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川が好き。山も好き。
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ベランダの鉢に紅花の種を蒔いたことは以前書きましたが、7月頃に花が19咲きました。紅花染めをしたいな、と思っていたのですが、量も少なめだったので、結局は食べてしまいました。花を摘んで、ご飯を炊く時に炊飯ジャーに入れました。サフランライスのように、ご飯が黄色に染まって華やぎました。

 紅花の咲き終わった鉢に、なにかが生えているのに気づきました。最初は雑草だと思っていましたが、それにしてはなんだか存在感があります。しばらくそのままにしたら、黄色い花が咲きました。
 その黄色の花は知っています。去年その鉢で育てていたミニトマトです。傍に寄れば、トマトの青臭い匂いがします。去年は苗を買って植えましたが、今年は植えていません。苗は植えていませんでしたが、時期の終わって赤くならないままに茶色く変色した実を、肥料にでもなるかなと思い、土に混ぜていたのでした。あの実の中の種が発芽したのでしょう。まさか芽が出るとは思っていなかったのでびっくりです。
 しばらくしてミニトマトはいくつか実がなり、2つほどは赤く色づきました。せっかくなので収穫して食べてみました。思いがけず実ったミニトマトは、思いがけずおいしかったです。
 
 しあわせって、こういうものなんじゃないかなと思いました。それと知らずに自分で種を蒔いていて、いつのまにか育っていて、忘れた頃に花が咲いて、熟した実を自分の口に頬張れるような。人生にも、そのようなことがあるんじゃないかなと思いました。そんなふうに、自分の暮らしにもしあわせの種を蒔いていけたらいいなと思いました。

 先日の日曜日は良い天気だったので、ベランダに布団を干して、もう時期の終わった紅花の花の中から、種を取り出しました。この種は春に蒔きます。そうして命を繋いでゆきます。

  一人という家庭のかたち日曜のベランダに干す一つの枕


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台風が近づいていて外は雨降りでしたが、14日の木曜日に貸していただいた鍵を返しに、不動産屋さんに行ってきました。最初に契約した時は近場の不動産屋さんでしたが、途中で何回か管理が変わり、今の不動産屋さんは少し離れた所にあります。

 通勤では座れない地下鉄も、雨の日曜日は空いています。わたしは通勤用に購入していた夏目漱石『それから』の続きを読みました。半分くらい読み進めていて、今さらですが、とってもおもしろいです、高等遊民っぷり。
 地下鉄ですが地上に出る瞬間もあり、それまでの真っ暗な窓にぱあっと緑が映ります。この緑の公園を、元恋人とよく散歩しました。あのおだやかな時間も今は遠い日々です。秋にはキンモクセイの香りで満ちる階段があります。

 今日で2度目の駅に降りて、不動産屋さんに鍵を返しました。せっかく外に出て、普段は来ない場所に来たのだから、少し留まってみようと思いました。けれども、見回しても周りに何もありません。コーヒーでも飲めるお店がないかと案内板を見ても、いくつもの公営住宅の位置を示すばかりです。
 仕方がないので、近くのスーパーに入ってみました。2階建てのスーパーは食品だけでなく衣料品も扱ってあり、パン屋さんも書店も旅行店も100円ショップも入っていました。きっとこの辺りに暮らす人達はこのスーパーで何でも揃えられるのかもしれないですね。自転車で15分先にあった20代の頃のわたしの職場ととても似ていて、なつかしくなりました。一方で、あのままあそこに勤めていたらわたしの人生は今よりずっと閉塞的だっただろうと思うのでした。フードコートもありましたが、コーヒーは飲まず、鶏ムネ肉を買って帰りました。

  一人きり部屋から出ない言いわけが出来上がるから雨の日は好き

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自宅の鍵を失くしてしまいました。こんなことは鍵を持つようになってから初めてです。失くすようなものではないと思っていたので、合鍵も作っていませんでした。気付いたのはお昼過ぎ、仙台駅西口のペデストリアンデッキを歩いていた時です。

