ほんたうの真冬であれば真冬並みの寒さとはもう言はれなくなる
確かに。確かに、以外の言葉がうまく見つからないのですが、好きな歌です。
刑事より被疑者の署名の字のうまき供述調書もまれにはありき
先入観や、こうだろう、こうであってほしいとの心の期待の勝手さを正されるような、それでいて実景としてもおもしろい、事実を見つめる一首。
墓場まで持つていけずにたいていのことは喋るか忘れるだらう
そうだろうなあ、と納得して笑ってしまう。そのような人を責めるでもなく、許すでもなく、あきらめるでもなく、そうだろうなあという感じの肯定感。
橋場さんの歌は難しい言葉や、意味の取れない歌もないのでとても読みやすく、そしておもしろい。おもしろくしようとしているわけではなくて、まじめにしていて素でおもしろいのだと思う。定型意識の素晴らしさにも味わいがあります。そして物事についての姿勢も公平というか、なんとなくマニュアルのギアがニュートラルに入っていて手で遊ばせているようなイメージが浮かんできます。そうした作風に、表紙の抽象画が絶妙に合っていて、本のかたちで手元に置いておくのをお勧めしたいです。
橋場悦子『静電気』
http://www.honamisyoten.com/bookpages/ST202014863.html
ランリッツ・ファイブ
sites.google.com/view/ranritsu5/
盗み聞きしてゐるうちに好きになるけなされてゐる知らない人を
対象の人間性が伝わるほど具体的に貶されていたのでしょうか、悪口とはそういうものです。耳に入るものを真に受けることなく、同情でもなく、自分の気持ちで好意を持つということ、その心の在りように注目したい。
キャプションに笑顔とあるが私には仏頂面に見える一枚
この歌も、一首目と同じように、キャプションに流されず、自分の感覚が大切にされています。実際の写真を見てみたくなります。わたしが見たら泣いているように見える、なんていうこともあるかもしれない。
よく読めばしどろもどろの主張さへ明朝体のもつともらしさ
見た目で判断せずに、自分で内容を見極める、というのは先にあげた歌とも共通するテーマでしょうか。「しどろもどろ」と「明朝体」の字面の対比もおもしろいのです。
相手からもわたしが見えるのを忘れひとを見つめてしまふときあり
座談会で共感するかしないかが分かれるんじゃないかと話題になった歌。言われてみればわたしは違うタイプだな、と気づくのですが、おもしろい歌です。没入した後で自分を客観視しているのがおもしろいのかも。
男にはわからないわと女ならわかるでせうは少し異なる
多様性について一時代前を思わせる発言ですが、どちらの声にしても、心を寄せずに「少し」などと言って分析しているのに可笑しみがあります。
壇蜜は嫌ひではない壇蜜を好きと言ひ張る女が嫌ひ
壇蜜を好きな自分が好き、みたいなあざとさでしょうか。独自の路線を行く壇蜜さんが自己アピールに利用されるのもなにかわかる気がする。そして彼女もわれわれと同じ年齢なのでした。
病室でやさしい言葉ばかり言ふやさしいひとであるかのやうに
相手を慮ってやさしい言葉を言う、ということもやさしさではないかとわたしは思うのですが。「やさしい」のリフレインは結構思いきった表現で効いています。
ついていい嘘ならいくらでもつくし譲れるものはなんでも譲る
先の「やさしい言葉」を受けてのこの歌、ではないのですが、一貫した作者のスタンスというものがにじみ出ていて印象に残りました。
髪を切る決断はすぐ成就する伸ばす決意はさうはいかない
切ろう切ろうと思いながらずるずる髪が伸びてしまうわたしと全くの真逆なので、新しい世界が拓けたで個人的におもしろかった歌です。「髪」だけでなく、他のことでも当てはまるのかもしれません。
いくつものルートがあるが乗換へはいづれも二回必要である
なにか人生の暗喩のようでいて、普通に実感なのだとも思う。というか、実際にほとんどの人が経験したことがあるのではないでしょうか。こういうところで立ち止まって歌に詠めるのがすごいし、「二回」の具体性や、結句の妙な断定口調に味わいがあります。
ほんたうの真冬であれば真冬並みの寒さとはもう言はれなくなる
確かに。確かに、以外の言葉がうまく見つからないのですが、好きな歌です。
刑事より被疑者の署名の字のうまき供述調書もまれにはありき
先入観や、こうだろう、こうであってほしいとの心の期待の勝手さを正されるような、それでいて実景としてもおもしろい、事実を見つめる一首。
墓場まで持つていけずにたいていのことは喋るか忘れるだらう
そうだろうなあ、と納得して笑ってしまう。そのような人を責めるでもなく、許すでもなく、あきらめるでもなく、そうだろうなあという感じの肯定感。
橋場さんの歌は難しい言葉や、意味の取れない歌もないのでとても読みやすく、そしておもしろい。おもしろくしようとしているわけではなくて、まじめにしていて素でおもしろいのだと思う。定型意識の素晴らしさにも味わいがあります。そして物事についての姿勢も公平というか、なんとなくマニュアルのギアがニュートラルに入っていて手で遊ばせているようなイメージが浮かんできます。そうした作風に、表紙の抽象画が絶妙に合っていて、本のかたちで手元に置いておくのをお勧めしたいです。
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歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)
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