川が好き。山も好き。
わたしは歌集を出してはいないけれど、わたしの歌の載っている本が書店にいくつか置いてあったりします。先日、友人と居る時に書店に寄ったついでに、その中の一冊を「わたしここに載ってるんだよ~」と軽く言ってみました。わたしが会計を済ませて戻ってくると、「きれいだね」と、感想を伝えてくれました。
わたしの作風はきれいさとは遠く、載っていた歌もきれいな歌ではありません。彼女がほんとうに「きれい」と思った可能性もなくはないですが、たぶん読んでもよくわからないけど短歌はきれいなもの、風流、百人一首みたいなふわっとしたイメージで言ったのでしょう。
失敗した、と思いました。余計な気遣いをさせてしまいました。
昔、パワハラ上司に「短歌をやっているなんて高尚ぶって気にくわない」というような罵りを受けたことがあります。仕事をサボって短歌を詠んでいたわけでもないし、短歌を使って人を見下していたわけでもないのに、です。履歴書の趣味の欄に「短歌」と書いていたのを、文学好きの別な上司に目を止めていただいて採用された職場でした。
なんでもかんでも因縁をつけたいだけだと思われますが、このように一方的なイメージを持たれやすいことはわざわざ言わない方が無難だと学びました。他の歌人の方からも、嫌なことがあったため言わないようにしているという話を聞いたことがあります。
友人とは、ここ最近とみに深い話などをしていたこともあり、今さら人格否定の材料にされることはないだろう、と自己開示してみたのですが、やっぱり言わないままでよかったのかもしれないです。
これまで別の人に話した時も、特選かどうか、順位などの成績のみに焦点を当てられることがあったりもしました。ごく個人的な切実な思いを込めて詠んでも、「風流だね」「日本の文化だね」としか伝わらないのです。けれども、それが悪いこととも思いません。
短歌に興味のない人にも短歌を浸透させよう! と、わたしは思っていません。興味のないものを押し付けられても鬱陶しいだけでしょう。
たとえばわたしはスポーツが得意ではないので、スポーツの楽しさを熱く語られても共感しきれないし、選手がどうとか、技術がどうとかいうのもよくわからないのです。スポーツ観戦しようと誘われたり、一緒のチームに入って楽しみましょうとユニフォームを用意されたりしても困ってしまいます。素晴らしいことだとは理解できるのですが、世間話以上のことになると、それはわたしじゃなくて別なスポーツ好きな人に語った方がいいのでは、と後ずさりしたくなります。あくまでたとえの話で、ダンスとか盆栽とかパッチワークとか人によってはいろいろあると思いますが、そのように興味のないものはしょうがない。お互いさまです。
そして、気を遣ったり、媚びを売るためだったり、好きでもないのに好きなふりもしなくていいと思うのでした。
わたしには歌しかあらず歌のみにすがりついてた日々もありたり
わたしの作風はきれいさとは遠く、載っていた歌もきれいな歌ではありません。彼女がほんとうに「きれい」と思った可能性もなくはないですが、たぶん読んでもよくわからないけど短歌はきれいなもの、風流、百人一首みたいなふわっとしたイメージで言ったのでしょう。
失敗した、と思いました。余計な気遣いをさせてしまいました。
昔、パワハラ上司に「短歌をやっているなんて高尚ぶって気にくわない」というような罵りを受けたことがあります。仕事をサボって短歌を詠んでいたわけでもないし、短歌を使って人を見下していたわけでもないのに、です。履歴書の趣味の欄に「短歌」と書いていたのを、文学好きの別な上司に目を止めていただいて採用された職場でした。
なんでもかんでも因縁をつけたいだけだと思われますが、このように一方的なイメージを持たれやすいことはわざわざ言わない方が無難だと学びました。他の歌人の方からも、嫌なことがあったため言わないようにしているという話を聞いたことがあります。
友人とは、ここ最近とみに深い話などをしていたこともあり、今さら人格否定の材料にされることはないだろう、と自己開示してみたのですが、やっぱり言わないままでよかったのかもしれないです。
これまで別の人に話した時も、特選かどうか、順位などの成績のみに焦点を当てられることがあったりもしました。ごく個人的な切実な思いを込めて詠んでも、「風流だね」「日本の文化だね」としか伝わらないのです。けれども、それが悪いこととも思いません。
短歌に興味のない人にも短歌を浸透させよう! と、わたしは思っていません。興味のないものを押し付けられても鬱陶しいだけでしょう。