 今日は、午前中に駅近くで用事があり街へ出たのでした。短時間で終わりましたが、せっかくなのであちこち見て回ることにしました。
 丸善で大口玲子『神のパズル』を見つけたので、即購入しました。第一歌集から最新作まで自選短歌579首の他にエッセイや東日本大震災の母子避難講演録なども収録されているとの赤い帯に、わたしは絶対に読んだ方がいいと思いました。それにしても、久しぶりに訪れた丸善は内装が変わっていて少し迷いました。
 普段は滅多に一人で外食をしないのですが、せっかくの平日ランチタイムなので、一人ランチもしてみましょう。普段の自分と違ったことをしてみると、それが些細なことでも自分の世界が広がるのを感じます。適当なお店でパスタをいただきました。食後のコーヒーを飲みながら、勉強している周りの人に倣ってノートも広げてみます。最近のわたしは詠みたい歌はもう詠んでしまった気がして、この先はもう歌を詠まなくなるんじゃないかなあなんて思っていたのですが、今日歩きながら思ったことがそのまま4首の歌になりました。長居をしないようにという注意書きに従い、ほどよいところでお店を出ました。

 それにしても今日は暑い一日です。歩き回ったせいかもしれません。額の汗を拭こうと左ポケットからハンカチを取り出した時に、いつも左ポケットに入れているはずの鍵がないことに気づきました。
 右のポケットにも、後ろのポケットにもありません。鞄の中を探しても見つかりません。今日赴いたところを探そうと思いましたが、いかんせん今日は移動が多過ぎました。行けるところは行ってみて、駅の忘れ物センターも当たってみました。「鍵は届いていませんか?」と伺ったら「いっぱい届いてます」と返ってきたのが、こんな非常事態ながら妙におかしく、同じように帰れなくなった人がいっぱいいるのだと胸が痛くなりました。
 結局、そのまま不動産屋さんに電話して、貸していただくことになりました。

 不動産屋さんに鍵を取りに行くため、仙台駅から自宅とは逆方向行きの地下鉄に乗り、初めて降りる駅で降りました。諸々の書類の手続きをし鍵を貸していただきます。もし本鍵が見つからなかったら鍵を変えなければいけないと案内がありました。拾った人に自宅に侵入される危険もあるので当然の処置ですが、鍵が見つかる可能性が低過ぎるため頭の中はお金のことでいっぱいです。
 
 自宅アパートに着くと郵便受けに塔9月号が届いていました。もうそんな時期です。封筒を開けながら部屋に向かいつつ、どうしようどうしようと途方に暮れていたところ、自分の部屋のドアノブに何かぶら下がっているのが見えました。
 東京タワーのキーホルダーの付いた、鍵でした。出先で失くしたわけでなく、刺したまま忘れて出かけてしまっていたのでした。
 見つかってよかったし、危なかったです。鍵もそうですが、お気に入りの東京タワーのキーホルダーが無事だったのにも安堵しました。ほんとうに、気を付けなければいけません。昨日は駅構内で小銭をばら撒いてしまったし、最近ちょっとぼーっとしてるのかもしれないです。

 『神のパズル』に、わたしの歌も2首引いていただいていました。2014年の心の花の時評で塔・東北「1099日目」を取り上げていただいていたんですね。あらためてありがたいです。今さっき気づいてびっくりしました。

  仙台に一人で暮らすアパートの鍵には銀の東京タワー

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先月に帰省した時の写真をプリントして、実家と妹宅に送りました。家族が揃うことももうあんまりないので、集まった時は写真を撮っています。わたしの父方にはわたしが5歳くらいの時に亡くなった義伯母がいたのですが、義伯母をわたしは慕っていたはずなのに、一緒に映っている写真が2枚くらいしかないのが寂しいのです。そうした思いもあり、甥っ子と祖母を一緒に映しておこうと思います。

