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川が好き。山も好き。
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 十五夜のお月さん、きれい。
 この先に、もしもわたしが女の子を産むようなことがあって、その日が月のきれいな夜だったら、月子と名づけたい。雪の降る日だったら雪子、風の気持ちよい日だったら風子、と。

  満月がレースのカーテン越しに見え隠れするって伝えて笑う

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 先日、犬を飼っている家にお邪魔した。首輪も鎖もなしに室内で飼われているマルチーズは、そりゃあもう自由で、吠えたり、走ったり、擦り寄ったり、舐めたり、散らかしたり、いなくなったり、手に負えない子供のようであった。
 その度に飼い主に怒られながらも、かわいがられていたし、わたしもかわいいと思った。

 以前、別の友達の子供が、わたしの部屋に来た時のことを思い出した。ようやく自分の足で立つことを覚え、それでもまだ言葉を知らない幼児は、わたしの部屋で泣いたり、笑ったり、口に物を入れようとしたり、吐いたり、狭い台所を一人で行ったり来たりしたり、転んだり、そりゃあもう自由であった。
 その度に母親に叱られながらも、かわいがられていたし、わたしもかわいいと思った。

 福祉施設の、認知症で子供のようになってしまったおばあちゃんを思い出した。泣いたり、笑ったり、怒ったり、わがままを言ったり、聞き分けがなくなってしまったり、思いつくままにしゃべったり、そりゃあもう手のかかる子供のようであった。
 その度に職員さんに困られながらも、かわいがられていたし、わたしもかわいいと思った。

 どうして愛おしいのか気づくとき、自分に足りないものがわかる気がする。あまりに簡単で、思いのほか難しいこと。子供の頃はできていたかもしれないのに、大人になってからは難しくなってしまったこと。

  犬がわれに飛び寄る時のまなざしを覚えておこう探してゆこう

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 台風が近づいている。雨風の落ち着いているうちに、と履歴書用の証明写真を撮りに行ってきた。
 歴代証明写真をながめる。若い頃の方がいろいろひどい、若いのに。20代後半から安定してきた気がする。自己否定感が容姿にも表われていたんだなと思う。年を重ねるにつれ、粗をお化粧でごまかす術を覚えてきた、というのもあるけど。

 昨日は両親が来てくれた。ほんとうは、わたしの方が両親に旅行などプレゼントすべき年頃なのに、食欲をなくして痩せ細ってきたのを心配されてステーキ定食なんて奢ってもらう始末。つくづく情けないし、申し訳ない。でも、心配してもらえてうれしかった。これが昔だったら、なんて、昔のことももう水に流したい。いつまでたっても子供みたいだって、わたしももういい大人なのだから。

 なくしたと思っていた、木彫りの猿の御守りが見つかった。春、定義山へ赴いた際、母に買ってもらった開運招福御守り。普段使いのバッグのポケットの奥底に入ってあった。なくしたと焦っていたのに、知らず、いつも持ち歩いていたのかと思うと、なにかおかしかった。
 そんなふうに、しあわせも身近なところにあって忘れた頃に見つかればいい。これからいいことの続く兆しでありますように、と猿の頭をなでた。

  大人にはなれず子供のままでなどいられず春菊食めばおいしい

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  この街に暮らす理由も故郷に帰る理由もなくミカン食む

 と、いう短歌を数年前に詠んだ。それなりにうれしい評もいただけて、自分でも大切な一首になった。
 けれども、ほんとうはこの頃、いろいろ割と安定していて、この街に根を張るような予感も少なからずあった。
 作り話を詠んだつもりはなかった。人生で最も満たされていた時期でありながら、それを認めるのがこわかった。それは、ぶきようさではなく、ずるさであるようにも思う。自分の心をはぐらかして、何を守ろうとしていたのだろう、わたしは。

 自分の中にずるくていやらしい甘えた部分があって、なにかうまくいかない時、それは震災や誰かや何かのせいではなく、自分のそういう部分が原因なんだって、ほんとうは気づいてる。
 うまくいったこともうまくいかなかったことも、全ては自分の心が引き寄せたものだということ。
 
***

拍手お返事はつづきから。

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 この頃、住居の階段に猫が居て、かわいい。誰かが餌をあげて、居ついてしまったのだろうか。
 昔は猫が好きではなかった。あの自由な感じが、どこかこわくて。動物全般が苦手だったけれど、鎖に繋がれてる分、犬の方がまだましだった。

