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川が好き。山も好き。
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 実家に帰っている時に、犬の散歩をするようになった。我が家は昔からずっと犬を飼っていて、わたしが知っているので5匹目くらい。わたしはこれまでどの犬も格別かわいがったことはなかった。犬の他にウサギやインコを飼っていたこともあるものの、そもそも動物自体にあまり興味を持てなかったようで、わたしって冷たいのかな、と心密かに悩んだりもしたものだった。

 今頃、やっと犬の散歩ができるようになった。今の犬が格別かわいい、というわけでないけれど、今、不思議に犬をかわいいと思えるようになった。今の自分に、犬という存在がなにか合ったのかもしれない。なにより、犬がわたしを好きそうなのがいい。なにもない実家に居ると引きこもりがちになってしまう。一人では億劫だけれど犬と一緒ならどこへでも行ける、そんな気がして、犬小屋から犬を放ち、犬と一緒に農道へ走り出す。そういえば、毎日の通勤で40分ほど歩いていた頃に比べ、めっきり運動不足になっていた。あの頃は、好きな道、好きな景色の中を歩けたから、歩くことが苦じゃなかった。今は、少し、しんどい。だから犬に引っ張ってもらって、わたしのために散歩する、そんな感じ。お決まりのお散歩コースである農道はなつかしい草の匂いがして、一面の緑は目に心地いい。
 畑の中でいろんな人に会う。農作業する近所のおばあちゃん達に「(母の名)ちゃんの娘だが?」「ともちゃんだが? (妹の名)ちゃんだが?」と聞かれたりする。わたしは相手を知らないのにわたしは知られていて、隣県での一人暮らしとは違っていて、ああ田舎だなって、むかしは窮屈だったけれどこういうのもいいかもしれないなって思ったりしながら少しの間、談笑したりする。
 部活で山の中を走っていた男子中学生達に「こんにちわー」と声をかけられたりする。思いのほか礼儀正しい。わたしの代とは違う学校指定ジャージ。まぶしいほどに健康的。未だに子供っぽいわたしだけれど、向こうから見ればわたしはおばさんなんだろうな、と思う。
 ビニールハウスとふすまで作られた小屋からなにか声がして、気になって仕方ないらしい犬に引っ張られて行くと、ヤギがいた。ヤギなんて初めて見た。飼い主の人がやってきて「友達になりたいんでしょう」と近くに入れてくれた。破れたふすま越しに交歓を図ろうとするヤギと犬。いじましい。それ以来、ヤギのところにも寄るようになった。楽しそうで。

 犬の散歩を終えた後は、夕飯を作る。農作業用の小屋からその日その日に獲れてある野菜を持ってきて、料理をする。夕方5時になると、どこからか『夕やけこやけ』が流れ出す、チャイムのように。

 犬がわれに飛び寄る時のまなざしを覚えていよう探してゆこう

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仕事の帰り、雨の中、横断歩道先の図書館に寄ろうと赤信号で立ち止まっていたところ、側にいた女性が「信号待ちの間だけでも入りませんか?」と傘に入れてくれた。思いのほか信号の色の変わるまで時間があり「最近涼しくなってきましたね」「雨が多いですね」「土砂災害のニュースもありますし心配ですね」なんて他愛のない話をした。一緒に横断歩道を渡り終えた後、「ありがとうございました」とお礼を伝えて別れた。わたしより先に歩き始めた彼女は、傘を閉じてわたしの目的地であった図書館に入って行った。同じ所に行く人だったのか、と、ちょっとびっくりした。
 年齢はわたしと同世代くらいの、きれいで聡明そうな女性だった。なにより、優しい人だと思った。こんなふうにさりげなく他人に親切にできる心が、ほんとうにすてきだと思った。そういう優しさで世界が回っていけばいいのに、と思った。
 図書館で、角川短歌の今月号を読んだ。泣きながら読んだ。

  雨の日に歩道橋下ちぢこまる毛布の横を足早に過ぐ

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昔の同僚さんから電話がかかってくるようになった。わたしより一回りぐらい年上の人。彼女に誘われて会うと宗教の勧誘をされる、という話は共通の同僚仲間から聞いていたので、それとなくはぐらかして会わないようにしている。根回しが済んでいることを知らない彼女は、電話では宗教のことを口に出さず、ひたすら「今すぐ会いたい」「(わたしのことが)心配」とくり返す。震災の時すら連絡を取り合わなかった間柄なのに今になって「心配」とか、なんなんだろうなあと思ったりもする。わたしを親身に思ってくれているのではなくて、カモのように見ているのがわかる。昔はそんな人じゃなかったのに、なんだかかなしい。