 帰省する度、近所の人にわたしは姉の方なのか妹の方なのか聞かれます。自分ではそんなに妹と似ていると思いませんが、そっくりだと言われます。
 それでも、甥っ子には区別がつくようです。妹の姿が見えなくなるとびえええと泣き喚く甥っ子は、同じ顔のわたしが「ママだよ~」とあやしてもしっかり見破りわたしを拒絶するのでした。そうしたことも、まだ物心のついていない甥っ子の記憶にはきっと残らないでしょう。不思議な時間を思います。忘れてしまう日々でも、この頃にちゃんと愛されたかどうかがその後の人格形成へ影響を与えるなどとも言われています。
 
 妹は専業主婦ですが、わたしの母はわたしを産んでひと月後には仕事復帰しました。2歳の甥っ子は妹の姿が見えなくなると泣きだしますが、わたしが2歳だった頃、母のいない時に泣いたのでしょうか。記憶にはないけれど、2歳の頃には母のいないことなんてもう慣れっこだったのではないでしょうか。

 DVを受けて育った人が、無意識にDV男性に惹かれてしまうというような話をよく聞きます。それがどんなに良くないものだとしても、慣れている環境に安心するらしいのです。
 わたしは、放置する人を選ぶ傾向がある気がします。そして、わたしも相手を放置します。束縛はされるのもするのも苦手です。密接な関係より、距離があった方が楽なのでしょう。そのせいか仲が深まらず終わる、ということをくり返しました。乳幼児期の環境のせいかもしれないし、大人になってからの一人暮らしが長いせいかもしれないし、両方かもしれません。或いは、まったく関係ないかもしれません。

 母が赤ん坊のわたしを家に残して仕事に行っても、わたしには曾祖母がいました。曾祖母といっても、ほんとうは大伯母です。曾祖母は子供を生めなかったため、実の妹を養子にしたのでした。それが今も元気な90歳の祖母です。当時は祖母も農業や土木の仕事に出ていました。だから、家のことは主に曾祖母がしていたのです。
 赤ん坊のわたしが曾祖母に抱っこされている写真を時々ながめます。古い頃の家の庭で日向ぼっこをしている写真が特にお気に入りです。赤ん坊のわたしは目をつぶって眠っていますが、曾祖母はなんだかしあわせそうに見えます。
 
  アルバムのなか幼子を抱く母は知らぬ笑顔で一つ年下


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梨農家の叔母から届いた梨は3kgです。梨は大好きですが、一人で食べるには相当な量です。これまでは職場に持って行ったり、近い日に会った人にあげたり、自宅に来た人に切り分けて出したりもしていましたが、今年はそんな感じではなさそうです。あまり置いておいても悪くなるので、すりおろして煮詰めてジャムを作りました。パンやヨーグルトに合わせていただきましょう。
 それでも余っていたので、干し野菜用のネットに入れてベランダに吊るし、干し梨を作っているところです。初めて作ってみるけれど、おいしくできるといいなあ。

 実家から届いた野菜の中にはナスやキュウリがあったので、さすがにもうだしの季節ではないよね、と思いつつだしを作りました。今年最後のだしはナスとキュウリとタマネギです。他には青じそと生姜を少し入れるのが好きですが、とりあえず今あるもので。
 だしは地元の郷土料理で、今やスーパーやコンビニにも売っていますが、好みの野菜を細かく刻んでしょうゆとみりんを入れるだけなので(もっと手抜きをしたいなら麺つゆだけでもいいのです)買ったことがないです。他の家の味は知らないです。かみのやま温泉の旅館の夕食に出たのを食べたくらい。でも、聞けば同郷の人でも自宅でだしをあんまり作らないという家が多くて意外でした。わたしの実家の食卓にいつもだしが出ていたのは、実家が農家で夏野菜が次から次へと収穫されるからだったんだなあーと気づきました。ご飯にかけていただきます。
 残りのナスはピーマンと味噌炒めにしました。あとはジャガイモやタマネギ、カボチャがあります。カボチャの天ぷら食べたいけど、衣を作るのが手間なので素揚げにしましょう。

