それまでわたしは、わたし自身の心をないがしろにするようなところがあって、たとえば誰かがやらないと仕方のないことなどがあった場合に犠牲になりがちだったし、それを自分でも気づいていなかった。わたしを見ていてくれた昔の職場の方から忠言していただいて気づいたことだ。いい人になっていても誰もい人なんて思ってくれない。何を言っても断らない人なんだって、どんどん軽んじられていってしまうから、主張すべき時はちゃんとした方がいい、と。
それでも、生き方の癖はなかなか抜けず、震災のような非常事態時にこそ、わたし自身の安全や不安を後回しにするなど、へたくそに振る舞ってしまった。そうして、いろいろなものを喪った。
だから、何よりもわたし自身の幸福を一番大事にしようって、神社を参拝していたのだ。尤も、その神社は学業の合格祈願の神社だったけれども。
「祈る」ということについて考えている。先日、NHKでお百度参りのドキュメンタリーを見た。元気だった息子さんが突然病に伏し、当初こそ切実な思いでお百度参りをしていたような女性であったけれど、回復の兆しが見えず闘病が長引くにつれ、いつしかお百度参りを続ける意味合いが変わってきたように見えた。それでも、ずっとお百度参りを続けていた。彼女だけでなく、他のお百度参りをする人達も似たような事情を抱えていた。
祈るほかどうしようのないことがある。祈らずにはいられないことがある。祈ってもどうしようもないことがある。それでも。「願う」とは違うのだ、似ているようで、「祈る」と「願う」はどこかが違う、どこかが。
五円玉はいつしか集めなくなった。当時の好きだった仕事をずっと続けたい、という思いの一つが叶わないことがわかったから――仕事を辞す羽目になったから。幾たびも参った神社にも自然、足が遠のいてしまった。
しあわせになりたいと思う。もう、わたし自身がしあわせになりたいと思う。それは「願い」なのか「祈り」なのか、自分でもよくわからない。
欲張っておみくじ二回引きおれば待ち人来ずと二回告げらる
それでも、モデルの敦士さんが一言もネガティブな言葉を発することなく肯定してくれたり、よゐこの浜口さんの圧倒的な、女性芸人としてではなく一人の女性としての目線での褒めっぷりに、号泣してしまっている自分がいた。なんで大久保さんがおめかしを褒められてこんなにわたしがうれしいんだろう。わたしのこの涙はおかしい、泣くような場面ではない。あらためて、自分の心の傷の根深さを思った。
小学生高学年の頃だったと思う。担任でもない女性の先生が、なにかの係だったわたしになにか頼みかけて、「やっぱり可愛い子にしよう」と言って去って行った。そののち、同じ係の容姿の見栄えする女の子が、壇上でどこかのえらい人に花束を贈呈していた。ああ、あれを頼まれかけていたのか。目立つことは好きじゃないので、花束贈呈役に選ばれなくてよかった。でも、先生の言葉にちょっと傷ついている自分もいた。自分が容姿に恵まれてないことは知っている。けれども、うっかり漏れてしまったのであろう先生の本音を聞いてしまって、他人が認めるほど、わたしの容姿は良くない、ということをあらためて自覚してしまって、恥ずかしかった。それ以前も、そののちも、友達やただの級友、上司など、他人から自分の容姿をそれとなく貶されることは何度かあった。
わたしはブスだから、ブスはしゃしゃり出ちゃいけない。ブスだから、女の子らしいかわいい格好なんか似合わない、しちゃいけない。ブスだから、多くを望んじゃいけない。ブスだから、わたしはブスだからと、なにかにつけて萎縮して自信が持てなくなり、思春期に母親との折り合いがあまりよくなかったこともあって、性格もこじらせていってしまい、いつしか自分の中の女性性をうまく受け入れられないようになってしまった。
もちろん、絶世の美女でなくとも、いつも笑顔でニコニコしていたり、表情や仕草が可愛らしかったり、内面のうつくしさが外面に滲み出て魅力的な女性はいっぱいいる。けれど、わたしは自分はブスであるということに気後れし過ぎて、そういったことに気づくのが遅れてしまった。「可愛い」「美人」などと容姿を褒められて、ああ、これは社交辞令だと察し「ありがとうございます☆」「よく言われます☆」なんて返せるようになったのも、女の子らしい格好やお化粧を躊躇いなくできるようになったのも、もう若い女の子ではなくなってからのことだ
