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川が好き。山も好き。
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 近所に住んでいた友人が、いつのまにか引っ越していた。数年前は、数月に一度、数人で飲んだり、お家にお邪魔して話が尽きず夜まで語り合うような仲だった。友人が出産した時はもうちょっとゆっくりしててもいいのにってくらいの翌日にメールで知らせてくれたし、わたしが失恋した時は夜中までなぐさめてもらった。震災時にも、プロパンガスで復旧の早かった自宅のお風呂を貸したり、テレビの配線を直してもらったり、物流の滞る中で入手した食料を分け合ったり、いろいろ助け合った。震災以降はなにかと忙しくなってしまい、約束はしたものの延期延期で結局もう3年会えず仕舞いだったけれど、近所に友人がいるということは、田舎から出てきて頼りない一人暮らしの身には心強かった。
 
 さびしい。さびしいけれど、しょうがない。わたしの友人である前に、夫や子の妻や母なのだし。独身時代から住んでいた部屋が手狭になってしまうほど、子は大きくなってゆく。ずっと同じままでなんていられない。震災後、友人がずっとしんどかったことは知っていた。引越しして心機一転できたのは友人の人生にとって良かったこと。さびしいけれど、わたしのための友人ではないのだし。

 友人と久しぶりに電話で話をした。うれしいことをいっぱい言ってもらった。覚えてる、2010年の6月にお家に遊びに行った際も「しあわせはこれから出会うんだよ」って言ってもらった。そしたら、それからしばらくしてほんとうに、いっ時とはいえ、わたしはしあわせになれた。同じようなことを言ってもらったから、あの時のように、またしあわせになれたらいい。でもきっと、うれしい言葉を言ってくれる友人がいる、ということが、すでにしあわせなのだと思う。

 それにしても、さびしい。

  諭されればそんな気もする「しあわせはこれから出会う」と子を持つ友に

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 妹の結婚式に出席しました。入籍は既に済んでいて妹の名字も変わっていたのだけど、やっぱり式を挙げると実感が違うなあって思いました。結婚って、一大事業なんですね。

 妹のウェディングドレス姿はとてもきれいで、初めてお会いした旦那さんも優しそうで、親戚も久しぶりに集って、あったかい、笑顔あふれるいい式でした。わたしは、自分がドレス着て主役になってみんなに祝福されるという図が全く浮かばないので結婚式願望はこれまでなかったのだけど、結婚式を挙げたい人の気持ちがわかってきた気がします。お祝いの拍手をしながら、がらにもなく「自分の結婚式は」なんて考えてしまった自分に自分でびっくりしました。

 わたしは絵を習っていたことがあるのですが、今は全然描かないので、時間もお金も無駄にしたと思っていました。でも、この度、頼まれて妹の挙式のウェルカムボードを描かせてもらいました。
「似顔絵は似てなくてもいいよ、お姉ちゃんに描いてもらうということに意味があるんだから」という妹。姉としても、一生に一度のお祝いごとに、こんなふうに役立てたのがうれしい。もしかしたらこの時のためにあの頃があったのかもしれない、と思うことにしましょう。
 絵描きとしては素人ながら、招待客の方々が、それと知らず写真に撮ってくれたりもしていて、なんだかむずがゆいような報われたような思いもしました。
 ウェルカムボードには「短歌も添えて欲しい」とのリクエストで、一首詠みました。おめでとう、お幸せに!

  しあわせに彩られゆくはじまりのひと日に清きヴェールの色は


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あるブログが消えてしまっていたことに気づく。忙しくて更新が滞っているとか、飽きて放り出してしまった、というわけでなく、「消そう」と思った、ということを思う。
 わたしは、この頃パソコンの前にいて、どこかこわくなることがあるのだった。パソコンによってもたらされるものより、この目で直に見えるもの、この手でさわれるものをほんとうはもっと大切にしたい、大切にしておくべきだった、と。

 ブログを書かれていた方と、一度お会いしたことがあった。東日本大震災の数月後、震災関連の仕事で仙台に見えるこということで、休みを合わせて一緒に青葉城へ赴くことになった。松島という案もあったものの、当時はまだ電車がそこまで復旧していなかった。
 「次は松島に一緒に行こう」と握手をして、別れた。あたたかい手だった。ほんとうにまた会えるような気もするし、もう会えないような気もする。もしかしたら、忘れられてしまっているかもしれない。それでも、あのタイミングで会えてよかった。
「しあわせにおなりなさいな」という言葉をもらった。何度思い出しても泣きたくなる、わたしの宝物。約束どおり、しあわせになりたい。ならなきゃと思う。いつかまた会えたら「しあわせになりましたよ!」って笑って言えるようになっていたい。