  ふるさとの茄子をもらいて帰り来れば君にだしなど作ってあげたし

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けたたましいJアラートで目を覚ましました。ミサイル発射。ミサイル発射。北朝鮮からミサイルが発射された模様です。頑丈な建物や地下に避難して下さい。テレビを点けてみると、わたしの住んでいる県も避難を促す区域として大きく注意されています。戦時中ってこんな感じなのかなあ、なんてぼんやりしながら、まぶたを閉じました。頑丈な建物や地下に避難して下さいなんて言われても、わたしはどこへも行けません。昨晩もなかなか寝付けなかったせいで、どうしようもなく眠かったのです。そうして10分ぐらいとろとろしたところで再びアラートが鳴ったのでした。

 昨日は、怖い話を聞きました。仕事の休憩中、同僚さんが雑談で「嫌いな友達の家に遊びに行った時に~」って何気なく言ったのでした。それとなく流したけれど、「嫌いな友達」ってすごく怖い言葉だと思いました。嫌いなのに友達なのでしょうか?友達だったけど何かあって嫌いになって今は友達ではないのではなく、嫌いなままで友達付き合いを続けているのでしょうか? 自分のことを嫌っている人を仲が良いと思って自宅に招いていた、なんて怖過ぎます。嫌いなら自宅に遊びになんて来てくれなくていいのに。仕事や親類じゃないんだから無理に関係を続けてくれなくていいのに。

 一昨日は仕事が休みでした。叔母と、実家の母が荷物を送ってくれるというので、午前中を指定してもらいました。けれども、実際に届いたのは午後2時近くです。配達員さんは「遅くなってすみません」と何度も謝ってくれましたが、ネット通販の普及で宅配業者が大変だということはニュースで聞いていたので、謝られる度に「いいえ、お疲れさまです」と労いました。中には怒る人もいたんだろうな、と想像がつきました。というのも、わたしは今の仕事で訪問の受付や手配をしており、到着を待ちきれない人から「まだ来ないの!?」という問い合わせの対応をしたことがあるからなのでした、配達ではないけれど。叔母からは梨、実家からは米と野菜が届きました。

 家を出る前はミサイルの臨時ニュースでいっぱいだったテレビも、帰宅してみれば通常放送に戻っていました。とりあえずは安心です。夕飯に、実家から届いたゴーヤで作ったゴーヤチャンプルーを食べました。ひき肉がなかったので、代わりにツナを使いました。塩もみしても、やっぱりゴーヤは苦いのでした。

  酔えもせず吐いてしまいぬああわたしどこへも逃げる場所がなくって

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「本当は物分かりのいい女じゃないの。ただ、耐えただけ。 」
 先々週ぐらいまで放映されていたNHKドラマ「ブランケットキャッツ」で、主人公・秀亮のお見合い相手で離婚歴のあるたえ子さんが、相手の借金や浮気で結婚に失敗しても相手を責めずに受け入れた過去を振り返り、微笑みながら自嘲した台詞が、ずっと印象に残っています。時々、唱えたくなるくらいに。