たとえばわたしはスポーツが得意ではないので、スポーツの楽しさを熱く語られても共感しきれないし、選手がどうとか、技術がどうとかいうのもよくわからないのです。スポーツ観戦しようと誘われたり、一緒のチームに入って楽しみましょうとユニフォームを用意されたりしても困ってしまいます。素晴らしいことだとは理解できるのですが、世間話以上のことになると、それはわたしじゃなくて別なスポーツ好きな人に語った方がいいのでは、と後ずさりしたくなります。あくまでたとえの話で、ダンスとか盆栽とかパッチワークとか人によってはいろいろあると思いますが、そのように興味のないものはしょうがない。お互いさまです。
そして、気を遣ったり、媚びを売るためだったり、好きでもないのに好きなふりもしなくていいと思うのでした。
わたしには歌しかあらず歌のみにすがりついてた日々もありたり
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金銭管理は割としっかりしている方だと思います。支出の帳簿を付けていて、ひと月の予算を決め、お金を下ろすのは月に一回です。収入から予算を引いた額を貯金して、細々とお金を貯めてきました。
これまで節制ぶりに反し、この頃は財布の紐がやたらゆるいです。環境が変わったことで、出費が思いのほかあったのです。自分の欲しいものなら我慢ができますが、自分の意思と関係なく必要なものはそうはゆきません。あれも買わなきゃ、これも買わなきゃ、とやっているうちに、少し麻痺してきました。今まで通りだったら買わなくてよかったものであるということに憤りを感じ、今まで一生懸命に計算して貯蓄していた日々はなんだったのか、と空しくなってゆきました。
輪をかけて、気疲れからか滅多に出ない熱を出してしまいました。寝込むわけにはいかないので薬を買ったり、食欲や食事作る気力がなくてもとにかく食べなきゃとコンビニ弁当などを数日買いました。自炊だったらその半額もしないでしょう。
必要なものはどんどん増えてゆきます。あれも買わなきゃ、これも買わなきゃ、とやっているうちに、あれも買っちゃえ、これも買っちゃえ、と今まで控えていたようなものまで買ってしまっています。こけしクリップ、エクレア、ブロッコリーと海老のサンド、その他いろいろ。
読み終えないまま次から次へと本も買ってしまいます。どうせ貯まらなくなるのだから何か一発当ててやれと「公募ガイド」、図書館で読んだけど所持したくなってきちゃった!と津村記久子『婚礼、葬礼、その他』、あ、エッセイも読みたいと津村記久子『やりたいことは二度寝だけ』、山川藍歌集『いらっしゃい』も元々読みたかったけど津村さんの帯が決定打に。近藤ようこさんが帯を書かれていたので、中身も見ずに齋藤なずな『夕暮れへ』も買ってしまう、漫画を買うのも3年ぶりくらい。自分を見つめなおしたくビジネス新書も買うのです、岡田尊司『回避性愛着障害 絆が希薄な人たち』。もう次から次へとです。
ずっと、我慢ばかりしてきました。物だけじゃなく、言葉や心もです。どれだけのものを飲み込んで今の現実に流れ着いたでしょう。わたしの人生なのだもの、誰も何も慮ることなく、好き勝手に生きればよかった。そうしたら、たとえうまくいかなかったとしても、後悔はしなかったのに。
と、反動のように半ばやけくそに散財してみたところで、本はともかく買い食いなどはやっぱり「あああ、親子丼なんて自分で作ったら100円もかからないのに」と、それなりに悔いは押し寄せるのでした。
しあわせは「施設へ入居する金が貯まって老後が安泰」のこと
これまで節制ぶりに反し、この頃は財布の紐がやたらゆるいです。環境が変わったことで、出費が思いのほかあったのです。自分の欲しいものなら我慢ができますが、自分の意思と関係なく必要なものはそうはゆきません。あれも買わなきゃ、これも買わなきゃ、とやっているうちに、少し麻痺してきました。今まで通りだったら買わなくてよかったものであるということに憤りを感じ、今まで一生懸命に計算して貯蓄していた日々はなんだったのか、と空しくなってゆきました。
輪をかけて、気疲れからか滅多に出ない熱を出してしまいました。寝込むわけにはいかないので薬を買ったり、食欲や食事作る気力がなくてもとにかく食べなきゃとコンビニ弁当などを数日買いました。自炊だったらその半額もしないでしょう。
