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川が好き。山も好き。
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叔母から届いた年賀状に「今年はすこしずうずうしくなってみましょう!」と手書きで書いてあった。昨年の叔母からの年賀状にも「すこしずうずうしくなるといいかもよ」と書いてある。叔母からは、わたしはよっぽど遠慮しいに見えているのだろうか、と思う。

 母の妹である叔母は、東京在住で滅多に会えない。最後に会ったのは昨年、わたしの妹の結婚式で、その前は15年ほど前にわたしが漫画の持ち込みに上京した時、というぐらいに滅多に会えない。
 それでも、義叔父と共に、わたしがNHK短歌で入選一席に選ばれた時にお祝いをくださったり、東日本大震災で被災した時はお見舞いをくださったり、近年は毎年のように秋に梨を送ってくださる(叔母は一家で梨農家をしているのだ)。その度にわたしはお礼の電話をし、年末などにお歳暮として菓子折りを送ってお返ししていた。届けば「そんなに気を遣わなくていいのに」と叔母から電話が来るけれど、それはある種のお約束で、実際はお返しをするのが礼儀なのだと思っていた。

 そういえば、妹や従姉妹など、同じ立場の他の親戚はどうしているのだろう。わたしはみんなそういうことをしているのだと思っていたのだけど、わざわざ菓子折りなんて誰も送らないのだろうか。と、いう疑問の湧いてきたのは、一昨年に結婚したわたしより年上の従姉妹が、親戚からの結婚祝いの贈り物に対してうんともすんとも言わなかった、ということを親戚伝いで耳にしたからである。従姉妹とは疎遠なのでどんなふうな考え方をしているのかわからない。
 もしかして、わたしだけが、何かしてもらえばお礼、お礼、と過剰に反応しているのだろうか。叔母の言う、わたしのずうずうしくなさ、とは、わたしのそういう性質のことなのだろうか。

 昔、親しくしていたひとがわたしに高額なプレゼントをくれようとしたのを「そんなのもらえない、お返しができない」と断り、なんでもらえないのかと喧嘩になり、仲がこじれてしまったことがある。ほんとうは欲しい品だったのにもらう気持ちになれなかったのは、遠慮と、「ずうずうしい人間だと思われたくない」という見栄からだ。もらっておけばよかったんだよな~、と今はわかる。相手はお返しが欲しくてプレゼントをくれるわけじゃない。「あげたい」という心でくれようとしたのだ、わたしをよろこばせようとして。それなのに、なんとわたしという人間の可愛げのなさよ。

 ずうずうしい人間にはなりたくないと思っていた。けれど、過度な遠慮が相手を困らせてしまうこともある。疲れさせてしまうことも、きっとある。わたしは、もうすこしずうずうしくなってゆこう。すこしずうずうしくなっても、感謝の気持ちは忘れずに。

  ことのほかお見舞いくれた東京の義叔父に今年も送る喜久福  
※喜久福=仙台銘菓

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おとも
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女性
自己紹介:
短歌とか映画とかこけしとか。
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/¥2000)

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