 仙台では26日連続で雨降り。おひさまの光が恋しいです。夕焼けとかも。暑いのは苦手ですが、さすがに今年の夏は寒いです。セロトニン不足になるし。

 一人暮らしが寂しいしんどいと言い続けているわたしですが、最近、一緒に住まないか提案されました。
「絶対嫌!」と、考える間もなく即答してしまった自分に、自分でびっくりしました。
 相手は、今まで一度も一人暮らしをしたことがない年下の女の子です。婚活中とのことですが、家事の一切をお母様任せにしているためか、言葉の節々から生活力の乏しさが伺えます。もちろん、家事は女性がやるべき、なんていうのは時代遅れですが、彼女は「働きたくない」と専業主婦希望なので家事をしないわけにはいかないでしょう。お母さんが部屋を掃除してくれないとゴミ屋敷になるとか、お母さんに「ご飯まだ!?」とキレているようでは、婚活が成功したとしてもその先は大丈夫なのかな、と心配になるのでした。篠田節子『女たちのジハード』で、エリート男性をでき婚に持ち込むものの、あまりの家事能力のなさに離婚されてしまう紀子を思い出します。彼女自身が以前一人暮らしについて相談してきたことがあったので、一度してみてはどうか言ってみたところ、できないとのことでした。
 二人で暮らすことについて、あまりにわたしが強く拒んだので「そんなに強く言わなくても…」と落ち込まれてしまいました。すぐさま「二人暮らしだと彼氏できても部屋に呼べないよ~」と茶化しましたが、自分でも、冷たかったと思います。けれども、やっぱり『女たちのジハード』の紀子と康子の同居生活が浮かんでしまうのでした。康子による「自分のことも自分でできない人に結婚する資格があるのだろうか」というようなモノローグによって、その章は閉じられます。きっと、彼女のような人を「自分がついていてあげなくちゃ!」と守ってあげたくなる人もいるのだろうけれど。そのような人を新たに見つけて、紀子も康子の家を出ていくのだけれど。

 いつもニコニコしておどけたことばかり言っている年上の同僚さんが、他愛ない会話の中にさらっと、まるで何でもないことのようにつらいことを混ぜてくることがあるので、どきりとします。そこで「えっ?」と立ち止まって話を広げることは望んでいないと思うので、わたしもさらっと流すのだけど。 
 いろいろなものを抱えている人ほど、かなしいくらい明るくて優しいように思います。そういう人は何かあっても、元気そうにしているから大丈夫なんだな、なんて表面で判断されて、ほんとうは大丈夫じゃない時まで放っておかれてしまうこともあるのではないでしょうか。一人でいる時に泣いているような気がして、無理している時もあるような気がして、気がかりです。
 でも、わたしも見習って笑っていたいと思うのでした。

  泣きながら渡ったかつての通勤の歩道橋から見えた夕焼け

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古い家に暮らしていた頃のある時期、居間で曾祖母がいくつか布を買って縫物をしていました。何を作っているか聞いたところ、一つはわたしの浴衣だと言っていました。わたしはとてもうれしくて、出来上がるのを楽しみにしていました。
 それから出来上がったとの知らせもないまま家の建て替えがあったり曾祖母が亡くなったりしてほとんど忘れていました。
 実家の小屋の箪笥から見たことのある柄の浴衣が出て来た時、これはわたしの浴衣なのだと、譲り受けてきました。曾祖母が浴衣を縫っていたのはわたしが小学生の頃なので、10年以上も後のことです。そうして自分のクローゼットに仕舞ってからも、着る機会がないまま数年が経ちました。

 今年の七夕祭りに、浴衣を着て行こうと思い立ちました。店頭に並ぶ浴衣はどれもとてもかわいくて、欲しい柄がいっぱいです。けれども、曾祖母の浴衣を着ることにしました。
 初めて着る曾祖母の手縫いの浴衣は、店頭で手に取ったどんなすてきな浴衣より、やわらかい感じがしました。白地にほんのり赤い花の柄は少し地味ですが、わたしに似合うような気がします。もっと早く着ていればよかったな。曾祖母に浴衣姿を見てもらいたかったな。来年の夏も再来年の夏もその先の夏も、きっと曾祖母の浴衣を着ようと思いました。

 七夕祭りの郵便局の出店で、七夕の切手を買いました。ポストカードや、鈴がオマケで付いてきました。

  町に野に働き者の母なればわたしは曾祖母に育てられたり


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妹が甥っ子を連れて一週間ほど帰省しているというので、わたしも一泊の帰省をしてきました。90歳の祖母とあと何度会えるかわからないけれど、千葉に住む2歳の甥っ子もいつまで田舎に来てくれるでしょう。まして祖母と甥っ子が居合わせる場面なんて、と思えば、えいっと有休も申請するのでした。

