川が好き。山も好き。
アドレス帳を新調した。かれこれ三冊目、この度は好みの和雑貨のお店で。表紙の紙が薄く心許ない気がしていたものの、別口で偶然見つけたクリアカバーがぴったりはまり、いい感じになった。
一冊目のアドレス帳を購ったのは、初めて携帯電話を持った次の日。 長らくわたしは携帯電話を必要とせずに生きていたのだけれど、4年前に就いた仕事で「連絡が不便なので持ってほしい」と頼まれ、渋々販売店へ向かったのだった。そうして28歳にして初めて携帯電話を手にした瞬間、ふいに、なにか文明というものへのおそろしさにふるえた。振り切るようにアドレス帳を買いに走った。慣れたくない!と強烈に思った。
アドレス帳を持つことにしたのは正解だった。と、思い知ったのは、携帯電話が壊れてデータが飛んでしまった時と、やはり東日本大震災の時。電話の通じず、区役所に臨時に設置された無料の公衆電話に向かいながら、役に立ったのは鞄に忍ばせた紙のアドレス帳であった。
古いアドレス帳をながめる。電話番号やメールアドレスが変わり修正テープで上書きされた人もいれば、書き換えずそのままになっている人もいる。きれいに修正して書き写そう。そうだ、妹を新しい名字の欄に移さねば。
一方で、新しいアドレス帳へ、もう書き写さない名前もありましょう。そもそも、新調した理由が、特に親しくもならないまま疎遠になってしまった人の連絡先がいくつか記してあるのが気になってしまったからで。記した当時は、今後も縁が続くのだろうなあと思っていたのかもしれなかったのだけど。そんなことは、きっとこの先もあるのだろうけれど。まあ、携帯電話の方にはまだ登録してあるし、万が一のことがあっても…。
新しいアドレス帳は、まだ白紙である。
いつまでもこの手のひらへ馴染まずに違和感であれ携帯電話
一冊目のアドレス帳を購ったのは、初めて携帯電話を持った次の日。 長らくわたしは携帯電話を必要とせずに生きていたのだけれど、4年前に就いた仕事で「連絡が不便なので持ってほしい」と頼まれ、渋々販売店へ向かったのだった。そうして28歳にして初めて携帯電話を手にした瞬間、ふいに、なにか文明というものへのおそろしさにふるえた。振り切るようにアドレス帳を買いに走った。慣れたくない!と強烈に思った。
アドレス帳を持つことにしたのは正解だった。と、思い知ったのは、携帯電話が壊れてデータが飛んでしまった時と、やはり東日本大震災の時。電話の通じず、区役所に臨時に設置された無料の公衆電話に向かいながら、役に立ったのは鞄に忍ばせた紙のアドレス帳であった。
古いアドレス帳をながめる。電話番号やメールアドレスが変わり修正テープで上書きされた人もいれば、書き換えずそのままになっている人もいる。きれいに修正して書き写そう。そうだ、妹を新しい名字の欄に移さねば。
一方で、新しいアドレス帳へ、もう書き写さない名前もありましょう。そもそも、新調した理由が、特に親しくもならないまま疎遠になってしまった人の連絡先がいくつか記してあるのが気になってしまったからで。記した当時は、今後も縁が続くのだろうなあと思っていたのかもしれなかったのだけど。そんなことは、きっとこの先もあるのだろうけれど。まあ、携帯電話の方にはまだ登録してあるし、万が一のことがあっても…。
新しいアドレス帳は、まだ白紙である。
いつまでもこの手のひらへ馴染まずに違和感であれ携帯電話
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左手の人差し指に、全治2週間の怪我をした。包帯を巻いているので、仕事の際は医療用のラテックス手袋を使用している。これがビニール手袋より伸びがよく、ほどよくフィットしてがさばらず、薄いので物に触れる感覚もそんなに違和感がない。熱いもの冷たいものの温度もそれなりにわかる。便利なものがあるものだと感心する。
手袋をしたまま手を洗いペーパータオルで拭いた後、書類を手に取ると、紙が濡れてしまった。水分が拭き取りきれていなかったのだ。目では充分に見えたのだけれど、まだ拭き取りが途中であるということに、手袋をしたままの左手では気づけなかった。