 猫が少し大丈夫になったのは、とある漫画家の先生にのアシスタントをする機会があり、お宅にお邪魔した時。猫が居て、仕事だから苦手と逃げ回っている場合ではなかった。あれはもう十何年も前。わたしは今はもう漫画は描いていないし、読んでもいない。漫画家になりたかった頃のことを思うと、なにか自分が遠くへ来たような気がする。今となっては、どうしてなりたかったのか不思議なくらいに。

 この頃見かける猫を、かわいいと思う。実家で飼っている犬もかわいいと思うし、人間の子供や赤ちゃんもかわいいと思う。かわいいと思えるようになってきている。不思議だな、と思う。でも、そういう気持ちになれていることが、なんだかうれしい。

  三十代独身少女漫画家が二匹の猫と住む一軒家

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 髪を切った。美容院で「こけしみたいな髪型にしてください」と頼んだわけでもないのに、こけしみたいな髪形になった。
「髪切ったんだね」と言われ、「失恋したんですぅ~」と答えても、「またまた~そんなこと言って」と、誰も信じてくれない。実際、うそなのだけれど。

  思い出をもう忘れよと言うように思慕の証しのこけしが消える

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 連休があったので、ふらりと帰省してきた。今年に入って三度目。かつてこんなに帰省した一年があっただろうか。秋にも家族と会う予定があるし、冬にも帰るかもしれない。数年前までは、一年も会わないのが普通だったのに。家族仲が以前に比べて歩み寄りを感じられるようになったのと、このところ仕事に疲れていて、ほんとうに疲れていて、田舎へ逃避したくなるのだった。それでも、永久的に帰る場所ではない気がする。だからといって、他に帰る場所があるわけでもないのだけれど。

 実家の加入しているBSデジタル放送で、たまたまやっていた『北の国から ’95秘密』を見た。『北の国から』は全シリーズ見たわけではないけれど、好きなドラマの一つ。どうしても、登場人物のぶきようさに惹かれてしまうのだった。『’95秘密』でもやっぱり、純は過去に一悶着のある女性と交際を始めたり、蛍は道ならぬ恋愛に身を投じていたり、どうにもうまいこといってなくって、でも、人生ってそういうものだよねえって、愛おしい。
 そういえば以前、文芸春秋で、脚本家の倉本聰さんによる『北の国から 2011つなみ』の幻の構想を読んだことがある。純は結と離婚し、初恋のれいちゃんと再会したところで3.11を迎え、蛍は福島県浪江町在住で、というような。正直、えーっ、と思う。被災地と呼ばれるところに居るからなおさら。見たいような、見たくないような。

 小学生の頃に習っていた、そろばんの先生に会った。たまたまスイカを届けに来てくれたところに、わたしが応対したのだった。遠縁の親戚でもある先生は、もうそろばんを教えてはおらず、農業のパートでわたしの母と同僚になっている。先生はわたしを一目見て、妹かわたしか迷って、迷って妹の名を呼んだ。
 正体をばらしたところで「テレビ見たよ! 短歌、応援してるからね!!」と先生は言い、「いいひと見つけるんだよ、いいひとを見つけるのが一番だよ! 短歌は二番だよ!!」と付け加えた。わたしは「そうですね!」と笑った。

 地元の蕎麦屋、いろは本店で食べた冷たいラーメンが美味しかった。あちこち食べて、やっぱり地元のが美味しいと思った。地元のお店の中でも特に美味しいと思った。

  働くという意義なんて見出せず黒板五郎にあこがれてゆく

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 遠くに、打ち上げ花火の音を聞いた。玄関の扉を開けて外に出ると、辺りの家々の屋根の上に小さく、花火の上がるのが見えた。学生の住むような築三十年もの安い賃貸物件だけれど、三階で良かったと思うのは、こんな時。周りの家は二階建てだから。わたしの部屋と花火までの間に、さえぎるものがないから。

 花火が好きだ。今年の夏は、花火を見に行く予定ができなかった。でも、別にいい。無理に行かなくてもいい。上書きなんて、きっと、できる時にはできるのだろうし。それが夏でも、そうでなくても。

  ほだされてしまいたかった夏の夜の形見みたいな火薬の匂い

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 2009年から使っていた短歌ノートがそろそろ終わる。それ以前は日記についでに書いていたのだけれど、新年を期に専用のノートを作ることにしたのだった。専用といっても、なんてことない、普通の無印良品のリングノートだけれど。