必要なものはどんどん増えてゆきます。あれも買わなきゃ、これも買わなきゃ、とやっているうちに、あれも買っちゃえ、これも買っちゃえ、と今まで控えていたようなものまで買ってしまっています。こけしクリップ、エクレア、ブロッコリーと海老のサンド、その他いろいろ。
読み終えないまま次から次へと本も買ってしまいます。どうせ貯まらなくなるのだから何か一発当ててやれと「公募ガイド」、図書館で読んだけど所持したくなってきちゃった!と津村記久子『婚礼、葬礼、その他』、あ、エッセイも読みたいと津村記久子『やりたいことは二度寝だけ』、山川藍歌集『いらっしゃい』も元々読みたかったけど津村さんの帯が決定打に。近藤ようこさんが帯を書かれていたので、中身も見ずに齋藤なずな『夕暮れへ』も買ってしまう、漫画を買うのも3年ぶりくらい。自分を見つめなおしたくビジネス新書も買うのです、岡田尊司『回避性愛着障害 絆が希薄な人たち』。もう次から次へとです。
ずっと、我慢ばかりしてきました。物だけじゃなく、言葉や心もです。どれだけのものを飲み込んで今の現実に流れ着いたでしょう。わたしの人生なのだもの、誰も何も慮ることなく、好き勝手に生きればよかった。そうしたら、たとえうまくいかなかったとしても、後悔はしなかったのに。
と、反動のように半ばやけくそに散財してみたところで、本はともかく買い食いなどはやっぱり「あああ、親子丼なんて自分で作ったら100円もかからないのに」と、それなりに悔いは押し寄せるのでした。
しあわせは「施設へ入居する金が貯まって老後が安泰」のこと
退職前、一人の同僚さんに、失業手当をもらいながらのんびり短時間のアルバイトをしていた頃の話を聞きました。自分の考えがあってそうしていたのに一緒に働いていたおばさん達には全く理解されなかった、と言っていました。その同僚さんは、わたしと同世代の一人暮らしの女性です。
ほんとうに、働き方は人それぞれ。女性が輝く時代!と謳われて、出世したいのに結婚や妊娠でキャリアが築けないことを不公平だと嘆く女性の声も大きく聞こえます。けれども、みんながみんな仕事で輝きたいわけではないでしょう。今のわたしは、心身ともに無理せずに割り切って働けて、ちゃんと暮らしていけるくらいのお給料がもらえればそれでいいです。もし生活に困らないほどお金があったとしても、浮世離れしないように少し働いて社会と繋がっていたいとも思います。
以前、変に動かなければ受給できたはずの失業手当を、焦って無理に再就業したらやっぱり無理で、結局ちゃんと受給できなかった、という苦い経験があるので、彼女の話を興味深く聞きました。今後そのような機会があったら参考にしたく思います。
(当時の失業手当をめぐるいきさつはこちら→2014/11/14 その日記に添えた歌の、解散せしバンドとは野狐禅のことなのですが、竹原ピストルさんは今ソロで活躍されていてうれしいです。歌自体はもっと前の解散直後に詠んだものでした。)
あの頃、焦って無理して就業して、結局休職して退職した施設に、今は別の知り合いが勤めているということを最近知りました。当時は直雇用でしたが、今は業者に委託しているとのことで、その委託業者に知り合いが所属しているのでした。よって、当時の直雇用の職員の誰も残っていないそうです。耳をふさぎたくなるような下品な話ばかり飛び交うなどの当時の惨状を思えば、そりゃあ業者に委託するだろうな、と納得もするのでした。今はとてもいい人達ばかりとのことです。解雇された人達はどうなったんでしょうね。誰の人生も、先が見えないものだなと思いました。
十二階トイレ窓からお隣りのビルの会議が見ゆ薄曇り
ほんとうに、働き方は人それぞれ。女性が輝く時代!と謳われて、出世したいのに結婚や妊娠でキャリアが築けないことを不公平だと嘆く女性の声も大きく聞こえます。けれども、みんながみんな仕事で輝きたいわけではないでしょう。今のわたしは、心身ともに無理せずに割り切って働けて、ちゃんと暮らしていけるくらいのお給料がもらえればそれでいいです。もし生活に困らないほどお金があったとしても、浮世離れしないように少し働いて社会と繋がっていたいとも思います。
以前、変に動かなければ受給できたはずの失業手当を、焦って無理に再就業したらやっぱり無理で、結局ちゃんと受給できなかった、という苦い経験があるので、彼女の話を興味深く聞きました。今後そのような機会があったら参考にしたく思います。
(当時の失業手当をめぐるいきさつはこちら→2014/11/14 その日記に添えた歌の、解散せしバンドとは野狐禅のことなのですが、竹原ピストルさんは今ソロで活躍されていてうれしいです。歌自体はもっと前の解散直後に詠んだものでした。)
