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川が好き。山も好き。
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 介護士による虐待や殺人など痛ましい事件の影響で、この頃、良い介護施設の選び方などがよくテレビで紹介されています。
 利用者さんが笑顔でいること、散歩や買い物など外出の時間があるかどうか(外出は介護報酬?の点数にはならないので、利用者さんによろこんでもらいたい施設側のサービスで行われているのだとか)など、なるほどなあと思います。
 良い介護施設かどうか見分ける方法の一つに「食器は陶器を使っているか」というのがありました。陶器の食器を使っている所は利用者様のことを考えてる、との理由だそうです。確かに陶器の食器はきれいですし、ほどよい重さが麻痺を患う人の手にも良いようなのですが、割れないように気を遣うため仕事が遅くなり調理師泣かせなので、メラミンの食器でも許してください。
 また、わたしが介護の現場で働いたり、他の施設などもいくつか研修で訪れたりした経験から。施設の行事やレクレーションに、現場で働く介護士さんだけでなく、事務室にいる職員さん(施設長、事務員、ケアマネージャーなど)や厨房にいる調理師さん(ただ、調理師は直雇の施設もあれば、専門の業者が入っている施設もあります。)、送迎のドライバーさんなども参加している施設は良いと思いました。特に、事務室の職員は正社員で、現場の職員は非正規社員だったりすることも多いので、そのあたりに壁があると人間関係もぎすぎすしたものになり、職場の雰囲気が濁ってしまいます。施設の規模によって難しい部分もあるかもしれませんが、普段は利用者様と接しない業務の方々も、数字や書類の情報だけではなく、現場に出て利用者さん達や介護士さん達に触れ合う機会の持てている施設は、いろいろ風通しが良いように思います。
 あと、これは一箇所だけでしたが、利用者さんを「お客様」と呼ぶ施設もあって、間違いではないのでしょうけれど、商売っ気が押し出されている感じがしてわたしは気になりました。

 実家の、もうすぐ89歳になる祖母が、この3月から週一で通所介護施設に通い始めました。近所のお茶飲み友達もいなくなり、自身も体が不自由になってきて最近はずっと家にばかりいたので、施設でお話したり体操したり、楽しく過ごせればいいなあと思います。

  「はつ恋の味がするわ!」とはしゃぎつつ嫗らの食むぶどう寒天

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1月15日が、仕事の最終出勤日でした。当初は、聞いていた話と業務内容や勤務形態が違っていたり、職場の上司陣の若さ(センター長が同じ年齢!)に戸惑ったりもしました。特に、女性上司達の派手なファッションやネイル、同期の同僚女性もギャル子ちゃんが多く、「ここはわたしの働く場所じゃないでしょう…」と場違い感でいっぱいで、きっと長くは続けないと思っていました。
 けれども、仕事自体は苦手分野ながらマイペースにできてやりやすく、人の入れ代わりが激しかった分、ギャル子ちゃん達が脱落していき落ち着いた人が残ってきて、働きやすくなってきました。人間関係もさっくりしていて仲良しさんもでき、勤怠についても融通が利くのも良くて、思ったより長く続けることができました。
 このまま続けることもできたのですが、世の中の流れもあってセンター全体の生産性も振るわなくなり、いろいろ状況も変わってきたので、契約更新せず、ここらで円満終了です。お疲れさま、わたし!
 
 生活のためだと割り切って、仕事をするために仕事をする、そんな日々です。でも、同じような人も多いのでしょう。生きてゆきます。

  こんな仕事こんな仕事と思いつつ就業できることのうれしさ

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11月末に、実家に帰ってみました。関東に嫁いだ妹が赤ん坊を連れて帰省しているのです。赤ん坊を実家に連れてくるのは初めてなので、赤ん坊と会うのは初めて、妹と会うのもなんだかんだで2年ぶりです。
 
