川が好き。山も好き。
7月になってしまいましたが5月号を読みます。敬称略です。
「子を産みていません」呆けたる母が一度言いけり忘れていいいのに 小島さちえ
産んだことを忘れる歌は割とありそうな気がするのですが、産んでいないとことを覚えているのは初めてみました。他の歌から養子だということが明かされていますが、「義母」ではなく「母」という言葉選びが一読して困惑を招きつつ、それも含めて良いと思いました。
けふあたり蝋梅の咲く縁に出で友は開かむわたしの文を 西山千鶴子
書く時、ポストに入れる時に、届いた頃という少し未来の相手を思えるのが手紙のすてきなところだと常々感じているのですが、この歌を読んであらためて再確認させられました。相手の暮らす地域で蝋梅の咲く頃に届くように送られたのでしょうね。
寄る辺なくわが庭に降りし雪ならむ寄る辺なき雪スコップに寄す 加藤和子
雪国の歌。「寄る辺なく」「寄る辺なき」のリフレインに、降り続き積み重なる雪の重みが伝わります。「スコップ」のカタカナも、スコップの硬さ、片付けられた雪の状態と合っているようです。
孫がありてよかりしと思う家中が明るくなれりありがたきなり 須藤冨美子
孫効果、みたいな詠いぶりがちょっとおもしろい。結句は感謝というより、崇め奉っているような印象です。孫という全存在そのものへの圧倒的な肯定感。
身の内にいつも尻尾を揺りたがる犬のいること知られたくない 王生令子
犬は尻尾で感情を表すといわれています。素直な犬のような自分の心は律して、私より公の立場を大事にしているということでしょうか。自制ということをこういうふうに表現できるんだなと思いました。
何をしても平成最後と思いおり明日あることを疑わずいて 相馬好子
平成最後、平成最後と何かにつけて謳われている時、確かに明日地球が滅亡するかもしれないとか、明日病に襲われ倒れるかもしれないとか考えたりしないのでした。世の中の浮かれモードへの違和感が鋭く詠われています。
おまえのことを祈ったのだとは言わねどもおまえのことを祈っていたり 荒井直子
風炎集「釘抜地蔵」から。お嬢様とお参りの一連ですが、「おまえ」がお嬢様だとわからなくても、読者が自分の大切な相手を重ねても、または「おまえ」に自分を重ねて読んでもいいのかもしれません。「おまえ」という二人称にもなんだか泣きたくなるのでした。
神功皇后が舟を繋ぎしという岩を散歩の折り返し点と出でゆく 荒堀治雄
神がかりの伝説の岩が、日常の生活に溶け込んでしまっています。かつてお札にもなって崇められていながら今となっては実在が疑われている神功皇后と、散歩というごく個人的な日常の取り合わせになんともいえない味わいがあります。
病も体の一部俺だ俺そのものだ よろしく元旦 久長幸次郎
なんだかすごい破調で、それだけに率直に気持ちが伝わってくるようです。「よろしく元旦」という結句、しかも一字空けて、なかなかこんなふうには詠えない。なんという清々しさでしょう。
ただただ生きてきたよという告白を同窓会で繰り返したり 永久保英敏
「ただただ生きてきた」ということが報告でもつぶやきでもなく「告白」だということに、その破調も相まってただならぬものを感じます。しかも繰り返すとは。しかも同窓会という同年齢の集まりで。この歌では多くを語っていないからこそ、かえって伝わってくるものがあります。
大声で気もちがいいと言ってから本当にそんな気もちになる日 松岡明香
アファメーションの歌。「大声で」がとても良いです。実際に大声で「気持ちがいい」と言っている姿を思うとなかなかシュールですが、それもまた良いのでしょう。もともと気持ちが良かったらこういう行動には出ない、というせつなさも感じるのでした。
「子を産みていません」呆けたる母が一度言いけり忘れていいいのに 小島さちえ
産んだことを忘れる歌は割とありそうな気がするのですが、産んでいないとことを覚えているのは初めてみました。他の歌から養子だということが明かされていますが、「義母」ではなく「母」という言葉選びが一読して困惑を招きつつ、それも含めて良いと思いました。
けふあたり蝋梅の咲く縁に出で友は開かむわたしの文を 西山千鶴子
書く時、ポストに入れる時に、届いた頃という少し未来の相手を思えるのが手紙のすてきなところだと常々感じているのですが、この歌を読んであらためて再確認させられました。相手の暮らす地域で蝋梅の咲く頃に届くように送られたのでしょうね。
寄る辺なくわが庭に降りし雪ならむ寄る辺なき雪スコップに寄す 加藤和子
雪国の歌。「寄る辺なく」「寄る辺なき」のリフレインに、降り続き積み重なる雪の重みが伝わります。「スコップ」のカタカナも、スコップの硬さ、片付けられた雪の状態と合っているようです。
孫がありてよかりしと思う家中が明るくなれりありがたきなり 須藤冨美子
孫効果、みたいな詠いぶりがちょっとおもしろい。結句は感謝というより、崇め奉っているような印象です。孫という全存在そのものへの圧倒的な肯定感。
身の内にいつも尻尾を揺りたがる犬のいること知られたくない 王生令子
犬は尻尾で感情を表すといわれています。素直な犬のような自分の心は律して、私より公の立場を大事にしているということでしょうか。自制ということをこういうふうに表現できるんだなと思いました。
何をしても平成最後と思いおり明日あることを疑わずいて 相馬好子
平成最後、平成最後と何かにつけて謳われている時、確かに明日地球が滅亡するかもしれないとか、明日病に襲われ倒れるかもしれないとか考えたりしないのでした。世の中の浮かれモードへの違和感が鋭く詠われています。
おまえのことを祈ったのだとは言わねどもおまえのことを祈っていたり 荒井直子
風炎集「釘抜地蔵」から。お嬢様とお参りの一連ですが、「おまえ」がお嬢様だとわからなくても、読者が自分の大切な相手を重ねても、または「おまえ」に自分を重ねて読んでもいいのかもしれません。「おまえ」という二人称にもなんだか泣きたくなるのでした。
神功皇后が舟を繋ぎしという岩を散歩の折り返し点と出でゆく 荒堀治雄
神がかりの伝説の岩が、日常の生活に溶け込んでしまっています。かつてお札にもなって崇められていながら今となっては実在が疑われている神功皇后と、散歩というごく個人的な日常の取り合わせになんともいえない味わいがあります。
病も体の一部俺だ俺そのものだ よろしく元旦 久長幸次郎
なんだかすごい破調で、それだけに率直に気持ちが伝わってくるようです。「よろしく元旦」という結句、しかも一字空けて、なかなかこんなふうには詠えない。なんという清々しさでしょう。
ただただ生きてきたよという告白を同窓会で繰り返したり 永久保英敏
「ただただ生きてきた」ということが報告でもつぶやきでもなく「告白」だということに、その破調も相まってただならぬものを感じます。しかも繰り返すとは。しかも同窓会という同年齢の集まりで。この歌では多くを語っていないからこそ、かえって伝わってくるものがあります。
大声で気もちがいいと言ってから本当にそんな気もちになる日 松岡明香
アファメーションの歌。「大声で」がとても良いです。実際に大声で「気持ちがいい」と言っている姿を思うとなかなかシュールですが、それもまた良いのでしょう。もともと気持ちが良かったらこういう行動には出ない、というせつなさも感じるのでした。
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短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)
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