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川が好き。山も好き。
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 5月の連休に、帰省したのだった。
 その日は丁度、地元の小さな地域の小さなお祭りの日だったから、小さな神社にお参りに行った。わたしが子供の頃は、巫女さんになって参拝の人達にお神酒を注いだりしたものだけれど、今はそんな習慣もなくなった。親戚を呼ぶこともない。せいぜい、家族で餅を食べるくらいで。
 それでも、神社には次々に人が訪れ、わたしと母の前には一組の老夫婦が石段を上がっていた。おばあちゃんの方は「(階段を上るのが)遅くて(ごめんなさいね)」と笑って恐縮していた。おじいちゃんの方はお供えの一升瓶を手にしていて、ちょっと重たそうだった。昔はなかった階段の手すりにつかまりながら、ゆっくりゆっくり神社の階段を上がる老夫婦とひと時を共にして、なにか胸がじんわりした。わたし達が引き返す頃には、また一升瓶を手にした別な人とすれ違った。小さな地域のこと、みんな顔見知りである。尤も、滅多に帰らないわたしなんてもの珍しくて、挨拶を交わしても妹や叔母と間違えられたり学生だと思われたりするのだけれど。
 
 それまで、年に一回もないくらい滅多に帰らなかったわたしだけれど、今年に入って半年で二回も帰省している。来月か再来月にも帰ろうと思う。福祉の仕事に関わっているせいか、祖母に会えるだけ会っておこうと思うようになった。それに、昔に比べ、家族が優しくなった。昔は、優しくなかった。ほんとうに優しくなかった。
 自宅の二階の自室にいる時、階段下の祖母に「おとも」と呼ばれた。そうだった、祖母に呼ばれる名を、ハンドルネームにしたのだった。

  ふるさとの鄙はなにも変わりなく人が消えゆくほかにはなにも


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この歌はすきだなぁ
この歌を読んで書きたいことや思いがいっぱい溢れてくる。
老いるということ 老夫婦のお互いを思う気持ち そんな日常も
長い自然の時間のサイクルの中では 刹那。
人が生まれ消える。ただそれだけのこと。
だけど自分にとってはものすごく長い道のり。
最後に神社の階段を上る老夫婦のような時間をもてたら
幸せだったと言って死んでいけるのかな。
平均寿命からすると折り返しを曲がったところで
死(ゴール)を見ながら今を生きる私にとっては
なんだかじんわりくる話でした。

あ 一緒に階段上がる人見つけないと ^o^;
kumapapa31 2013/06/12(Wed)02:36:10 編集
kumapapa31 さんへ
こんにちは。
歌自体は結構前に詠んだものでしたが、帰郷する度に感じる思いです。
老夫婦、長年連れ添った空気感にじんわりしますよね。
何気ないうしろ姿からも込み上げるものがあって、思わずカメラに収めた一枚でした。
年老いてのち、わたしも二人のような空気に包まれていればいいのに、と思います。
kumapapa31 さんにもどうぞそんな幸せが訪れますように。
おとも 2013/06/12(Wed)19:57:55 編集
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おとも
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自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

連絡・問い合わせ:
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