「田宮さんて美人だよね」と言われたまま美人になってしまえばよかった
この歌を塔11月号で取り上げていただいた際、評者の川田さんに「あっけらかんとした自己肯定が素晴らしい。『頭のよさそうなおぼっちゃんね』『なんて可愛いお嬢さんでしょう』なんて言われながら育ち、大人になってやっとそれがお世辞であったことを知る。しかし、誰しもそれなりの賢さ、美しさを持ち、それなりの人生を送るのが一番の幸せ。これも負け惜しみかも……。」という評をいただいだ。そういう受け取り方もありだな、と、こんなふうに歌が作者の手を離れてゆくことをおもしろく思った。
実際は真逆でわたしは「可愛い」というお世辞どころか「可愛くない」という本音を受けて育っている。自己肯定どころか自己否定の人生だった。だからこそ、「美人だよね」と言われた時、このひとにはブスキャラのこのわたしが美人に見えているのだろうか、と戸惑った。戸惑いながら、うれしかった。やっぱり、うれしかったのだった。
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ホワイトシチュー。市販のルーを使わず、ホワイトソースから手作り。この食器、一人暮らし始めた15年ほど前に母が持たせてくれたのだけど、15年ほどにして初めて使った。写真でも撮ろうとか思わないと、普段使いの丼とかお椀によそってしまうもの。
本部の方と、事務処理等で今でも少し書面のやり取りがある。仕事の現場は一緒でなく、本部から事務処理の際だけに来ていただいてご一緒した女性上司。最終勤務日、というよりはわたしの体調が良くなくこれ以上勤務できる状態ではないという話し合いの際、ちょっとした空いた時間に、初めて雑談をした。お互い読書が趣味であることがわかり、意気投合した。彼女は湊かなえさんの小説が好きだと言い、わたしは『告白』の原作も読んで映画も見ていたので、ひとしきり盛り上がった。わたしは好きな作家を聞かれて、角田光代さんと答えた。わたしは短編集が好きなのだけど、映画化もされた『八日目の蝉』が有名だということでお勧めした。「普段は事務処理に追われているから、こんなふうに職場で本の話ができるのがうれしい」と彼女は微笑んでいた。
それ以来、退職にまつわる書類、諸々の手当ての手続きの書類、等々事務書類が彼女から送られて来る度に、事務的な文書の後に「読んでみました」「お勧めです」「映画化嬉しいですね」といったような本にまつわる追伸が書いてあって、わたしも事務書類を送る際に返して、なんだかそんなことが、うれしい。好きな話をできることもうれしいし、気遣っていただけていることもうれしい。
こうした方と一緒の現場で仕事ができていたら、休職や退職をすることもなかったかもしなれい、なんて思ったりする。人間関係は仕事をするうえで大きく影響するから。下ネタが大好きな人はわたしのいた部署で水を得た魚のように輝くのだろうし、わたしは本が好きで語り合える人が職場にいれば、気の持ちようで体調も悪化せず仕事に行くのも楽しかったと思う。現に、別な仕事をしていた頃、一緒だった方々とは本の貸し借りもできて、わたし以外の人をも何人も潰したクラッシャー上司が現れるまでは楽しかった。仕事は社会人として稼ぎに行くことろでもあるけれど、どんなに好きな仕事でも、ふとした職場環境の要因で崩れてしまう。好きな仕事で、自分に向いていて、人間関係が良好で、環境が良い、そんな仕事に就けたらいいのだけれど。お給料はそんなに欲張らないから。
本を読むひと、と答える戯れに好きなタイプを聞かれた時は
去年の今頃に失業手当を申し込んで、給付される前に再就職が決まって、失業手当を再就職手当に切り替えの申し込みをして給付される前に転職して、いろいろ具合が悪くなって休職の果てに退職して、そうこうしているうちに期限が切れて、ともすれば受給できたはずが一円も給付されずに消えてしまった金額がいくらかなんて数えてしまえば泣くしかないような暮らし。どうしてこんな人生になってしまったのだろう。本来は職を転々とするタイプでもなかったし、本職に在職時も慎ましく遊びもせずにまじめに働いていたのだけれど。