あの頃、焦って無理して就業して、結局休職して退職した施設に、今は別の知り合いが勤めているということを最近知りました。当時は直雇用でしたが、今は業者に委託しているとのことで、その委託業者に知り合いが所属しているのでした。よって、当時の直雇用の職員の誰も残っていないそうです。耳をふさぎたくなるような下品な話ばかり飛び交うなどの当時の惨状を思えば、そりゃあ業者に委託するだろうな、と納得もするのでした。今はとてもいい人達ばかりとのことです。解雇された人達はどうなったんでしょうね。誰の人生も、先が見えないものだなと思いました。
十二階トイレ窓からお隣りのビルの会議が見ゆ薄曇り
退職しました。退職すると決めたのはわたしなのに、どうして退職することになってしまったのか自分でもよくわからなくて、まだ気持ちが着いてゆけません。そうした運びが決まってから、ずっと落ち着かない日々を過ごしてきました。
1年半ほど勤めました。当初は去年の春まで、と聞いていたのですが業務が延長になり、わたしは予定より1年ほど長く勤めました。今までくり返し読んでほとんど暗記しているマニュアルも、パソコンの独特な社内システムも、もうわたしとは関係ないんだな、と思うと寂しくなりました。休憩室の窓から、遠くに山の上の観覧車が見えるのも好きでした。仕事とは別なところで、平日のシフト休みに映画に行くのも楽しみの一つでした。
思いのほかたくさんの人が惜しんでくださって、上司の方々にも同僚さん達にもたくさんのうれしい言葉をいただきました。これまでの人生でこんなに惜しんでもらえたことってなかったんじゃないかってくらいです。ほんとうにありがたいです。
上手に生きられるようになりたい。この頃ずっと考えています。人生は思い通りにゆかないものだし、後悔するようにできていると藤沢周平も『蝉しぐれ』で書いているけれども、それでもわたしはもう少し自分次第でなんとかできるんじゃないか、そんな気がしてしまうのでした。
ありがとうだけでは生きてゆけないね紐を引かねば点かない灯かり
1年半ほど勤めました。当初は去年の春まで、と聞いていたのですが業務が延長になり、わたしは予定より1年ほど長く勤めました。今までくり返し読んでほとんど暗記しているマニュアルも、パソコンの独特な社内システムも、もうわたしとは関係ないんだな、と思うと寂しくなりました。休憩室の窓から、遠くに山の上の観覧車が見えるのも好きでした。仕事とは別なところで、平日のシフト休みに映画に行くのも楽しみの一つでした。
思いのほかたくさんの人が惜しんでくださって、上司の方々にも同僚さん達にもたくさんのうれしい言葉をいただきました。これまでの人生でこんなに惜しんでもらえたことってなかったんじゃないかってくらいです。ほんとうにありがたいです。
上手に生きられるようになりたい。この頃ずっと考えています。人生は思い通りにゆかないものだし、後悔するようにできていると藤沢周平も『蝉しぐれ』で書いているけれども、それでもわたしはもう少し自分次第でなんとかできるんじゃないか、そんな気がしてしまうのでした。
ありがとうだけでは生きてゆけないね紐を引かねば点かない灯かり
先週、突発的に帰省してきました。実家へは車で直行すれば2時間もかからないのですが、公共交通機関を使うと乗り換え乗り換え乗り換え乗り換えで、しかも地元の町には駅がなく、実家から一番近いバス停さえ徒歩40分という有様なので、車のないわたしはどうにも帰るのが億劫になりがちです。
終点はずっと遠くですが、地元の隣町で途中下車できる高速バスがあったので、今回はそれに乗ってみました。乗り換えが少ないというだけでもかなり楽でした。
3月の山形はまだ肌寒く、冬用のコートで十分なくらいでしたが、それでも雪解けで春めいていました。
実家では特に何をすることもなく持参していた塔3月号と夏目漱石『行人』を読み、ご飯を作り、犬の散歩をし、あとはひたすら92歳の祖母としゃべっていました。祖母は週に一度のデイサービスがとても楽しいようで、相変わらず元気いっぱいでした。でも、「いつまでも長生きしやがって」と疎まれているという被害妄想になぜか囚われているのが妙におかしかったです。