少しの水に濡れた感触も、油のベタつきも、洗剤のヌルヌルも、ラテックス越しではまったくわからない。鈍い左手で感じ取れなかったものに生の右手で触れてみて、皮膚感覚というものはこんなにも敏感だったのか、とあらためておどろいた。
直に触れる、ということ。なにもまとわない素肌でなければ伝わらないものが、こんなにもある。左手の人差し指を負傷する今の今まで、わたしはほんとうに知らなかった。
「さわって」と導かれた手を振りほどきひかりを見てた仰向けのまま
手袋をしたまま手を洗いペーパータオルで拭いた後、書類を手に取ると、紙が濡れてしまった。水分が拭き取りきれていなかったのだ。目では充分に見えたのだけれど、まだ拭き取りが途中であるということに、手袋をしたままの左手では気づけなかった。
少しの水に濡れた感触も、油のベタつきも、洗剤のヌルヌルも、ラテックス越しではまったくわからない。鈍い左手で感じ取れなかったものに生の右手で触れてみて、皮膚感覚というものはこんなにも敏感だったのか、とあらためておどろいた。
直に触れる、ということ。なにもまとわない素肌でなければ伝わらないものが、こんなにもある。左手の人差し指を負傷する今の今まで、わたしはほんとうに知らなかった。
「さわって」と導かれた手を振りほどきひかりを見てた仰向けのまま
この頃、今の仕事に就けた当初のことをよく思い出す。前の職場が閉鎖して、次の仕事がなかなか見つからなくって、やっと採用された仕事も求人票に虚偽があったためふた月ぐらいで辞めて、結局一年くらい無職だった。履歴書が返ってくる度に自分がダメ人間に思えて落ち込んだし、失業保険も尽きて、生活もままならなくて、だから今の仕事が決まった時はほんとうにうれしかった。
ひと月ほど働いて、きっと長く続けていけると思った。薄給とはいえ収入の安定することは心の安定にも繋がり、数珠繋ぎのように、うれしいことが続けて起こった。無理しない、自分らしい自分でいられた。今の仕事に就けてから十か月ぐらいが、たぶんわたしの人生の中で一番しあわせだった時期。
人生は思うようにはいかなくて、逃げ出したくなったりもするけれど。それでも、良かったと浸れる思い出のあることは、きっと救いになる。わたしにもしあわせな頃があった、という感懐が、この先の支えになることだってあるかもしれないから。
ああ月がこんなに大きい あたらしい仕事に就いて三十日目
ひと月ほど働いて、きっと長く続けていけると思った。薄給とはいえ収入の安定することは心の安定にも繋がり、数珠繋ぎのように、うれしいことが続けて起こった。無理しない、自分らしい自分でいられた。今の仕事に就けてから十か月ぐらいが、たぶんわたしの人生の中で一番しあわせだった時期。
人生は思うようにはいかなくて、逃げ出したくなったりもするけれど。それでも、良かったと浸れる思い出のあることは、きっと救いになる。わたしにもしあわせな頃があった、という感懐が、この先の支えになることだってあるかもしれないから。
ああ月がこんなに大きい あたらしい仕事に就いて三十日目
先日の歌会で、自作の短歌に「~~という言い回しに作者の優しい人柄が伝わってくる」というようなことを言っていただいた。初対面の方々の多い場で、わたしという人格や作風を踏まえたうえでの感想ではなく、作者も伏せた状態で短歌のみでの評であったから、思いがけずうれしかった。
うまく生きられない。誤解やすれ違い、ほんとうのことがうまく伝わらなかったり、間違って伝わってしまったり、間違ったことが変な憶測混じりに自分の知らないところで広まってしまったり、弁解する機会も与えられないままうわさだけが一人歩きしてしまったり、真相を訴えようとして余計こじれてしまったり、権力や派閥や他人の機嫌に振り回されてしまったり、スケープゴートにされてしまったり、自分を見失ってしまいそうな人間社会に身を置く日々の中で。わたしに、短歌があってよかった。短歌を詠めること、自分に向き合う手段があってよかった。
