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川が好き。山も好き。
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数年ぶりに偶然再会したかつての同僚さんが、某さんとも会いたいと言うので、某さんと今でも交流のあるわたしが幹事のような感じで女子会を企画した。今、予定を調整しているところ。わたし以外の二人はシフト勤務で、休日が不規則なのだ。だから予定を合わせるのがちょっと難航しているけれど、楽しみ。

 わたしは先に予定が決まっている方がうれしいタイプで、何の約束もなしに突発的に「今から何々しよう!」みたいな他人との予定が入るのはちょっと苦手。何故かといえば、予定のために気分を整える準備が要るから。あらかじめ約束があれば、その時のために楽しみに準備して過ごす。もちろん、他に予定が入っておらず自分の準備も大丈夫であれば突発的な誘いもうれしく受け入れるけれど、前もって約束がある方が安心する。

 昔、前もって約束をしておくのが苦手で、急に「今から何々しよう!」という予定の立て方じゃないと嫌だ、と言う人がいた。約束をして先々の予定が決まると、約束に縛られるみたいでめんどくさくて嫌なのだそう。
 そういう考え方の人もいるのか、ということは理解しつつも、わたしは全く共感できなかった。急に誰かと予定の入るのが好き、って、一人の時間は必要ないのだろうか。人と過ごすのに準備は要らないのだろうか。
 それに、約束に縛られるのが嫌だ、と言うけれど、わたしは「今から何々しよう!」と急に自分の時間を取られる方が、わたしの時間がいつでもあなたの自由になるとでも思ってるの、あなたのために予定をいつでも空けているとでも思ってるの、って縛られている感じがする。約束が決まっていれば、その時以外の時間は自分の自由に使えるではないか。わたしは一人の趣味もあるし、一人暮らしなので貯まった家事など一人でしなきゃいけないことがある。約束嫌いの人と親しくしていると、いつ予定が入るかわからなくて息苦しい。いつでもスタンバイ状態にしておかなきゃいけないみたいで、気を抜く暇がない。
 また、自分に既に他の予定が決まっていたり、自分の準備ができていないために断るのも心苦しい。準備ができていない時などは前もって、せめて一日でもいいから先に誘ってくれれば、断らずに済んだのに。わたしだってその予定を楽しみたかったのに。でも、約束嫌いの人は、断られても気にしないのだそう。わからない。わたしは誘って断られるとひどく落ち込む。だから、相手の他の予定を慮って約束をしておきたい。
 女性などは、お化粧の準備もあるし、「今から」みたいな急な誘いには対応しにくいんじゃないか、約束があった方がいいんじゃないかと思うけれど、女性の方にも約束嫌いの人は結構いるらしい。というか、わたしの関わったその人も女性であった。

 他人と過ごすには前もって約束のあった方が、わたしはいい。他人を巻き込まない自分一人の予定だったら、急に思い立ってなんでも全然するけれど。

 こうして文章を書いているうちに、女子会の日にちが決まった。「何日はどう?」「何日なら大丈夫?」と、当初予定していた土曜日では皆の都合がつかなくて、平日の夜に集まることになった。こんなに皆の都合がばらばらなのだから「今から会おう!」なんて誘い方ではきっと全員は集まれなかった。
 約束の日が楽しみだなと思う。自分だけじゃなく、他の二人も楽しみにしていてくれることが、うれしい。

  (この次は一人で来よう)遠ざかるあの赤い橋渡ってみたかった

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 8年くらい前に描いたらしい短歌4コマ漫画が出てきました。ライトボックスとは、別名トレース台、絵や製図を描く際に下の絵を透かして写すための、電気の明かりの点く道具です。2万くらいする、割と高価な道具です。わたしはこれがないと絵が描けません。

  今はもうただ履歴書を写すだけ ただそれだけのライトボックス

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 インフルエンザで倒れていた。つくづく、一人暮らしで体を壊すことほど心細いことはない。具合の悪い体で台所に立ち、具合の悪い自分のための食事を用意しなければいけない。具合の悪い体で外に出て、具合の悪い自分のための食品や薬を調達しなければいけない。具合の悪い体を休めたいのに。
 今回はインフルエンザということもあり、熱があって意識が朦朧とし、立つこともままならず、医者に行くどころか食事のことも何もできなくてしんどかった。さいわい、隣県に暮らす家族が駆けつけてくれて、病院に連れて行ってもらい、実家で療養することができた。けれど、両親だっていつまでも健在なわけではない。いつまでも実家に頼れるわけではない。今はまだいいけれど、この先どうしよう。

