川が好き。山も好き。
やっぱり山本周五郎が読みたくなり、ここ最近の気分で『野分』を読み返しました。(結末まで書いてしまいますので未読の方はご注意ください。)
職人気質の祖父と暮らす下町娘・お紋は、大名の庶子に生まれた若殿・又三郎と心を通わせます。又三郎は町人としてお紋や祖父・藤七老人と人間らしく正直に生きてゆきたいと思うようになります。けれども情勢の変化で父の後を継ぐことになり、残された唯一つの夢としてお紋を妻として貰いたい、と藤七老人に懇願します。
藤七老人は、又三郎の真意をお紋に伝えず、お紋と共にその地を立ち退いてしまいます。
ある日、お紋は昔の同僚と再会し、又三郎が(正式にはよそから奥方を迎えなければいけないけれど)お紋を生涯の心の妻と決めて恋しがっている、振るなんてあんまりだと責められます。お紋は「あたし若さまが好きだったのよ、若さまの気持さえ本当なら、お部屋さまだってよかった、一生お側で暮らせるならお端下にだって上ったわ、それなのにお祖父さんはあんなひどいことを云って、あんなひどいことを」嘘をついた藤七老人を問い詰めるのでした。
藤七老人は、腰から手拭を取り、両の目を押しぬぐいながら云います。
「若さまはいまお糸さんの云う通り仰しゃった、他から奥方は貰うが、身も心もゆるす本当の妻はお紋ひとり、生涯変わるまいと仰しゃったんだ」
「……だがお紋、おらあ考えた、本当の妻になって、生涯可愛がってもらえるおまえは、しあわせだろう、けれどもそれじゃあ奥方になって来る方が気の毒じゃあないか、お大名そだちだって人の心に変りはない筈だ、一生の良人(おっと)とたのむ人が自分には眼も向けず、同じ屋敷のなかでほかの者をかわいがっているとしたら、どうだ、悲しくも辛くもねえか、平気で一生みていられるか」
「そんなむごい、不人情なことに眼をつむる訳にはいかねえ、人に泣きをみせてまで、自分の孫を仕合せにしたかねえ」
それは、藤七老人の江戸っ子としての意地でした。そうして「……あたしだって江戸っ子だわ」と、お紋は祖父の思いを汲み、又三郎に居場所を知られないようにふたたび引っ越してゆくのでした。
わたしはこうした山本周五郎の人情ものがとても好きで、初めて読んだ時にはあまりにいじましくて、せつなくて、涙が止まらなかったのを覚えています。ほんとうに、なんてうつくしい物語かと思います。
ただ、最近になって考えるのは、このような生き方をして、お紋その人はしあわせになれるのだろうか、ということです。物語の主人公ならばこうして読者が心に寄り添うことができます。けれども、生身の人間が、自分の心を押し込めて義理や人情を優先したところで、誰が見ていてくれるでしょう。現実には、他人の事情などお構いなしに誰に迷惑をかけようと自分に正直に生きている人の方が、最終的にはしあわせをつかんでいるような気がします。お人好し過ぎては人生を損してしまうだけなのでは、と、初読の時には芽生えなかった思いが、自分の来し方も振り返りつつ浮かぶのでした。
『野分』は新潮文庫の『おごそかな渇き』という短編集に収録されています。その中の『将監さまの細みち』も、だめな夫に心身疲弊していたところに真面目で自分を思ってくれる幼なじみが現れて、結局は夫と共に生きることを選ぶあたりがもう山本周五郎で、人間というものがなんともかなしく思われるのでした。
職人気質の祖父と暮らす下町娘・お紋は、大名の庶子に生まれた若殿・又三郎と心を通わせます。又三郎は町人としてお紋や祖父・藤七老人と人間らしく正直に生きてゆきたいと思うようになります。けれども情勢の変化で父の後を継ぐことになり、残された唯一つの夢としてお紋を妻として貰いたい、と藤七老人に懇願します。
藤七老人は、又三郎の真意をお紋に伝えず、お紋と共にその地を立ち退いてしまいます。
ある日、お紋は昔の同僚と再会し、又三郎が(正式にはよそから奥方を迎えなければいけないけれど)お紋を生涯の心の妻と決めて恋しがっている、振るなんてあんまりだと責められます。お紋は「あたし若さまが好きだったのよ、若さまの気持さえ本当なら、お部屋さまだってよかった、一生お側で暮らせるならお端下にだって上ったわ、それなのにお祖父さんはあんなひどいことを云って、あんなひどいことを」嘘をついた藤七老人を問い詰めるのでした。
藤七老人は、腰から手拭を取り、両の目を押しぬぐいながら云います。
「若さまはいまお糸さんの云う通り仰しゃった、他から奥方は貰うが、身も心もゆるす本当の妻はお紋ひとり、生涯変わるまいと仰しゃったんだ」
「……だがお紋、おらあ考えた、本当の妻になって、生涯可愛がってもらえるおまえは、しあわせだろう、けれどもそれじゃあ奥方になって来る方が気の毒じゃあないか、お大名そだちだって人の心に変りはない筈だ、一生の良人(おっと)とたのむ人が自分には眼も向けず、同じ屋敷のなかでほかの者をかわいがっているとしたら、どうだ、悲しくも辛くもねえか、平気で一生みていられるか」
「そんなむごい、不人情なことに眼をつむる訳にはいかねえ、人に泣きをみせてまで、自分の孫を仕合せにしたかねえ」
それは、藤七老人の江戸っ子としての意地でした。そうして「……あたしだって江戸っ子だわ」と、お紋は祖父の思いを汲み、又三郎に居場所を知られないようにふたたび引っ越してゆくのでした。
わたしはこうした山本周五郎の人情ものがとても好きで、初めて読んだ時にはあまりにいじましくて、せつなくて、涙が止まらなかったのを覚えています。ほんとうに、なんてうつくしい物語かと思います。
ただ、最近になって考えるのは、このような生き方をして、お紋その人はしあわせになれるのだろうか、ということです。物語の主人公ならばこうして読者が心に寄り添うことができます。けれども、生身の人間が、自分の心を押し込めて義理や人情を優先したところで、誰が見ていてくれるでしょう。現実には、他人の事情などお構いなしに誰に迷惑をかけようと自分に正直に生きている人の方が、最終的にはしあわせをつかんでいるような気がします。お人好し過ぎては人生を損してしまうだけなのでは、と、初読の時には芽生えなかった思いが、自分の来し方も振り返りつつ浮かぶのでした。
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短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)
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