わたし、そこそこ長く福祉を施す方の側にいたのに、空気も合っててそちらの分野をもっと勉強したかったのに、今や福祉を受ける側に回ってしまった、不思議。ひらり、葉の一枚の翻るように。それでも、今のわたしがいろんな制度にお世話になれるかもしれないのなら、今はお世話になっておきたい。一時はなんにもできず寝たきりだったのが、そう思えるまでに回復してきた。無理しないでゆっくり、自分のできることから無理しないでがんばってゆきたい。
バスで15分ほど揺られて職安に行った。昨日電話で問い合わせて、書類をかき集めて合わせたらこの先どうにかなるかもしれない、という話になり、今日伺うことになった。職安の給付課で、昨日お話した男性の職員さんにかき集めた書類見てもらったけれど、一見して月数は満たしてるように見えるものの内密な日数が足りてなく、効力にはならないとのこと。――徒労であった。世界は思ったより優しくできているようで、やっぱり厳しい。
職安に集っていた人達はたぶんほとんどが仕事を探していて、そんな中に泣いている赤ちゃんやぐずっている幼子がいたりして、ああ、お母さんの方が仕事を探してるのか、って、せつなくなる。トイレの手洗い場で一緒になる女性職員さんの首に青い紐でぶら下がる、社員証のまぶしさときたら。お高そうな素敵なお洋服を着ていらっしゃって、ばっちりしたお化粧を直している。今日、わたしは、お化粧ももったいないのと、目に見えて地味に不憫そうな方が同情を誘えていい結果に繋がるかも、なんてバカらしいことを考えて、ほとんどすっぴんで来ていた。失職前は、すっぴんで外になんて出られない! ぐらいの自意識はあったはずなのに、環境の変化というものはこうも自分をも変えてしまう。
帰りは一時間ほど歩いて帰った。当てにしていた給付金が入りそうにないことがわかったから、ではなく、もとから帰りは歩こうと思っていたのだ。
帰り、銀行に寄り、今どうなっているのか現実を直視するのがずっとこわくて触れていなかった通帳を、思い切って記帳した。いざ記帳してみたら思ってたより残高があって、少し胸を撫で下ろした。一円も需給できずに消滅したと思っていた失業手当は、半年以上前に二回に分けて三万ほどではあったけれど振り込まれてあった。
歩いているうちに右のかかとに靴擦れができた。職安からだけでなく、職安に近い歌会の会場からも歩いて帰ることが多くて、道にも歩くことにも慣れているはずなのに。痛い。
通り道に現れた神社で、お参りをした。この先にいいことがありますように。散りかけの紅葉の赤ががきれいで目に沁みた。
職安の帰りに過日解散せしバンドのラストアルバムを買う
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夜中に急におやつが食べたくなって突発的に作ったマフィン。バターの代わりにサラダ油でヘルシーに。
今年の夏の実家療養中に、干しナス作りの手伝いをしたことを思い出す。あんなふうな平たいざるは持っていないし、買うつもりもない。干し野菜専用の段になっていて吊るして使うネットが欲しいけれど、やっぱり買うつもりもない。どうしたものかと部屋うちのものを探していたら、使い捨てで三角コーナー代わりになるという『ポンッと置くだけ水切り袋』というものがあった。料理の際の生ゴミ処理に便利だから、と母がくれたのだった。けれど一人暮らしでは生ゴミもさほど出ず、さほど出番がなかった。袋の底を広げると自立する、ポリエチレン製の水切り袋だ。これは使えそう。早速、大根を切って、件の水きり袋に入れて、洗濯ばさみでベランダに干してみた。うん、なかなか悪くない。
切干大根を作ったことにより、切干大根作りにまつわる歌がいくつも湧いてきて、これまで未発表だった歌のストックもくっついてくっついて連作にまとめられそうになってきた。棚からぼた餅。切干大根作ってよかったと思う。切干大根が干上がって出来上がる頃には連作も出来上がっているのでしょう。これぞわたしが所属する短歌結社でもよく言われてる、「生活即短歌」って感じがする。