短歌を褒めてもらえるとどうしようもなくうれしくなるのは、短歌は正直な自分だからだと思う。自分らしい自分を大切にしたい。信じていきたい。引きずられずに。惑わされずに。
うまく生きられない。誤解やすれ違い、ほんとうのことがうまく伝わらなかったり、間違って伝わってしまったり、間違ったことが変な憶測混じりに自分の知らないところで広まってしまったり、弁解する機会も与えられないままうわさだけが一人歩きしてしまったり、真相を訴えようとして余計こじれてしまったり、権力や派閥や他人の機嫌に振り回されてしまったり、スケープゴートにされてしまったり、自分を見失ってしまいそうな人間社会に身を置く日々の中で。わたしに、短歌があってよかった。短歌を詠めること、自分に向き合う手段があってよかった。
短歌を褒めてもらえるとどうしようもなくうれしくなるのは、短歌は正直な自分だからだと思う。自分らしい自分を大切にしたい。信じていきたい。引きずられずに。惑わされずに。
5月の連休に、帰省したのだった。
その日は丁度、地元の小さな地域の小さなお祭りの日だったから、小さな神社にお参りに行った。わたしが子供の頃は、巫女さんになって参拝の人達にお神酒を注いだりしたものだけれど、今はそんな習慣もなくなった。親戚を呼ぶこともない。せいぜい、家族で餅を食べるくらいで。
それでも、神社には次々に人が訪れ、わたしと母の前には一組の老夫婦が石段を上がっていた。おばあちゃんの方は「(階段を上るのが)遅くて(ごめんなさいね)」と笑って恐縮していた。おじいちゃんの方はお供えの一升瓶を手にしていて、ちょっと重たそうだった。昔はなかった階段の手すりにつかまりながら、ゆっくりゆっくり神社の階段を上がる老夫婦とひと時を共にして、なにか胸がじんわりした。わたし達が引き返す頃には、また一升瓶を手にした別な人とすれ違った。小さな地域のこと、みんな顔見知りである。尤も、滅多に帰らないわたしなんてもの珍しくて、挨拶を交わしても妹や叔母と間違えられたり学生だと思われたりするのだけれど。
それまで、年に一回もないくらい滅多に帰らなかったわたしだけれど、今年に入って半年で二回も帰省している。来月か再来月にも帰ろうと思う。福祉の仕事に関わっているせいか、祖母に会えるだけ会っておこうと思うようになった。それに、昔に比べ、家族が優しくなった。昔は、優しくなかった。ほんとうに優しくなかった。
自宅の二階の自室にいる時、階段下の祖母に「おとも」と呼ばれた。そうだった、祖母に呼ばれる名を、ハンドルネームにしたのだった。
ふるさとの鄙はなにも変わりなく人が消えゆくほかにはなにも
その日は丁度、地元の小さな地域の小さなお祭りの日だったから、小さな神社にお参りに行った。わたしが子供の頃は、巫女さんになって参拝の人達にお神酒を注いだりしたものだけれど、今はそんな習慣もなくなった。親戚を呼ぶこともない。せいぜい、家族で餅を食べるくらいで。
それでも、神社には次々に人が訪れ、わたしと母の前には一組の老夫婦が石段を上がっていた。おばあちゃんの方は「(階段を上るのが)遅くて(ごめんなさいね)」と笑って恐縮していた。おじいちゃんの方はお供えの一升瓶を手にしていて、ちょっと重たそうだった。昔はなかった階段の手すりにつかまりながら、ゆっくりゆっくり神社の階段を上がる老夫婦とひと時を共にして、なにか胸がじんわりした。わたし達が引き返す頃には、また一升瓶を手にした別な人とすれ違った。小さな地域のこと、みんな顔見知りである。尤も、滅多に帰らないわたしなんてもの珍しくて、挨拶を交わしても妹や叔母と間違えられたり学生だと思われたりするのだけれど。
それまで、年に一回もないくらい滅多に帰らなかったわたしだけれど、今年に入って半年で二回も帰省している。来月か再来月にも帰ろうと思う。福祉の仕事に関わっているせいか、祖母に会えるだけ会っておこうと思うようになった。それに、昔に比べ、家族が優しくなった。昔は、優しくなかった。ほんとうに優しくなかった。
自宅の二階の自室にいる時、階段下の祖母に「おとも」と呼ばれた。そうだった、祖母に呼ばれる名を、ハンドルネームにしたのだった。