 今までだって何度もあったのだ、具合の悪い体で具合の悪い自分の世話をするほかなかったこと。一人でじっと耐えていたこと。一人で暮らすこの街で、助けを求められる相手もいなくて。孤独死、なんて言葉が過ぎるのもこんな時だ。思うようにならない体を抱え、誰にも気づかれないまま一人でうんうん唸っていたことなんか、これまでに何度もあった。

「ポカリスエット買ってきて」
 具合の悪い時にそう頼める相手がいたらな。倒れるたびに思う。

 自分が、一人暮らしで体を壊した時の頼りなさを知っているから、もし一人暮らしで倒れてどうしようもない思いをしている人がいるなら、ポカリスエットを持って行っておかゆを作ってあげたいと思う。寄り添ってあげたいと思う。こんな時、一人で過ごしていないってだけで、どんなにか心細さから救われるって、わたしは知ってるから。

  服薬をするために食む朝ごはん晩ごはんなり少し肥えたり

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普通自動車運転免許を更新した。車がないと暮らしてゆけないような田舎で生まれ育ったわたし。10代の頃は将来は自分も普通に車に乗るものと思っていたものだけれど、どうにもうまく運転ができず、「免許が取れたらもう車なんて運転しない!」と教習所時代に決めてしまった。実際に、地元よりも交通機関の充足した所に越したこともあり、以降一度もちゃんと運転したことがない。それでも、免許の更新だけは続けていて、そもそも運転をしていないのだから当然として無事故無違反のゴールド免許を所持している。履歴書の免許・資格欄に書く時と、身分証明の際には役立つ。

 車の運転ができないので、免許センターまでは父の車に乗せてもらって行った。次の更新は5年後。5年後の高齢になった父に、送迎なんて頼めるだろうか。やっぱり交通機関で一人で行くことになるんだろうか。それとも、観念して運転を始めたりしてるんだろううか。5年後、わたしはどうしてるだろう。5年後といえば、40歳ぐらいか。
 次の免許更新の頃に思いを馳せながら、前の更新の頃を思い出した。5年前に免許の更新をした時、わたしは三十路前で、無職だった。でも、その後ちゃんとした仕事に就けて、充実した日々を送ることができた。あの頃が一番楽しかった、と言えるぐらいの。長くは続かなかったけれど、あんな時間が一瞬でも自分の人生にあったということだけでも、幸福なのだとも思う。何も進んでない人生のように見えても、免許の有効期間という区切りの間に、得たものも、失ったものもある。
 いろいろあったなあ、と思う。これからも、いろいろあるんだろうなあ、と思う。今を、こんなはずじゃなかったと思っているくらい、未来だってどうなってゆくかわからない。不安に駆られて自分を見失ったこともあったけれど、なるようになってゆくんだろうな、と今は思えてる。

 ばっちりおめかしをして行ったので、免許の写真がそこそこ満足のいく仕上がりになってくれた。これを5年使うぞ、と思うと、ちょっと気分がいい。

  ビデオ屋の会員になるためだけに取ったみたいな運転免許

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叔母から届いた年賀状に「今年はすこしずうずうしくなってみましょう!」と手書きで書いてあった。昨年の叔母からの年賀状にも「すこしずうずうしくなるといいかもよ」と書いてある。叔母からは、わたしはよっぽど遠慮しいに見えているのだろうか、と思う。

 母の妹である叔母は、東京在住で滅多に会えない。最後に会ったのは昨年、わたしの妹の結婚式で、その前は15年ほど前にわたしが漫画の持ち込みに上京した時、というぐらいに滅多に会えない。
 それでも、義叔父と共に、わたしがNHK短歌で入選一席に選ばれた時にお祝いをくださったり、東日本大震災で被災した時はお見舞いをくださったり、近年は毎年のように秋に梨を送ってくださる(叔母は一家で梨農家をしているのだ)。その度にわたしはお礼の電話をし、年末などにお歳暮として菓子折りを送ってお返ししていた。届けば「そんなに気を遣わなくていいのに」と叔母から電話が来るけれど、それはある種のお約束で、実際はお返しをするのが礼儀なのだと思っていた。