実家には、なにかとてもあやしい電位治療器があります。母が、スーパーの駐車場で行っていた無料体験のセールストークに乗せられてついに購入したらしいのです。通っていると聞いた時から、あやしい、悪徳商法ではないかと注意していたのに……。ネットでちょっと検索すればいろいろ悪いうわさが出てきますが、田舎だとこうした変な販売方法も娯楽めいて盛り上がってしまうのかもしれません。みんな集まって楽しいように通っているうちに、販売員と変な信頼関係も芽生えてしまうのでしょう。それにしたって浪費壁のある母ではないのに、こんなものに引っかかるなんて。
なんでこんな高額な機器を買ったのか咎めましたが、母は「私がいいと思って買ったんだからいいんだ」と譲りません。本人が満足しているなら騙されているうちには入らないのでしょうか。とはいえプラシーボ効果にしたって高額過ぎです。
そんなあやしいものを買うくらいならそのお金をわたしにくれればよかったのに、とぼやいたら、母は笑っていました。そうして、わたしにもその機器を使うことを勧めてくるのでした。
家にもうお金がないと通帳を二冊投げつけ母の嗚咽は
終点はずっと遠くですが、地元の隣町で途中下車できる高速バスがあったので、今回はそれに乗ってみました。乗り換えが少ないというだけでもかなり楽でした。
3月の山形はまだ肌寒く、冬用のコートで十分なくらいでしたが、それでも雪解けで春めいていました。
実家では特に何をすることもなく持参していた塔3月号と夏目漱石『行人』を読み、ご飯を作り、犬の散歩をし、あとはひたすら92歳の祖母としゃべっていました。祖母は週に一度のデイサービスがとても楽しいようで、相変わらず元気いっぱいでした。でも、「いつまでも長生きしやがって」と疎まれているという被害妄想になぜか囚われているのが妙におかしかったです。
実家には、なにかとてもあやしい電位治療器があります。母が、スーパーの駐車場で行っていた無料体験のセールストークに乗せられてついに購入したらしいのです。通っていると聞いた時から、あやしい、悪徳商法ではないかと注意していたのに……。ネットでちょっと検索すればいろいろ悪いうわさが出てきますが、田舎だとこうした変な販売方法も娯楽めいて盛り上がってしまうのかもしれません。みんな集まって楽しいように通っているうちに、販売員と変な信頼関係も芽生えてしまうのでしょう。それにしたって浪費壁のある母ではないのに、こんなものに引っかかるなんて。
なんでこんな高額な機器を買ったのか咎めましたが、母は「私がいいと思って買ったんだからいいんだ」と譲りません。本人が満足しているなら騙されているうちには入らないのでしょうか。とはいえプラシーボ効果にしたって高額過ぎです。
そんなあやしいものを買うくらいならそのお金をわたしにくれればよかったのに、とぼやいたら、母は笑っていました。そうして、わたしにもその機器を使うことを勧めてくるのでした。
家にもうお金がないと通帳を二冊投げつけ母の嗚咽は
また、仕事中に電話口で訛りを指摘されてしまいました。さすがに仕事中に「んだ」とか「だべ」とか方言丸出しではないので自分では標準語をしゃべっているつもりですが、どうにもアクセントにクセがあるようです。時には「何を言っているかわからない」「あなたとは話が通じないから訛りのない人に代わってほしい」「NHKのアナウンサーを見習って正しい発音を身に着けろ」「正しい日本語も使えない奴が仕事するな」等々のクレームに繋がってしまうこともあります。特に、関西圏の方々には耳障りのようです。
訛ってるとは言われても、わざとそうしているわけではないため、どこがどう聞き苦しいのか自分でよくわかりません。上司に相談した際は、ゆっくり話す必要はあるけれどあまり気にしなくてもいいのでは、との返答でした。仕事はそれなりにこなせているので、大きな問題ではないのでしょうか。けれども、やっぱり苦言を呈されることがあるため、気にしてしまいます。
みんなに不評というわけではなくて、「懐かしい気分になった」「ふるさとは大事よ」などのお声をいただくこともあります。たまたまその人になじみのある地方だったりすると、割と好意的に受け止めてもらえるのかもしれません。
思えば、ここ数日の目下の考え事である、どうしてわたしは自分の心に嘘をついてしまったんだろう、ということも、東北の訛り言葉に郷愁をそそられたことが一因のような気がしてきました。これがクセのない標準語だったり自分とは全く無関係の地方の方言で頼まれたのだったりしたら、流されなかったかもしれません。
訛りは欠点にも武器にもなり得るのだと思いました。
ふるさとの訛りひどしとのクレームへ謝るほかにない電話口