ふるさとの鄙はなにも変わりなく人が消えゆくほかにはなにも
GWに帰省した際、こごみをいっぱい食べた。摘みたてのを戻る時に持たされもした。ツナと塩こしょうマヨネーズで和えてサラダにした。おいしかった。次に帰るときはわらびが食べられるだろうか。それとも、その前に送ってもらえるだろうか。
「地元に帰ってコシアブラもタラの芽もいっぱい採って食べちゃったー。山菜ってセシウムいっぱい入ってると思うけど私達の年代はもう関係ないわよねー」
料理の話をしている時、わたしの母親世代の女性がそう笑っていた。
ああ、そうだった。東北に住むわたし達は。
わたしは、これまであんまり気にせずに山菜でも野菜でも食べていたのだった。スーパーに行けば復興コーナーが特設されていて、東北産の野菜がお買い得になっているところもある。食べて応援、なんて気持ちがなくとも買って食べる、普通においしいし、安いので。実家で採れる野菜なんて、検査もしていない。一人で暮らすアパートのベランダ菜園なんて、言わずもがな。
小さなお子さんを持っていたり、妊娠を希望している同年代の女の人が、「何処何処産のものは食べない」と、震災以降の食べ物に敏感になっているのを見聞きする。ああ、わたし煙草とかジャンクフードとか体に悪いものは食べてないけど、セシウムとかそういうのは気を遣ってないなって、振り返らされる。ふと、いろいろなことを考えてしまう。たとえば、わたしのこの体に、命の宿ることがあるのだろうか、ということ。生み終え育て終わった年配の女性が「私達の年代はもう関係ない」と言うのは、そういうことだ。わたしには、関係のあることなのだろうか。
そんな思いを短歌に詠もうとしたら、いろいろな人を傷つけることになってしまった。様々な理由で子供の持てない女の人達や、東北で野菜を作っている農家の人達、そして、震災で被災してそれどころではない人達も。
わたしにとっても、年頃に普通に恋愛して結婚して子供を持つような、普通の女性らしい生き方ができなかったということが、痛みではあるのだけれど。
答えが出るのは、もう少し先のことなのかもしれない。まだまだなにもわからない、野菜も、人生も、歌も。
ワンルームベランダ産の京水菜ツナマヨ和えてサラダの休日
「地元に帰ってコシアブラもタラの芽もいっぱい採って食べちゃったー。山菜ってセシウムいっぱい入ってると思うけど私達の年代はもう関係ないわよねー」
料理の話をしている時、わたしの母親世代の女性がそう笑っていた。
ああ、そうだった。東北に住むわたし達は。
わたしは、これまであんまり気にせずに山菜でも野菜でも食べていたのだった。スーパーに行けば復興コーナーが特設されていて、東北産の野菜がお買い得になっているところもある。食べて応援、なんて気持ちがなくとも買って食べる、普通においしいし、安いので。実家で採れる野菜なんて、検査もしていない。一人で暮らすアパートのベランダ菜園なんて、言わずもがな。
小さなお子さんを持っていたり、妊娠を希望している同年代の女の人が、「何処何処産のものは食べない」と、震災以降の食べ物に敏感になっているのを見聞きする。ああ、わたし煙草とかジャンクフードとか体に悪いものは食べてないけど、セシウムとかそういうのは気を遣ってないなって、振り返らされる。ふと、いろいろなことを考えてしまう。たとえば、わたしのこの体に、命の宿ることがあるのだろうか、ということ。生み終え育て終わった年配の女性が「私達の年代はもう関係ない」と言うのは、そういうことだ。わたしには、関係のあることなのだろうか。
そんな思いを短歌に詠もうとしたら、いろいろな人を傷つけることになってしまった。様々な理由で子供の持てない女の人達や、東北で野菜を作っている農家の人達、そして、震災で被災してそれどころではない人達も。
わたしにとっても、年頃に普通に恋愛して結婚して子供を持つような、普通の女性らしい生き方ができなかったということが、痛みではあるのだけれど。