  最後かもしれぬデートで君に告ぐ言葉をずっと考えている

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 わたしの思うしあわせというものを、整理してみる。

・わたしの作るご飯を食べたいというひとのために手料理を作って、今日あったこととか他愛ない話をしながら一緒に笑って食べること。そして、そうした日々が恒常的に続くという確信に、安心していられること。
・こわい夢から目覚めたときに、握れる手のあること。また、自分が触れることによって相手を安心させてあげられること。
・身ごもったときに、子の父である相手に「でかした!」とよろこんでもらえること。
・助手席に乗せてもらって、海や川、山や地域の文化を見たり、温泉などに行けること。
・桜、花火、紅葉、月などを一緒に眺める相手のいること。
・共に暮らすひとと本棚を共有できること。
・みんな、の中に当たり前のように自分が含まれていること。
・ほんわりした相聞歌を詠めること。
・素直な無理しない自分でいられること。
・おばあちゃんになったときに、長く連れ添ったおじいちゃんがとなりで笑っていてくれること。

 一人でまかなえるかたちのものがなくて、つまりは、わたしは分かち合うということを大切にしたいのだと思った。昔は、もう少し目線が自分に向いていた気がする。自分がこうなりたい、こうなって褒められたい、というような。「しあわせになりたい」と言いつつ、漠然としていて、具体的なイメージが持てなかった。今は自分の求めるそれがはっきりとわかる。もちろんこれだけじゃないし、細かいことをあげればきりがないほど増えてゆく。ただ共通しているのは、根差した場所でおだやかに笑っていたい、ということ。
 願う前からあきらめていた頃がある。でも、求められていない自制なんてする必要ない。願うだけなら自由だって、気づけてよかった。

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 象好きな友人の、象グッズの買い物に同行させてもらった。このところなにか発散したいことがあり、とみに購買欲が増しているのだという。なぜか大きな道路が渋滞で混んでいたので、回り道になるという海側の地域を通って向かうことにした。
 
 こわれかけた家と、真新しいコンビニやパチンコ店が点々と建つ、荒涼とした野っ原。田や畑の広がるのどかな光景なら生まれ育った田舎で見慣れている。けれど、それとは違う。「もしかして、ここは津波で…?」と聞くと、「そうだよ、この辺りずっと家が建ってたんだよ」と教えてもらった。
 初めて訪れた場所だから、震災前のこの辺りの景色を、わたしは知らない。思えば、震災ののちに初めて知ったことがたくさんある。
 震災前はほとんど帰省もせずに平気だったから、自分の家族のこともよく知らなかった。震災前はどんなに寂しくても自制ができていたから、人の声が聞きたい手を握りたいという衝動も知らなかった。自分の思考のねじれも、抑えていた感情も、心の弱さも、震災の後に思い知った。同じなにも無い状態でも、最初から無いのと、手にした後に失って無くなったのでは、全く違うということも。そして、素直な自分を大切にするだけで幸せになれるということも。

 帰り、道を間違えて裏の出口から出たところ、なんと、本物の象を見た。買い物先に併設された木下大サーカスの象が、係員さんに連れられてテントから出てきたのだった。
 タイやインドでは、象は幸せを運んでくれる動物だという。思いがけず生の象に遭遇したわたし達に、きっと幸せが訪れるのでしょう。

  しあわせになれる準備ができてきてあとは些細なきっかけ一つ

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 父の日記を読ませてもらった。父が日記をつけていたとは知らなかった。仕事用の小さな黒い手帳が十数冊。仕事の愚痴だらけで、まるで小学生のような文体で、ちっとも褒められた内容ではなかった。普段は仕事の愚痴なんてほとんど口にしない父だったけれど、こうやって人知れず日記に吐き出して解消していたのか。どこか飄々としてマイペースな人だと思っていたから、意外だった。
 読み進めながら、よく耐えてるな、ってつらくなった。つらくない仕事なんて、きっと、ない。生活のための仕事だ。父は定年まで勤めると言う。
 家族に感謝しようと思った。今までだって、野菜を送ってもらったり、震災の時に駆けつけてもらったり、感謝をしていなかったわけじゃない。けれど、もっと深いところで分かり合えてゆくのだろうと思った。