 そういえば、妹や従姉妹など、同じ立場の他の親戚はどうしているのだろう。わたしはみんなそういうことをしているのだと思っていたのだけど、わざわざ菓子折りなんて誰も送らないのだろうか。と、いう疑問の湧いてきたのは、一昨年に結婚したわたしより年上の従姉妹が、親戚からの結婚祝いの贈り物に対してうんともすんとも言わなかった、ということを親戚伝いで耳にしたからである。従姉妹とは疎遠なのでどんなふうな考え方をしているのかわからない。
 もしかして、わたしだけが、何かしてもらえばお礼、お礼、と過剰に反応しているのだろうか。叔母の言う、わたしのずうずうしくなさ、とは、わたしのそういう性質のことなのだろうか。

 昔、親しくしていたひとがわたしに高額なプレゼントをくれようとしたのを「そんなのもらえない、お返しができない」と断り、なんでもらえないのかと喧嘩になり、仲がこじれてしまったことがある。ほんとうは欲しい品だったのにもらう気持ちになれなかったのは、遠慮と、「ずうずうしい人間だと思われたくない」という見栄からだ。もらっておけばよかったんだよな~、と今はわかる。相手はお返しが欲しくてプレゼントをくれるわけじゃない。「あげたい」という心でくれようとしたのだ、わたしをよろこばせようとして。それなのに、なんとわたしという人間の可愛げのなさよ。

 ずうずうしい人間にはなりたくないと思っていた。けれど、過度な遠慮が相手を困らせてしまうこともある。疲れさせてしまうことも、きっとある。わたしは、もうすこしずうずうしくなってゆこう。すこしずうずうしくなっても、感謝の気持ちは忘れずに。

  ことのほかお見舞いくれた東京の義叔父に今年も送る喜久福  
※喜久福=仙台銘菓

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数えてみたらわたしの部屋にコーヒーカップ及びマグカップが10個あった。湯呑み茶碗も加えれば12個になる。

 普段使いのは実家暮らし時代から使ってた一番古いお気に入りの白地にシンプルな花鳥風月の絵のコーヒーカップ。昔はこのカップをメインで使っていたけれど、今は主に薬を服用する際に使っていてサブ的扱い。今飲み物用に使っているのは無印良品で買った耐熱ガラス(アクリル?)の。透明で大きいので夏はグラス代わりにもして重宝している。
 あとは簡単な来客用に100均で買った2つ。主に両親や友人が来た時に使っている。バラバラな時期に買ったので柄もバラバラ。
 そして新潮文庫のYonda?CLUBの応募券を集めていただいた景品ペアマグカップ。一つは職場で使っていて、「それって新潮文庫のだよね」なんて気づいてくれる人がいてうれしかったりした。愛用していたけれど、転職してマグカップ持ち込まない職場に代わってからは出番がなくなってしまった。この先にマグカップ持参の職場にめぐり着いたらまた活躍することでありましょう。ペアの方も、ペアの人が現れたら。
 それから昔の勤め先だった飲食店のクローズの際に処分品をいただいたお揃いの白いコーヒーカップ3つ。多数の人が集まった時にでも使いたいと思っていたけれど、そんな日は訪れないまま仕舞いっぱなし。でも3つ揃いっていつか必要な気がして。来客用の100均のをお払い箱にしてこちらを使用すればいいのだろか。でも割れてもいないのに交代させなくともいいとも思って、そのまま。
 とくべつな思い入れがあるのは、職場だった飲食店にお客様として現れたものの、体調を崩して倒れかけたお年寄りの方からいただいた蓋と茶こし付きマグカップ。具合の悪いのを介助したところ、回復した後日に、わたしのために選んだのだ、と職場まで届けに来てくださった。一度も使ったこともなく箱に入ったままだけど宝物。わたしはたいしたことはしていないのに、満面の笑顔でお礼を言ってくださって、お礼なんて別にいいのに、わざわざ後日来てくださったお心がうれしくて。そういえば当時は、助けてくれたお礼に後日カップをもらったことが恋の始まりだった『電車男』が流行っていて、似た状況を味わえたのがおもしろかった。もちろん、相手がおじいちゃんではそれ以上何も芽生えないのだけれども。
 いつか使いたいのは、妹の結婚式の引き出物だった夫婦湯呑み茶碗。まっしろな有田焼で、ころんとしたまるいかたちがかわいい。これを引き出物に選んだ妹のセンスがありがたい。ちなみに、両親などは同じ引き出物でも湯呑みのデザインが違っていて、両親のは渋い色でしゅっとしたかたちのものだった。わたしは自分に宛がわれたまるっこい湯呑みが気に入ってる。夫婦湯呑みなので、揃って使い始める日が来たらいい。その日まで仕舞っている。今のところ湯呑みはこれだけだけど、お茶も普段使いの無印良品のカップに淹れてるので使ってない。