このところ短歌界隈では、虚構短歌について話題になっていた。発端は、今年の短歌研究新人賞受賞作は父の挽歌であったのだが、作者の父が実在していて、歌の中で父殺しを行ったというようなこと。だまされた、不謹慎といった感情を持つ方々がいたようなのだった。そうした問題からは、わたしはどこか距離を置いている。正直な好みで言えばわたしは短歌に私性を求める方向を向いている。けれど、わたしごときがなにか主張することもない、というような。ただ、わたしは虚構で短歌は作れないな。と、切干大根作りながらあらためて思った。切干大根は干上がるのに数日かかるとのこと。
先日は、三階の自宅のベランダの鉢に自生していたタンポポの葉っぱを、白菜と一緒に鍋に入れて食べてみた。彩りも良くなって、思ってたより普通の味だった。ベランダ菜園は、一度種蒔いたきり毎年生えてきていたシソが今年は生えなかったのがかなしい。放射能に関してはもうほとんど気にしていない。
放射能に関してあんまり気にしていないのは、たぶん生まないんじゃないかと思ってしまっているから。人生どうなるかわからないけれど。自分の気持ちも変わるかもしれないし。自分で自分のことも好きになれて、このひとの子を生みたい! と思えるような誰かと仲良く暮らすような人生になれたらしあわせだと思う。
南向き陽当たりのいい部屋なのにひとりで住んで申し訳ない
手紙を捨てるなんて、と思いながら、あの頃にわたしが送った手紙は捨ててほしい、と思っているわたしがいる。わたしはわたしなりに変わってしまって、今読み返せば若さゆえの青臭さがむず痒い。今でもこの頃のわたしだなんて思われていたくない。こんなにあの頃の手紙を恥ずかしく思うのは、まるで、手紙を書くために書いていたような手紙だったからかもしれない、と思う。手紙に綴ったことは、相手を思って届けたい言葉だったか。友達も知り合いもほとんどいない街で一人、当時はインターネットもなくて、抱えていた思いを吐き出すように手紙にしたためていた、ような気もする。受け止めてくれる人がいるのをいいことに。尤も、それはお互い様だったかもしれなくて。
下書きとして残っていたわたしの手紙文に「わたしは今が一番どん底だと思う。」なんて書いてあった。5年くらい前だ、まだ20代の。
どん底、なんて、世間知らず過ぎて笑っちゃう。あの程度がどん底なんて。今のわたしより未来があるのに、どん底、なんて。そののちしあわせをつかめるのに、どん底、なんて。つかんだしあわせを自分で手離すようなことをしてやっと味わうのに、どん底、なんて。
好きだったひとが誕生日にくれたゴーリキー『どん底』昔のことだ
と、いうことをうまく伝えられず、お酒の席でお酒を勧められたり、注文や購入すらされてしまうこともある。なんとかやんわり断ろうとして、その場の空気を盛り下げてしまい、申し訳ない気持ちになったりする。お酒を飲む人は、良かれと思って勧めてくれるのだから。わたしも、飲めない分、ウーロン茶でも精いっぱい楽しくふるまっているつもりではあるのだけれど、やっぱり足りないのだろうか、と反省したりする。
それにしても、お酒を飲む人の、他人にもお酒を飲ませようとする心理はなんだろう。こんなに踏み込んでぐいぐい勧められるものはお酒以外にはなかなか、ない。お酒を飲んで具合が悪くなる、という事実を想像できないくらいにお酒が良くって、素面でいるのがかわいそうだったりするのだろうか。人の酔っている姿を見たいのだろうか。自分は酔っているのに他人が素面なのはおもしろくない、ということなのだろうか。
とはいえ、お酒を飲める人の方が楽しそうだし、お酒を飲んでいない時でも生き方など大らかで柔軟そうに見えるし、うらやましい。ほんとうに、うらやましい。
お酒を飲めないわたしだけれど、最近、たぶんお酒のような心地だろう、というものを覚えた。不眠で処方された眠剤である。もともと薬嫌いだし、昔は薬で眠るなんてこわい! と頑なに拒んできた。けれど、どうしても眠れない時や、眠るよりほかないぐらい心が疲れている時、スッと眠れるのはいい。寝入りばな、ふわふわしてなにやら心地良い。この感じは、お酒を飲む人がお酒を飲む感覚に似ているんじゃないか、と思っている。どうだろうか。もちろん、溺れるつもりはない。