 以前、願いごとを紙に書くと叶う、なんて話を聞いて「指輪をもらう」とノートに書いておいたまま、しばらく忘れていた。そしたら、母に真珠の指輪をもらった。婚約指輪や結婚指輪を思い浮かべて書いたつもりだったけれど、願いが叶った、ということにしておく。

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高校生の頃だったと思う。一階の仏間で寝ている曾祖母が、ふいに一緒に寝ないか誘ってきた。
 その頃のわたしは二階の一人部屋にすっかり慣れ、眠りに就くまでの時間に好きな漫画を読んだりするのが楽しかった。意味もなく夜更かしもしたかった。ごく私的な一人の時間だった。
 別に、毎日一緒に寝よう、といわけでもない。たった一日のこと。それでも、わたしは曾祖母の誘いを断った。子供の頃は一緒に寝ていたこともあったとはいえ、もうお互い毎日一人で寝ているのだし、たいした願いごとのようにも思えず、軽く考えていた。

 今日、突発的に、帰省することにした。この頃、身の回りが落ち着かなくて、心がざわざわしている。母と父の間で眠りたいと思った。
 一人で眠るようになって以来、もう長いこと、一人じゃないと眠れないと思っていた。一人で眠るのは楽だった。でも、今、たぶん今だけは、一人じゃ眠れない。いい大人になってこんな子供みたいな気持ちになるとは思わなかった。或いは、いい大人になったからこそ、誰かと眠ることにやすらぎを求めたくなるのかもしれない。先日お邪魔した年上の女性が、一人暮らしで犬を飼っていたように。
 
 あの日、曾祖母が今のわたしと似たような気持ちだったかはわからない。けれど、一緒に寝てあげればよかった。たった一日でも、一緒に寝てあげればよかった。

  ふかふかの羽毛布団に沈むときみたいに心受け止められたい

***

拍手お返事はつづきからご覧ください。

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 先日、郊外の寂れたアウトレットショッピングモールへ行った。外国の街並みを思わせる外観はテーマパークにも似た雰囲気があったものの、中に入ると閑散としていて、観覧客のいないステージではよくわからないアイドルが踊っていた。
 一昔前は道路が渋滞するほど賑わっていたとのこと。けれども、時はそのままに留まってくれないのだった。

 10年分ほどの日記を読み返す。昔のわたしは今よりもっと心の在り方が痛々しくて目を背けてしまいたくなる。けれど、日記を読み返すまで忘れていた出来事や気持ちもいっぱいあった。その時その時でこんなに思い詰めていたのに、過去になってゆくんだ、と思った。
 今の自分だって、いつか過去になってゆく。今はその、いつかの訪れるのが少し待ち遠しい。

 初めて訪れたから、ずい分遠い場所だと思っていたアウトレットは、帰宅後に地図で見てみると割と近場だった。車に乗れないわたしは生きている世界がほんとうに狭くって、見える視界がほんとうに狭くって。

  地図五枚印刷したってほんとうに迷っているのは人生の方  

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 わたしは体質的にお酒が飲めないけれど、飲める体質だったら溺れただろうな、と思う。だから、飲めなくてよかったのかもしれない。

 自分では、依存体質ではないと思っていた。一人で過ごすことも平気だし、パチンコにも興味がないし、携帯電話だってしょっちゅう家に忘れてしまうくらい触らない。決して心の強いわたしではないけれど、それでも自分一人の足で立っていると思っていた。
 ふと、好きだったはずの読書が停滞していることに気づく。それは、本について語れる人が遠ざかってからのような気がする。そういえば、食べてくれる人がいなくなれば料理も凝ったものを作らなくなるし、聴いてくれる人がいなければピアノも弾かなくなる。映画を見に行けば感想を話したくなるし、旅行に行けばお土産を渡したくなる。元々は一人で没頭していたことだったのに、誰かと分かち合うよろこびを知ってしまえば、一人で楽しむことに物足りなさを覚えてしまう。誰かを意識するようになってしまう。自分の中にこうした依存心を見つけたとき、なんて弱いわたしだと思った。なんて薄いわたしだと思った。

 お酒の飲めない体質に生まれたのは幸運だった。きっと自分を失くしてしまう。自分を見失わないように、誰のためでもないわたしの「好き」を大事にしよう。わたしがわたしらしく生きられるように。
 
  酒タバコ賭け事もせず恋もせずおだやかな日々を送っています

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HN:
おとも
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女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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