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川が好き。山も好き。
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久しぶりに、山本周五郎「三十ふり袖」を読み直しました。
 主人公のお幸は賃仕事をしながら病身のお母様と二人で裏長屋に暮らしています。不景気で生活が行き詰まっていたところに、近所の飲み屋「みと松」のおかみさん・お松から、常連客である巴屋の旦那の妾の話を持ちかけられます。巴屋の旦那は四十五、六でとても良い人だと言います。
 ――あたしもう二十七なんだわ。
 と、くり返されるお幸の独白がかなしい。江戸時代の二十七は今でいう三十七の感覚でしょう。それでも、わたしがこの作品を初めて読んだ時の年齢が二十七くらいだったので、当時はお幸の心に寄り添うように読んだものでした。
「心を鬼して云うわよ」と、お松は言います。「世間がこんな具合だし、病身のお母さんを抱えていては、お嫁に行くこともお婿さんをもらうこともできやしない。それにあんたも年が年だし、もしかして縁があっても、子持ちの処へのちぞえにゆくぐらいがおちだわ、ねえ、そのくらいならいっそちゃんとした人の世話になって、ゆっくりお母さんにも養生をさせ、あんたも暮しの苦労からぬけるほうがいいじゃないの、世の中には十五十六で身を売る娘だって少なくはないのよ」
 お幸が承知したところで、この話がうまくまとまれば巴屋の旦那から世話料を貰える、それが貰えれば助かるから、心の中ではそれをあてにしていたのよ、とお松は泣き声で白状するのでした。
 ――誰が悪いんでもない、こういうめぐりあわせなんだもの、世間にはもっと、いやな辛いおもいをする人だって、たくさんいるんだもの。
 と、お幸は自分に言い聞かせながらも、自分のことをあんまりかわいそうだと思うのでした。

 完全なる善意から、五十歳近い男性を紹介されることになりました。仲介の知人女性が無邪気に「うまくいくといいな~」とウキウキしている様子に、わたしはどこか傷ついています。わたしが勝手に傷ついています。誰も悪くありません。
 水を差したいような気持ちになり、仲介の女性に、障がいがあってまともに社会生活の送れない弟がいることを伝えました。女性は困ったようになり、しばらく逡巡した後、相手には黙っていましょうと言いました。
 ――あたしもう三十七なんだわ。
「三十ふり袖」のお幸のように、わたしは心の中でくり返しています。

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おとも
性別:
女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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