 久しぶりに会う妹は、新米ながらもうすっかりお母さん。そんなに子供好きではなかったはずなのに、我が子にはめろめろでした。初めて見る甥っ子は、そりゃあもうかわいくて、ずっと抱っこをさせてもらいました。ただ、一日子守りをしただけなのに、体がぐったりで、子育ては体力がいるってほんとうなんだなあとあらためて実感しました。妹の子だから軽く子守りもするけれど、これが我が子で毎日続いたら正直耐えられる自信がありません。
 父と弟はぼんやりしていましたが、母は初孫のためにわたし達をおぶったおんぶ紐やねんねこを引っ張り出してきたり、88歳の祖母はひ孫に歌ったり話しかけたり、家が明るんでいるのを感じました。

 祖母、父と母、わたしと弟、妹と赤ん坊。こんなふうに家族全員が実家に揃うのは、この先も滅多にないでしょう。妹は初の実家へのお披露目と、関東での引越しの関係もあってお正月過ぎまで実家に滞在するようなので、その間にわたしもまた帰れたらいいな、と思っています。
 ちなみに、甥っ子はキラキラネームを付けられており、今のところ家族は誰も名前では呼ばず、「んぼこ」(山形弁で赤ん坊のこと)と呼んでおります。

 実家にいる間、BSで原節子追悼で小津安二郎監督の『東京物語』を放映していました。DVDも持ってるほど好きな映画ですが、せっかくなので見ました。
 『東京物語』は今さら説明するまでもない名作映画ですが、老夫婦が尾道から上京して子供達に会いに行ったところ、東京で自立している子供達にないがしろにされる、というような内容です。何回か見たのですが、この日は、笠智衆と東山智栄子演ずる老夫婦の「子供と孫では孫の方がかわいいと言われていますが、どうですか?」「やっぱり子供の方がかわいいなあ」というような会話が妙に印象に残りました。

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国民年金保険料追納のご案内ハガキが届いた。去年の無職だった頃、国民年金の納付を免除してもらっていたのだ。

 印字されていた金額は、払えない額ではないけれど、今のわたしの月給の半分くらい。それなりに、大きい。
 免除してもらっていた分を追納すれば、将来もらえる年金が増える。免除分は、このままだと半額支給になる。老後のことは心配だ。とはいえ、手元の現金を一気に失うことは、こわい。それに、わたしが年金をもらう頃に年金制度がどうなっているか、破綻しているかもわからないし、手元に残しておく現金を将来のために貯金していたっていいし、自分のために遣ったっていい。

 結局、追納はしないことにした。悩むけれど、とりあえずは今を大切にしたい。

  文庫本しのばせてゆく晴れた日の国民年金免除手続き

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 先日、山形美術館で「飛塚英寿――出羽の里びと」という展示を見てきました。写真家・飛塚英寿さんによる昭和30~40年くらいの山形の人達の写真。わたしは昭和55年生まれだけれど田舎の昔の文化が残っている地域に育ったこともあり、郷愁をそそられるものがありました。被写体が人である、というところがとても良かったです。表情や仕草、服装など、言葉のように胸に伝わってくるものがありました。特に、今は人が住まなくなっている白鷹町のある集落の人達の写真を興味深く見ました。同行の人のお祖母さまの故郷だったのですが、昔は普通に暮らしが営まれていたものの、山奥で不便過ぎたので集団で離村したそうです。そうした暮らしの風景や離村時の写真は、3・11の原発事故の放射能の影響で避難区域になり地元を離れざるをえなくなった福島の人達にも重なって見えました。
 常設展はピカソやシャガール、モネなどの絵画でした。が、写真展がすてき過ぎてあんまり印象に残っていません。
 
 写真は短歌に通じるものを感じます。この瞬間を切り取るかっていう感覚。写真展を観賞して、わたしは短歌の記録性に惹かれてるんだな、とあらためて気づきました。写真を撮るように短歌を詠いたい、と思いました。

 美術館の後は、久しぶりに山形市の街中、七日町を歩きました。中学生や高校生の頃、山形市に遊びに行くと必ず訪れていたaz七日町ビル、本を購った八文字屋書店、楽譜を求めた富沢本店、食事をしたイタリアンレストラン・チロル。郊外にショッピングモールができ始めたこともあり、山形の中心街は廃れてきたなんていう話も聞いていましたが、昔よく立ち寄ったお店は今でもがんばっていて、懐かしかったです。