訛ってるとは言われても、わざとそうしているわけではないため、どこがどう聞き苦しいのか自分でよくわかりません。上司に相談した際は、ゆっくり話す必要はあるけれどあまり気にしなくてもいいのでは、との返答でした。仕事はそれなりにこなせているので、大きな問題ではないのでしょうか。けれども、やっぱり苦言を呈されることがあるため、気にしてしまいます。
みんなに不評というわけではなくて、「懐かしい気分になった」「ふるさとは大事よ」などのお声をいただくこともあります。たまたまその人になじみのある地方だったりすると、割と好意的に受け止めてもらえるのかもしれません。
思えば、ここ数日の目下の考え事である、どうしてわたしは自分の心に嘘をついてしまったんだろう、ということも、東北の訛り言葉に郷愁をそそられたことが一因のような気がしてきました。これがクセのない標準語だったり自分とは全く無関係の地方の方言で頼まれたのだったりしたら、流されなかったかもしれません。
訛りは欠点にも武器にもなり得るのだと思いました。
ふるさとの訛りひどしとのクレームへ謝るほかにない電話口
仕事帰りに同僚さん達と長話になりました。普通の人達はこういう時は飲み屋さんに行ったりするのかもしれませんが、なんとなく寒空の下を一時間ほどしゃべっていました。同僚さんは、他の人のフォローを頼まれることが多く、とても疲れているようです。大変さの割に報われないのはほんとうにつらく思います。
派遣社員のいいところは、そうした不満を上司に直接掛け合わなくとも、派遣会社の相談窓口や営業担当さんに伝えられることです。間に入ってくれる人がいるというのはありがたいです。同僚さんも相当に相談をしたらしく、少し社内の雰囲気が変わってきたように思います。ちゃんと改善されるあたりの柔軟さに救われます。
少し帰りが遅くなり、コンビニへ寄ると「いい人を止めると幸せになれる」「いい人は損をする」みたいな本が3種も置いてありました。書店の自己啓発本のコーナーにはこういう類の本がいくつもありますが、コンビニの小さな棚に3種も揃えてあるのに世相を感じます。それだけ、こうした本の必要な人がたくさんいるのでしょう。
自分をいい人だと思っているわけではありませんが、昔、わたしの働き方を見ていた二回りほど年上の同僚さんから「人の言うことを聞いていてもいい人だなんて誰も思ってくれない。感謝もされない。都合のいい人だと思われて便利に使われるだけだから、ちゃんと自己主張した方がいい」というような忠言を受けたことがあり、わたしもこうした本を時々読みます。仕事のことだけでなく、人間関係全般において、わたしの思考の癖を正されるようです。
自分の心を一番大事にしよう。と、震災以降は特に自分に言い聞かせていました。けれども、やっぱりできないみたいです。どうしたらこの場がまるく収まるのかとか、どうしたら人の顔に泥を塗らずに済むのかとか、わたしは咄嗟のことになるといつも自分より別の何かを守ってしまいます。人の顔を立てても、自分がしあわせになんてなりません。
わかっているのに、難しいものですね。でも、もう引き返せません。
「ぜひ」と求められるより、「無理しなくていい」「断ってもいい」と逃げ道を用意してくれる方が、自分を大事にしてもらえているような気がします。自分を大事にしながら、自分を大事にしてくれる人のことも大事にしたいと思うのでした。
嘔吐して早退したるバスの中お年寄りに席をゆずってしまう
派遣社員のいいところは、そうした不満を上司に直接掛け合わなくとも、派遣会社の相談窓口や営業担当さんに伝えられることです。間に入ってくれる人がいるというのはありがたいです。同僚さんも相当に相談をしたらしく、少し社内の雰囲気が変わってきたように思います。ちゃんと改善されるあたりの柔軟さに救われます。
少し帰りが遅くなり、コンビニへ寄ると「いい人を止めると幸せになれる」「いい人は損をする」みたいな本が3種も置いてありました。書店の自己啓発本のコーナーにはこういう類の本がいくつもありますが、コンビニの小さな棚に3種も揃えてあるのに世相を感じます。それだけ、こうした本の必要な人がたくさんいるのでしょう。
自分をいい人だと思っているわけではありませんが、昔、わたしの働き方を見ていた二回りほど年上の同僚さんから「人の言うことを聞いていてもいい人だなんて誰も思ってくれない。感謝もされない。都合のいい人だと思われて便利に使われるだけだから、ちゃんと自己主張した方がいい」というような忠言を受けたことがあり、わたしもこうした本を時々読みます。仕事のことだけでなく、人間関係全般において、わたしの思考の癖を正されるようです。