 一人暮らしで、こんなに飲み物の器は要らないでしょ、と今さらに思う。半分以上も、一度も使われず仕舞ったまま。でも、なんだかどれも手離せない。だんしゃり、失敗。

  引き出物の夫婦湯呑みはいつの日かって二つ使おうと仕舞う

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同僚の、わたしより八つぐらい年下の女の子が、趣味としてコピックで絵を描いている、と言うので、手持ちのコピックを何本か譲ることになった。コピックはマーカーにして一本400円程度と値も張るので「いいんですか!?」と同僚さんは恐縮していた。けれど、わたしはもう絵は描かないし、描くとしても彩色は透明水彩やアクリル絵の具にするだろう。コピックはわたしの画風にも合わないのだ。処分しようかと思っていたほどだったから、丁度よかった。必要としてくれる人の手に渡った方がいい。

 手持ちのコピックの中から30本ほど、あげてもよさそうな色を選びながら、件の同僚さんになつかしいものを感じた。男の人には興味がないから結婚はしたくない、自分の趣味のために生きたい、と敢えて一度も定職に就かず派遣を転々としている彼女。どこか、昔の自分を見ているようでもある(わたしは転々とはしなかったけれど)。今のわたしぐらいの年齢になった時に後悔しないといいけどな、なんて余計なお世話に過ぎないことを思ったりしつつ、彼女の話を聞く時は「趣味があるっていいね」「芸術的だね」「自分を持ってるんだね」なんて肯定したりする。
 これが昔のわたし相手なら「ちゃんと就職した方がいいよ、趣味は趣味でしかないよ」と言うだろう。でも、昔のわたしが母などにそう言われても、当時はいずれ絵を描かなくなるなんて思いもせず、聞く耳を持たなかったことまで思い出す。同僚さんにしても、今の自分の意思でそうしているのだから、定職にも異性にも目もくれず自分の意思で趣味に生きることによってきらきらしているのだから、それでいいのだと思う。若さというのは、きっとそういうものだ。

 自分のところに残しておきたい色を選んでいたら、茶系と緑系の色ばかり残った。残ったコピックで、木でも描くのか、わたしは。

  部屋うちの全てのものが過去形と思う真夜中色のパステル

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 失業保険も諸々あって受給しきれぬまま期限切れ、福祉の支援も受給資格が得られず、さて、この先どうやって生きてゆこうとあわあわしていた矢先、ひと月の期間限定ではあるものの仕事が舞い込んできたので、今、就労している。療養中でまともに社会復帰できるか心配だったし、未経験職だったから不安もあったけれど、ひと月だけならリハビリになるかも、新しい経験を積むのにそれくらいが丁度よいかも、と軽い気持ちで受けた。年末まで、と期間的にきりがいいのもよかった。

 この年齢になって初めて、座り仕事をしている。これまでわたしは立ち仕事ばかりをしてきて、座ってする仕事はどんなにか楽なのだろう、と長いこと羨んでいた。とんでもない! 実際に勤めてみれば、立っても座っても、仕事というものは疲れるのだなあ、と4時間半の残業帰りにしみじみ思う。それでも不慣れなエクセルを駆使しつつ仕上げた業務を「きれいなデータだった」なんて言われると、うれしい。
 短期の職に就くのも初めて、残業のある仕事に就くのも初めて、オフィスというような職場環境も初めて、初めてのことばかりで慣れないことばかりだけれど、さいわい人間関係にも恵まれ、新鮮な気持ちで仕事ができている。期間限定だからこの先のことは見えないことが心許ないけれど、今のこの経験は次というものに活かせるような気がしている。がんばる。