答えが出るのは、もう少し先のことなのかもしれない。まだまだなにもわからない、野菜も、人生も、歌も。
ワンルームベランダ産の京水菜ツナマヨ和えてサラダの休日
暮らしが貧しいので、「薄給OLが節約して*万円貯めました!」というような本を読んだ。けれども、薄給とは言っても著者はわたしより月収が10万円多くって、それならばわたしも今のままの生活水準を続けて収入が月当たり10万多ければ普通に*万貯まってしまうわ、って、なんだかかなしくなってしまった。わたしはどれだけ収入低くて貧しい暮らしなのか。毎日フルタイムで8時間働いているのに。
しかも著者はわたしより余裕のある暮らしをしているうえに、本を出版できて副収入も得られる、と。いいなあ。
しばらく前、一人暮らしの知人達がひと月の支出について話をしていたところ、その場に居たみんながわたしの5倍以上の額を言っていて、いたたまれない気持ちになってしまった。
わたしにしたって、ご飯も食べられない家賃も払えないなどと言うほど生活に困窮したことは、実際は、ない。交際費や趣味、諸々のお礼などお金を使うべき時には使うし、ケチケチしているつもりもない。やりくりもできてる。少しだけれど、貯金もできてる。
それでも、わたしの精一杯の天井が低くて、そうした生活になじみ過ぎてしまっている、ということに、気づいてしまった。お金が欲しい、と実はそんなに思っていなかったことがかなしいのだ。
ひと月のケータイ代として友が示した額でわたし暮らせる
しかも著者はわたしより余裕のある暮らしをしているうえに、本を出版できて副収入も得られる、と。いいなあ。
しばらく前、一人暮らしの知人達がひと月の支出について話をしていたところ、その場に居たみんながわたしの5倍以上の額を言っていて、いたたまれない気持ちになってしまった。
わたしにしたって、ご飯も食べられない家賃も払えないなどと言うほど生活に困窮したことは、実際は、ない。交際費や趣味、諸々のお礼などお金を使うべき時には使うし、ケチケチしているつもりもない。やりくりもできてる。少しだけれど、貯金もできてる。
それでも、わたしの精一杯の天井が低くて、そうした生活になじみ過ぎてしまっている、ということに、気づいてしまった。お金が欲しい、と実はそんなに思っていなかったことがかなしいのだ。
ひと月のケータイ代として友が示した額でわたし暮らせる
自分の部屋が汚い人は自分を大事にしていない、という話をどこかで聞いた。妙に腑に落ちた。
わたしの部屋は汚い。ゴミこそ落ちていないものの、整理整頓ができていない。その昔「男の部屋かと思った」と言われてしまったこともあるくらいに。ふいに取り出したものをそのまま置いてしまう。今こうして文章を打っているパソコンの周りにすら、化粧水とホチキスとレシートと栄養ドリンクとこけし博のチラシと付箋紙と蜆スープの素と証明写真とシャープペンシルと歌集とコーヒーカップとその他諸々が散らばっている。テーブルの上にこんなに物があるなんて、こうして書き出すまで気づかなかった。われながらかなしくなってしまう。
これが、職場ならばきっちり掃除をするのである。決まったものは決まった場所に置くし、少しの汚れも即座に拭き取る。他人の部屋もそうすると思う。泊まりに行った宿だってきれいに使う。わたしだけの領域であるわたしの部屋だけがごちゃごちゃしているのだ。
自分の部屋が汚い人は自分を大事にしていない。他ではきれいに整頓できるのに、自分の部屋だけが汚いのは、自分に対するおもてなしの心や、快適に過ごしてほしいという気持ちが足りないということ。自分を好きになりたいと思う。思うだけではダメだ、ちゃんと部屋をきれいにしてあげないと。
「ちょっとだけ上がっていってコーヒーを飲みませんか?」と言いたく掃除
わたしの部屋は汚い。ゴミこそ落ちていないものの、整理整頓ができていない。その昔「男の部屋かと思った」と言われてしまったこともあるくらいに。ふいに取り出したものをそのまま置いてしまう。今こうして文章を打っているパソコンの周りにすら、化粧水とホチキスとレシートと栄養ドリンクとこけし博のチラシと付箋紙と蜆スープの素と証明写真とシャープペンシルと歌集とコーヒーカップとその他諸々が散らばっている。テーブルの上にこんなに物があるなんて、こうして書き出すまで気づかなかった。われながらかなしくなってしまう。