自分の心を一番大事にしよう。と、震災以降は特に自分に言い聞かせていました。けれども、やっぱりできないみたいです。どうしたらこの場がまるく収まるのかとか、どうしたら人の顔に泥を塗らずに済むのかとか、わたしは咄嗟のことになるといつも自分より別の何かを守ってしまいます。人の顔を立てても、自分がしあわせになんてなりません。
わかっているのに、難しいものですね。でも、もう引き返せません。
「ぜひ」と求められるより、「無理しなくていい」「断ってもいい」と逃げ道を用意してくれる方が、自分を大事にしてもらえているような気がします。自分を大事にしながら、自分を大事にしてくれる人のことも大事にしたいと思うのでした。
嘔吐して早退したるバスの中お年寄りに席をゆずってしまう
上司に不満があって退社した同僚さんが、次の仕事先で業務内容も含め「前よりもっとひどい」と嘆いているそうです。この仕事はどこの職場もクセがあります。元同僚さんは不満だったようですが、わたしは鈍いのか、もっとひどい上司に追い詰められていた経験のせいか、そこまで強い不満を抱くことなく過ごせています。
こういう仕事にくる7割はクズだからね、というようなことを言って苦笑しているのを聞いたことがありました。少し、わかるような気もします。そもそもちゃんとした人なら非正規ではなく正社員の職に就くでしょう。
もちろん、わたしも落ちこぼれなのでこういうところに流れ着いています。それでも、勤怠が良いというだけで真面目さん扱いされているのを感じます。先日初めて休んだ時も、よっぽどなにかあったのかと心配されてしまいました。一般の会社では毎日仕事に来るなんていうのは当たり前のことですが、体調不良というわけでなくとも休むことになんの躊躇もない人が世の中にはいるようなのでした。そんなに休んで生活は大丈夫なのかと他人事ながら思ってしまうくらいの人も今まで見た中には何人もいました。とはいえ、今の職場に限らず今の職種は人間関係的にはざっくりして気楽です。
明日来てと言っても連絡なしに来ないのは普通、字を書けない人もいる、なんていうのはさすがに話を盛ってるでしょうと思いますが、それとは別にクレーム対応などをしていると、どうにも思考の難しい人が存在しているということはつくづく実感します。無茶な人には、ことさらにこやかな声で淡々とお話するということをしています。
もしかしたらわたし達も、優しくしてもらえている、のではなく、諦められている、最初から期待をされていない、ということなのかもしれません。
いつ誰が辞めたかわからない部屋で補うための残業をする
こういう仕事にくる7割はクズだからね、というようなことを言って苦笑しているのを聞いたことがありました。少し、わかるような気もします。そもそもちゃんとした人なら非正規ではなく正社員の職に就くでしょう。
もちろん、わたしも落ちこぼれなのでこういうところに流れ着いています。それでも、勤怠が良いというだけで真面目さん扱いされているのを感じます。先日初めて休んだ時も、よっぽどなにかあったのかと心配されてしまいました。一般の会社では毎日仕事に来るなんていうのは当たり前のことですが、体調不良というわけでなくとも休むことになんの躊躇もない人が世の中にはいるようなのでした。そんなに休んで生活は大丈夫なのかと他人事ながら思ってしまうくらいの人も今まで見た中には何人もいました。とはいえ、今の職場に限らず今の職種は人間関係的にはざっくりして気楽です。
明日来てと言っても連絡なしに来ないのは普通、字を書けない人もいる、なんていうのはさすがに話を盛ってるでしょうと思いますが、それとは別にクレーム対応などをしていると、どうにも思考の難しい人が存在しているということはつくづく実感します。無茶な人には、ことさらにこやかな声で淡々とお話するということをしています。
もしかしたらわたし達も、優しくしてもらえている、のではなく、諦められている、最初から期待をされていない、ということなのかもしれません。
いつ誰が辞めたかわからない部屋で補うための残業をする
「女子力高い」と連呼されてひどく居心地が悪くなった自分、というものを覚えておくことにします。反射的に「このわたしの女子力が高いいもんか!」とわざわざ髪をぼさぼさにしたり、すっぴんを晒したり、くたびれた恰好をしたりおかしな姿を見せつけて「ほーら、わたしの女子力が高いわけがないでしょう」って相手を納得させようとするような、破壊衝動に走らないように。