  履歴書を書くのにきた右の手でマーメイド紙に小鳥を描く


※過去絵。画像クリックで拡大されます。

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しあわせな歌が詠みたい誰からも全然ほめられなくていいから

 と、いうようなことを、この頃はもうずっと考えている。
 歌というものは哀しさ寂しさと波長が合いやすい。一般的に名歌と呼ばれるものもどこか物悲しさを帯びたものが多い。侘び寂びは日本の美意識だから。けれども、もう、ほめられるために歌を詠いたいわたしではない。わたしにとって大切なのは、良作と言われるような歌を詠むことより、わたし自身がしあわせになること。歌のためではなくて、わたしの人生のしあわせのために生きたい。
 歌はたぶんずっと詠ってゆくだろう。わたしがしあわせになってから詠う歌がつまらない歌だとしても、わたし自身がしあわせだったらそれでいい、と今は思う。

  しあわせな時は素直にしあわせな歌を詠みなよ過去のわたしよ

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一人暮らしを始めてから10年ほどはほとんど疎遠だったのが嘘みたいに、この頃は実家によく帰る。一人暮らしの一人の部屋に一人で居る時は、ついついパソコンを開いてインターネットに繋いだり文章を打ったりして過ごしがちだけれど、実家にはパソコンがない。外出先で携帯電話を使ってネットに繋ぐという習慣はない。自分のパソコンを持っていって文章の作業をすることもあるけれど、2、3日の滞在ならパソコンという荷物は重たい。
 実家ではせっかくパソコンの使えない状況にあるので、パソコンから離れた時間を過ごす。あまり荷物にならない文庫本を持っていったり、実家の本を読んだり、実家で飼っている犬と遊んだり、田舎道を散歩したり、野菜を出荷しに市場へ行くのについていったり、家族のために食事を作ったり、パソコンから離れて過ごした時間の方が、なんというか、生きている、という感じがする。休職した(のちに退職した)際、療養として実家でそんなふうに過ごしたことが、今の回復に繋がっている気はする。
 祖母と過ごすのも楽しい。祖母は、わたしが帰ってくることを知ると、訪問販売のヤクルトを買って待っていてくれる。そんな祖母とヤクルトを飲んだり、一緒に犬をからかったり、部屋のこまごまとした手伝いをしたり、シップを貼ってあげたり、テレビを見ながらおしゃべりをしたり。
 テレビに映る俳優の窪田正孝さんを「わたし、この人が好きなの」と言ったところ、祖母は「女房の方が良い男だ」と言う。女房、女房、と何のことだと思いきや、NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』に水木先生役で出演していらした向井理さんのことであった。丁度、ご結婚の話題が持ち切りな時期だったこともあり、テレビでよく見かける度に「優しそうだ」「良い顔だ」とうれしそうで、乙女な祖母がおもしろかった。「向井理さんっていうんだよ」と名前を教えてあげると、「いい名前だなあ」と何度もくり返すのだった。次に会った時に覚えているかわからないけれど。というか、わたしがいいなあと思っている窪田正孝さんも朝ドラ出てたのに、やっぱり祖母なりの好みがあるのね。祖母が向井さんを気に入っているということが、なんだかほんとうにおもしろかった。今まで他のテレビの人をそんなふうに言っていたこともなかったので、よっぽど好きなのでしょう。
 実家に居る間、裁縫は苦手だけれど、ボタンで取り外しのできる携帯電話入れも作った。ポケットのないバッグに付けるのだ。古い服の袖部分を袋にして、古いエプロンの紐で持ち手とボタンホールを作り、古いパジャマのボタンを付けて、余りもののレースのコースターを飾りに縫い付けた。柄もちぐはぐで縫い目もがたがただけど、自分用なので別にいいの。ボタンだけは、わたしのへたくそな縫いっぷりに業を煮やしたのか、家政科出身の母がちゃちゃっと付けてくれた。

 パソコンから離れた時間を、一人暮らしの自宅に居る時にも過ごしたい。そもそも、誰かと一緒に居る時にネットを繋ごうなんて思わない。パソコンをさわりたくなるのは一人ぼっちで居る時なのだ。
 
  ネットでもいでなけりゃわたしなど何処にもいないみたいな夜だ


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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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