 あらためて読み直してみると、最初の頃のページの短歌はやっぱり下手だなって思う。今ならばここをこうするなあ、っていうのはきっとあるのだろうけれど、その頃の気持ちには戻れなくてもういじれないものもある。短歌としては未熟で恥ずかしいけれど、もう一つの日記のように心の移り変わりが表われていて、不思議に感慨深くもあった。
 ノートの最初の頃に多いAC短歌なんて、今後はもう詠まないかな。痛々しくて読み返すのもつらい。その頃の自分の気持ちを思い出すのもしんどい。
 そしてAセク短歌、人に恋愛感情の抱けない自分をかなしむ連作も編んだりしていたわたしが、まさかゆくゆく相聞歌を詠み出すようになるとは。
 震災詠なんて、それこそノートの一番最初のページ、2009年の時点では全く予想もできないことで。
 
 なにも変わってないような気がしていた。ずっと同じ部屋に住んでいて、変わり映えしない生活で。このままこんな繰り返しで人生が終わってしまうんじゃないかって、不安でたまらなかった。こうしている間に、他の人達はどんどん進んでいって、取り残されているように思えていた。わたしばかりが同じ場所に立ち止まっているような気がしていた。
 それでも、わたしはわたしで全然違うわたしになった、と、5年分の歌を振り返って気づいた。失ったものもあれば、得たものもあった。あたらしい感情を知った。あたらしい言葉を知った。
 
 あたらしい短歌ノートは、優しい歌でいっぱいにしよう。優しい歌の詠める暮らしを営もう。そうして、二冊目のノートが終わる頃、今のわたしを「この頃のわたしひどかったな」って懐かしく笑おう。

  しんどいのもいつか終わるよ幸せな頃がずっとは続かなかったように
  
  

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昨日の夕方、大雨に窓を洗われながら、家路へ向かうバスが、舟のようだと思った。乗り合わせた一人一人がそれぞれ帰る場所に帰り、それぞれの生活、それぞれの人生へ帰ってゆく。わたしはわたしの住み慣れた一人の部屋へ。

 「鰻が食べたい、鰻が食べたい」と、わたしがしきりにつぶやいていたことなんて知らない母からの宅配便に、鰻が入ってあった。叔母のお中元のおすそわけとのこと。うれしい。
 去年の丑の日は穴子でがまんした。今年は、木綿豆腐を水切りして鰻のたれで味付けしてみようか、片栗粉をはたいて揚げた後にたれで煮てみるのはどうだろう。だめだ、煮てはせっかく付けた衣がとろけてしまう。片栗粉をはたいて揚げた後、たれにくぐらせて焼いて、塗って、焼いて、がいいかもしれない。いっそ厚揚げを使ってみるのもありかもしれない。
 などと考えていたことを母に話すと、「ちくわを使えばいいんじゃない」と返ってきた。確かに見た目は似ているし、よく聞く話だけれども。

 今日は今日で、おなじみの胃痛。この頃、泣きたいと思う。そういえばずっと泣いていないし、思いのほかパソコンに向かっていたせいか、目が渇いてるのかもしれない。泣ける胸があればと思う。頭を撫でてくれる手があればと思う。一人で泣くと、ほんとうに一人だ。

 明日には、水曜日に電話をすることに決めたらしい父が、犬の散歩とでも偽って外から電話をかけてくるだろう。先週は二階のトイレから、その前は車庫からだった。実の娘に他愛ない話をするだけなのに、なにをこそこそする必要があるのか。一人暮らしも十四年目、父からの電話なんて最初の十年のうちにも一、二回あったかないか。今年になって妹が嫁いだこともあり、なにか思うこともあるのかもしれない。

 先週、津波のあった地域に住む知人から、半年振りに電話があった。携帯電話が壊れてデータが飛んでしまったけれど、わたしが以前お遊びで作って渡した名刺を持っていてくれて、それを頼りに新規の携帯電話から連絡をしたのだという。やっぱり、結局はデータより紙だ。もうやだ、と何度も繰り返しながら、彼女は最近お父様と二人暮らしになったことを話した。「夜になると人恋しくて心細い」と言うその人に、そのうちわたしの方から電話をしようと思った。

  両手で持つ受話器の向こう年上の女ともだち幸せになれ

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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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