破壊情動に走るのは、わたしがわたしの女性性を受け入れきれてないからです。だから、指摘されると恥をかかされたような気分になっていたたまれなくなり、否定したくなってしまう。特に女性には不幸だと思われていたい、見下されている方が安心します。
呪いだ、これは。わたしは女性らしくてもいいし、しあわせになってもいいのに。呪いです。戦うように、スカートを履いているのです。
まっとうな女のごとくにふるまえるのちの安堵にパンスト放る
破壊情動に走るのは、わたしがわたしの女性性を受け入れきれてないからです。だから、指摘されると恥をかかされたような気分になっていたたまれなくなり、否定したくなってしまう。特に女性には不幸だと思われていたい、見下されている方が安心します。
呪いだ、これは。わたしは女性らしくてもいいし、しあわせになってもいいのに。呪いです。戦うように、スカートを履いているのです。
まっとうな女のごとくにふるまえるのちの安堵にパンスト放る
今日は10時前には職場に着いていないといけないのに、起きたら11時20分でした。寝坊です。連絡して遅番のシフトに変えてもらおうと思いましたが、どうにもぐったりして無気力感が強く、体調不良と伝えて欠席をしました。ずる休みです。
ずる休みでしょうか。寝坊をする、という時点で体調が悪かったと言えなくもありません。数年前、休職(のち離職)した不調の発端も、朝起きられなくなったことでした。目覚めても体が動かず、それが何日も続き、日常生活がまともに送れなくなりました。そうした経験もあり、朝の目覚めの瞬間の気分は、自分の心身の健康の指針にしています。
あの頃ほどひどい状態でなくとも、少し変だな、と思う朝があります。もう一週間ぐらいひたすら寝てたいほど気怠いこともあります。日内変動によってしばらくすれば回復することもあるので、いつもは重い体を引き摺って仕事に行ってみます。職場に着いて黙々と仕事をこなし、休憩時間に同僚さん達とぺちゃくちゃしゃべっているうちに、紛れたりもします。そうやって、「あ、ダメかも」と思った日も何度か乗り越えてきました。仕事のプレッシャーやパワハラ、イジメで追い込まれていた頃に比べれば、仕事で復調できるのはどんなに幸福な境遇かと思います。
昼過ぎには倦怠感も落ち着きました。今の仕事に就いてから、休んだのは初めてです。勤怠の良さが取り柄の一つだったし、熱が出たわけでもないので自己嫌悪です。また明日からがんばれるように、今日は早く眠れるように、がんばります。
一週間仕事休めば一週間分の給金が消えてくるしい
ずる休みでしょうか。寝坊をする、という時点で体調が悪かったと言えなくもありません。数年前、休職(のち離職)した不調の発端も、朝起きられなくなったことでした。目覚めても体が動かず、それが何日も続き、日常生活がまともに送れなくなりました。そうした経験もあり、朝の目覚めの瞬間の気分は、自分の心身の健康の指針にしています。
あの頃ほどひどい状態でなくとも、少し変だな、と思う朝があります。もう一週間ぐらいひたすら寝てたいほど気怠いこともあります。日内変動によってしばらくすれば回復することもあるので、いつもは重い体を引き摺って仕事に行ってみます。職場に着いて黙々と仕事をこなし、休憩時間に同僚さん達とぺちゃくちゃしゃべっているうちに、紛れたりもします。そうやって、「あ、ダメかも」と思った日も何度か乗り越えてきました。仕事のプレッシャーやパワハラ、イジメで追い込まれていた頃に比べれば、仕事で復調できるのはどんなに幸福な境遇かと思います。
昼過ぎには倦怠感も落ち着きました。今の仕事に就いてから、休んだのは初めてです。勤怠の良さが取り柄の一つだったし、熱が出たわけでもないので自己嫌悪です。また明日からがんばれるように、今日は早く眠れるように、がんばります。
一週間仕事休めば一週間分の給金が消えてくるしい
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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)
連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
連絡・問い合わせ:
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