 二十歳そこらで若くして子供を生んで結婚した人である。一緒に働いていた当時も、子供の話がほとんどだった。早くから子供子供の子供漬けだったのが、子供の大きくなって手が放れて寂しくなった心の隙間に、宗教が入り込んでしまったのだろうか。宗教にはまったきっかけも、子育ての悩みからだと外づてに聞いている。
 とはいえ、子供がいて夫がいて、それでもう充分でしょう? 愛する夫や子供こそ、神様より神様でしょう? って思ってしまう。そりゃあ既婚者と未婚者の悩みは違うのかもしれないけれど、少なくとも恋愛で好きな相手と結婚できただけでも、大きな奇跡を手にしているのに。

 電話口に熱心な彼女の声を聞く度、しあわせってなんだろうと思う。神様を信じて、彼女は妙にしあわせそうではある。
 初めて会った時、三十二歳で既に小学生の子供を二人持っていた彼女の年齢を、今のわたしが追い越していたことに、ふと、気づいた。あの無邪気な子供達も今は二十歳ぐらいになっているはずだ。子供が大人になるほどの月日が過ぎているのに、わたしはいつまでも子供のままでいる。

  神様を信じていないわれなれば「おかあさーん」って泣くほかはなく

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 最近の楽しみは土曜の夜の『男はつらいよ』寅さんアワー。自宅はBS契約していないので、実家に帰省している時に見る。邦画が好き、昭和が好き、人情もの好き、旅好きなのだもの、そりゃあ好きな映画になりましょう。

 ただ一つ、内容と関係ないところで、寅さんの、右手の薬指の指輪が気になってしまう。男の人がファッションとしてアクセサリを、まして独身なのに指輪を。悪いわけではないのだけど、なんか気になる。

 さて、わたしが年頃に初めて購ったアクセサリは肩こり用の磁気ネックレスであった。

  イミテーションリング左手薬指にはめて解き放たれる心地は

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 ハンバーグ。家の隣の畑からシソを摘んできて、千切りにしてこねこね。こういう感じ、ああ農家だなあって感じ。夏の味。ソースもトマト刻んで手作りしたよー。
 

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わたしの参加している結社の歌会では、歌会終わりに「歌集を読む会」という勉強会がある。一冊の歌集から好きな歌を一人三首ずつ選んで読む。先日の歌会では河野裕子さんの『森のやうに獣のやうに』だった。三首用意してあったものの、歌会が盛り上がって時間が足らず、駆け足で一首のみを読むことになった。

  わが髪の付きしセーターにふさふさと身を包み街を歩きておらむ

 と、いう歌をわたしは選んだ。街を歩いている恋人の身を包むセーターに、自分の髪の毛が付いている。相手の体に自分の一部が付いていて、それがなにかうれしい、というような気持ちが、ああ、わかるなあって。なにしろ駆け足だったので歌会では「変態っぽくて惹かれました!」とだけ発言して笑われてしまったけれど。

 短歌総合誌『短歌研究』からアンケート葉書きが届いた。「万葉集 私のこの一首」というものだった。正直に言うと、わたしは万葉集や古今和歌集や新古今和歌集や百人一首等々の区別が付いてない。有名な歌はいくつか知っているし、以前NHKで放映されていた『日めくり万葉集』なんて番組も毎日のように見ていたけれど、なんだかぼんやりしている。さてどうしよう、と思っていたら、自分の本棚に角川文庫の『ビギナーズ・クラシックス 万葉集』という本があった。助かった。
 持っていたのを忘れていたくらいなので、新鮮な気持ちで再読した。そうして選んだのは作者未詳のこの歌。

  朝寝髪 我れは梳らじ うるはしき 君が手枕 触れてしものを

 朝の寝乱れた髪を梳かすまい、いとしいあなたの手枕の触れた髪だから、という歌である。ああ、わかるなあって。

 河野裕子さんにしても、万葉集にしても、どこか似たような歌に惹かれたと気づく、髪を詠まれたというだけでなく、なにか残り香のようなものをいとおしく思うような。そして、昔のわたしならこういう歌に目が止まらなかっただろう、とも思う。わたしも変わったなあ。

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 イカとズッキーニの煮物に、千切りじゃがいもと玉ねぎスライスのカレースープ。