これが、職場ならばきっちり掃除をするのである。決まったものは決まった場所に置くし、少しの汚れも即座に拭き取る。他人の部屋もそうすると思う。泊まりに行った宿だってきれいに使う。わたしだけの領域であるわたしの部屋だけがごちゃごちゃしているのだ。
自分の部屋が汚い人は自分を大事にしていない。他ではきれいに整頓できるのに、自分の部屋だけが汚いのは、自分に対するおもてなしの心や、快適に過ごしてほしいという気持ちが足りないということ。自分を好きになりたいと思う。思うだけではダメだ、ちゃんと部屋をきれいにしてあげないと。
「ちょっとだけ上がっていってコーヒーを飲みませんか?」と言いたく掃除
先週の日曜日、福島へ行ってきたのでした。『八重の桜』効果か、お花見シーズンなのもあってか、福島行きの高速バスは満席。昼前に福島駅に着いたところで、花見山行きの臨時バス乗り場にはうねうね何百メートルもの長蛇の列。ちょっと余裕ないな、と予定していた一人花見を泣く泣くあきらめることに。一人で桜を見て、自分がなにを感じるか、どんな歌を詠めるか、興味があった、のだけれど。
13時からの歌会までの時間を、ビル最上階の展望台で過ごす。行けなかった花見山や、智恵子抄でおなじみの安達太良山、東北本線の線路の続くのが見え、晴れていたからことさら眺めがよかった。女子高生のグループ、年かさのカップル(夫婦ではないようである)、杖を突いたおじいちゃんおばあちゃんを連れた家族、日曜の昼間の様々な人達が入れ替わり立ち代る中、テーブル席に座ってノートに向かい、移動中に浮かんだ歌を書き留めていく。去年、青森の浅虫に行った時も、海の見える場所に机と椅子のあるスペースがあってよかった。いい場所だな、って思った。
観光はできなかったけれど、福島物産館でお買い物をした。わたしは民芸品などみやげものが好きなのだった。職場へは今年限定かもしれない八重の桜にちなんだお菓子、新婚の妹へは、夫婦(?)起き上がり小法師を買った。土湯こけし豆便せんは自分に。こけしそのものは持っていないのに、こけしグッズは買ってしまうわたしでした。
落花してわたしの代わりに泣くさくら
13時からの歌会までの時間を、ビル最上階の展望台で過ごす。行けなかった花見山や、智恵子抄でおなじみの安達太良山、東北本線の線路の続くのが見え、晴れていたからことさら眺めがよかった。女子高生のグループ、年かさのカップル(夫婦ではないようである)、杖を突いたおじいちゃんおばあちゃんを連れた家族、日曜の昼間の様々な人達が入れ替わり立ち代る中、テーブル席に座ってノートに向かい、移動中に浮かんだ歌を書き留めていく。去年、青森の浅虫に行った時も、海の見える場所に机と椅子のあるスペースがあってよかった。いい場所だな、って思った。
観光はできなかったけれど、福島物産館でお買い物をした。わたしは民芸品などみやげものが好きなのだった。職場へは今年限定かもしれない八重の桜にちなんだお菓子、新婚の妹へは、夫婦(?)起き上がり小法師を買った。土湯こけし豆便せんは自分に。こけしそのものは持っていないのに、こけしグッズは買ってしまうわたしでした。
落花してわたしの代わりに泣くさくら
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おとも
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女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)
連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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