 ここ数年はバスで帰っていましたが、久しぶりに電車を乗り継いで、左沢線に乗りました。2両ばかりの電車は田んぼの中を走ってゆきます。窓に広がるみどりを見遣りながら、「わたし、ここで一人では暮らせないな」と思いました。現実的に、わたしには車もなくて、この辺りには仕事もなくて。
 地元の町には電車が通ってないので隣の市で降ります。地元の町には「路線バス」と書かれたワゴン車が走っていました。でも、ワゴン車でも走るようになっただけ交通が発達してきています。

 一年ぶりに会う甥っ子は、なにかごちゃごちゃ喋るようになっていました。一年前みたいに人見知りしてびゃーっと泣くことはなかったけれど、かといって誰かに懐くこともなく、なんだかえらく食い意地の張ったマイペースな子に。また次に会う時は違った子になっているでしょう。
 夏休みの時期なので、近所の同世代の人達も子供を連れて帰ってきた人がいたみたいです。年寄りばかりの集落が華やいでいいですね。

 犬の散歩をして、スイカを食べて、ご飯を作って、浴衣の帯を貸してもらって結び方を習って、出荷するニンニクを200gずつ詰めて。それにしてもつくづくわたしはご飯を作る手際が、自分でいうのもあれですが、ほんとうに手際が良くて、あるもので6人分の主菜副菜汁物並行して作って作り終えると同時に調理に使った洗い物片付けも終わってる手際の良さですよ。そして祖母の分は介護食に。手際が良すぎてかなしいくらいです。
 
 翌日のお昼は一寸亭本店で肉中華を食べてきました。冷たい肉そばが人気の店だけれど、わたしは中華麺の肉中華一択。平日の開店当初に赴いたのに、他県のナンバーの車も集まって来てすぐに行列です。昔からあるのになんだかここ数年で急に有名になった印象ですが、ほんとうにここの汁がおいしい。ハーフカツ丼も頼みましたが、ご飯は半分くらいは甥っ子に食べられました。

  そば嫌いのわたしも一寸亭本店の冷たい肉そばの汁は好きなり


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日々、席の変わる仕事です。先日、その日の隣席だった年上の同僚さんが、何かの話の流れで「私は年をとってもずっと働くって決まったようなもんだから」と悲しく笑っていました。「まだわかんないですよ!これから石油を掘り当てるかも」と笑って否定して、その後はお金持ちのおじいちゃんと結婚するだの後妻業だのくだらない冗談合戦になりました。
 笑ってはぐらかしながら、わたしの人生も似たようなものだろうなと、ほんとうはずっと思っていました。

 昨日は職場の人達と数人で河原で花火をしてきました。特に参加するつもりもなく帰ろうとしていたところ、同僚さんに「行きましょうよ!」と引き留められました。彼女はいつも行動的で、元気だな~と思っていたのですが、実は元気じゃないのだそうです。「家に帰るとしんしんと寂しくなるんです!」と元気に言うので、混ざってみることにしました。
 手持ち花火なんてもう何年ぶりでしょう。せせらぎの音も心地よくて、夏っぽいことしたーという感じです。
 一方で、妙に空しい。集まったのは、たくさんの人がいる中で10人ほど。寂しさを持て余した人達がなんとかその寂しさを埋めようと集まったような、もの悲しさを感じるのでした。でも、わたしの勝手な思い過ごしで、みんな普通に楽しんでいたのかもしれないです。
 わたしともう一人は花火が終われば帰宅しましたが、他の人達は飲み屋さんに行ったようです。夜遊びを好まないわたしは23時でさえ遅くなっちゃったな、と思うのですが、みなさん元気ですね。元気なんでしょうか。ほんとうは、元気じゃないんじゃないでしょうか。

  新しいアドレス帳に移さない去年花火を共に見た人

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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