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 自分の写真が必要になり、少しでもうつくしく!との悪あがきでロケーションまで敢行して、奇跡の一枚を求め、ひくぐらいの枚数の自分の写真を撮った。
 撮影中、なにやら立派なカメラを携えた人が現れて「撮りましょうか?」と声をかけてくれたので、こんなプロっぽい人なら少しでもうつくしく撮ってもらえるかも!と、ありがたくお願いした。
 少しでもうつくしく撮ってもらえたかしら!と、見てみると、わたしではなく背景の眺望台がメインに撮されていたのであった。お約束ですなあ。
 あんまりたくさん撮ったので、たまたま実家に見えた伯母に3枚ほど押し付けた。縁談でもよろしくお願いいたします、の心持ちで。

 晴れた日に、雨で断念した祖父のお墓参りに行ってきた。ついでにおみくじを引いたら、大吉だった。うれしいことばかり書いてあってうれしい。祖父の加護をいただけたみたいだ。

 実家での療養も今日でおしまい。さびしい。もっと居たかったし、健康上もその方がいいのだろうけれど、明日、歌会なのだもの。

  墓二つ参って帰る 墓守りを生もうと思う あした雪降る

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 ナポリタン。普通のナポリタン。
 
擬製豆腐。卵と豆腐を混ぜて焼いて切り分けます。具は桜えびと絹さやのみじん切りで彩り良く。

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女性作家の中には、敢えて独り身を貫く人も多いと聞く。恋愛や結婚によって感性が変わり、作風の変わってしまうことを防ぐためだという。

 わたしも、守りたいと思ってしまったのだ、さびしい歌を詠える自分を。

  あの時にわたしが「はい」とうなずけば始まっていたはずの幸福

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焼きうどん。具は豚肉とキャベツともやし。

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 祖父の命日だった。せっかく祖父の命日に実家に居るのだからお墓参りに行きたかったけれど、生憎の大雨なので、家の仏壇を拝むに留めた。

 わたしの生まれる半年前に亡くなってしまったから、わたしは祖父という人を知らない。
 祖父は54歳だった。だから、自分の親が50代になった頃から、親はいつまでもいてくれるものではない、と親の死というものを意識していた。一人暮らしでも必要以上に頼らなかったし、親の方も元々放任主義なところがあって、だからだろうか、かつてのわたしは変に自立、自律しようとするようなところがあったように思う。それは親にだけでなく、他人に対しても。それが最も顕著に表れてしまったのが、東日本大震災で。

 実家で療養中である。あの頃もっと頼るということや甘えるということを知っていれば、していれば、ここにきて親の世話になる身になんてならずに済んでいたかもしれない。

 頼ってもよかったのだ。甘えてもよかったのだ。親にも、人にも。いつかいなくなるにしても、まだ生きているのだから。

  遺影しか知らない祖父の顔に似ているようで梶井基次郎を読む

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レバニラ。絹さやと玉ねぎのすまし汁。

 

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 一週間ほど、帰省して田舎で療養することにした。実家に居ると、父も母も働き者過ぎて驚く。兼業農家だから、本業の後に、休日に、農作業があるのだ。

 療養中の身だから有意義に過ごす必要なんてない、と敢えてゆるゆる過ごしていたわたしだけれど、なにかいたたまれなくなって、ごはんを作ることにした。もともと料理は好きだし、一人暮らしでは自炊生活だし、調理師免許も取得していたのだ。
 そんなわけで、本日はナスの肉詰めと新じゃがの茹でたもの。わたし一人分でない食事作りは楽しい。

  縦に割り肉を詰めたるピーマンの二つになるを一人で食みおり


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一人きり部屋で過ごしていたいけど誰かと家で暮らしていたい

 と、いう歌を詠めた時、たしか2006年のことだ、自分の心を素直に言葉にできた気がして、ひどく満たされた覚えがある。意気揚々と某コンテストに応募した。意気揚々と某コンテストに応募したものの、箸にも棒にも引っ掛からなかった。

 けれど、今ならばわかる。今のわたしは、この歌に共感できない。たぶん、多くの人がこの歌に共感できない。選外も当然。今ならばわかる。

 わたしの育った家庭には、団欒がなかった。今でも、ない。だからかもしれない、家の中では自室で一人で過ごしている方がよっぽど心地よかった。そのためか、一人暮らしを始めて、ある種のさびしさは覚えても、ホームシックにはかからなかった。或いは、ホームシックにかかるようなわたしだったら、うまくさびししがれるようなわたしだったら、人生をもう少しなんとかできていたのかもしれない。かつてのわたしは一人に慣れ過ぎてしまっていたし、頼りない思いをしても我慢する以外の方法を思いもつかなかった。

 一人の時間は大切。けれど、一緒に同じ時間を分かち合えるような誰かが人生には必要なのだと、震災やそのほかの喪失をあじわって、切に思うようになった。

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HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
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