ひどいパワハラに遭っていた時など、夜は寝つけず、朝は早朝覚醒で、睡眠不足で体の疲れはとれないし、心のバランスも崩していた。あの頃、素直に眠剤のお世話になってちゃんと眠っていたら、ちゃんと頭が働いて仕事での理不尽なこともうまく立ち回れたんじゃないか、と思う。
お酒も飲めていたら、あのつらい日々もお酒に逃げることができて、もう少し楽に生きていたのかもしれないし。
酔えもせず吐いてしまいぬ ああわたし何処へも逃げる場所がなくって
携帯電話にメールの機能が備わり始めると、連絡先としてメールアドレスを教えてもらうようになることが多くなった。辺りを見渡せばばみんな携帯電話に向かって指を打っている。自分以外のみんながメールで繋がっているような疎外感を覚えた。それでも、携帯電話を持ったら自分が変わってしまいそうで、20代後半になって仕事の都合で持たされるまでは持たなかった。
携帯電話を持つようになって数年、いつしか辺りを見渡せば今度はみんなスマートフォンに向かって指をすべらせている。そうして、フェイスブックやLINEなどのSNSで繋がっているようである。ああ、既視感。携帯電話を持たなかった頃を思い出す。それでも、たぶんわたしはガラケーのままだろうな、ということまでも既視感。尤も、持たないと思っていた携帯電話を持ったように、この先のことまではわからないけれど。
繋がり過ぎるくらい繋がってゆくような時代になって、かえってこの頃、生身の関係を思うようになった。会える人とは会いたい。声が聞ける人なら聞きたい。目の前の、手の届く繋がりを大事にしたい。手紙を書くのもいい。便せんを選んで、切手を選んで、明日あさって届く誰かの未来に向かって言葉を綴りたい。
変換に慣れた右手で辞書を引く少し真面目な君への手紙
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ネギと鶏肉の卵とじ。蓋付きのフライパンが便利でした。
昔買った本、漫画、CDなど、発売日を楽しみに待ったり、何度もくり返し楽しんでいたものもあったけれど、いつしか好みが変わってしまって、今ではほとんど気持ちが動かないものがある。ゲームなんてもう全然しない。録りためていたビデオも、今さら見返したりしない。絵はもう描かなくなったから、昔描いたヘタクソな絵も、絵を描く道具ももういらない。絵の資料にと取っておいた人物のポーズの切り抜きも、背景用の景色の資料も今やごみでしかない。
こうしていろんな物を手放してゆくうちに、残せるもののなにもない人生だった、と思う。それらに夢中になっていた時間も、お金も、なにより心が、とても空虚だったように思えてきて、わたしなにやってたんだろうって、落ち込む。夢中になっていた頃は、ずっとその気持ちが続くと思っていたのに。あの頃はどうかしてたなんて、過去を否定してしまうなんて、なにも積み重ねられなかった自分のような気もして。
今好きなものも、これから好きになるものも、いずれ好きじゃなくなってしまうのだろうか。好きだといっていた自分を恥ずかしく思うようになってしまうのだろうか。そんな未来を思えば、なんだか無欲になってしまうのだった。
いつまでも仮住まいなるこの部屋でいつか誰かと鍋をつついた
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おやつが食べたくなったので、あり合わせで饅頭を作ってみました。水と砂糖と市販の天ぷら粉で皮を作り、餡は茹でたさつまいもをつぶして砂糖を混ぜて。蒸し器の代わりに湯を沸かした鍋にざるをセットして蒸かしました。ちょっと中華まんみたいな食感にできあがりました。天ぷら粉にはベーキングパウダーが入っているので膨らむのです。
本来は、水と砂糖と、ふるった薄力粉とベーキングパウダーで皮を作ります。砂糖を黒砂糖に代えるとおなじみの黒皮の饅頭になります。
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