  一人旅装うブログ打つ君の携帯カメラに写らぬわたし

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わたしの職場の責任者であるセンター長が、わたしと同じ年齢だと知った。堂々とした振る舞いや貫禄から、てっきり一回りくらい上かと思っていた。年齢の割には、ちょっとチャラいんじゃないかとも思っていた。実年齢がわかれば、あの妙な軽さも、まあそんなものか、と納得する。それにしてもびっくりした。
 一番の長たる長が同じ年齢なのだもの、二番手のあの上司も、普段頼りにしているあの上司も、少し厳しいあの上司も、同年代だったり年下だったりするのでしょう。年相応の出世もせずに、いつまでも下っ端をふらふらしているわたしという人生を思う。

 そういえば、小学校や中学校、高校でご指導いただいた先生方の当時の年齢も、思えばずい分追い越してしまった。子供の目からしたら先生達はずっとずっと大人に見えて、あの頃のあの先生が20代だった、なんて信じられない。わたしが20代だったら、そんなふうにたくさんの子供達をまとめることなんてできない。30代で未だ独身の先生を、行き遅れているなんて普通に思っていた。今思えば、それくらいめずらしくも恥でもなんともないのに。

 時々、20代かと問われる。もちろん、お世辞も含まれていると思うけれど。ただ、わたしの場合は若く見えたとしても、それが若さなのではなく、人並みの人生経験を積んでないということゆえのおぼこさなのではないか。悪い意味で、年齢不詳。つまりは、「子供おばさん」なる不気味な存在なのではないか、わたしは。

 わたしの意識も変化してきている。30代前半の頃は、なぜかもう40代になってしまったような気分で、青春も過ぎ去り人生も終わったように感じられて、捨て鉢になっていた。
 今は何故か30歳ぐらいの気分で生きている。まだまだ未来があると思えている。なんで数年前あんなに絶望していたのか不思議。視野が狭かったのかもしれない。様々な生き方のあることを知って、見える世界が広がってきてから、これからのことも大丈夫だと思えるようになった。今は、毎日が楽しい。

  震災を機に不妊治療始めたる当時の上司の齢に並びぬ

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今の仕事では、パソコンの画面上でたくさんの人の名前を目にします。カナがなければ読めないような名前や、意外な漢字の当てられている名前もよくあります。
 時には、電話口で漢字ではどう書くのか伺ったりもします。熟語の何という示し方だったり、部首を使って説明してくれたり、自分の名前の表現の仕方を興味深く聞いています。
 たくさんの名前に触れる度、その名前を付けた人のことを思います。名前は人生で一番最初のプレゼント、と言われているように、その人その人なりの願いの込められた名付けなのだろうな、と思いを馳せることがおもしろくあります。

 先日、妊娠中だった妹が無事に出産しました。そして、あろうことか産まれた子にキラキラネームを付けてしまいました。
 妊婦時代から「この子は<り>だ! ってひらめいたの。<り>の付く名前にする」などと言っていたので危惧はしていたのだけれども。「だったら江戸時代の冒険家、間宮林蔵にちなんで<林蔵>と名付けたらどう?」とわたしは精いっぱいの軌道修正を試みていたのだけれども。
 変わった響きで画数の多い字面の名前を前に、「キラキラネームを付けたんだね…」とわたしが言うと、「キラキラネームだろうか。ギリギリ大丈夫だと思ったんだけど」と、妹はどこか麻痺している様子です。やっぱり産前産後は頭がお花畑になってキラキラネームを付けてしまうといううわさはほんとうだったのでしょうか。まだ赤ん坊だからかわいいものの、彼が青年になり、おっさんになってゆくことを思えば、キラキラした名前に風貌がついてゆけるのだろうか、と伯母ながら心配です。

 わたしは、子を生む予定も全くないのに、もしも名付けをする機会があったら、産まれたその日の季節や天気にちなんだ名前、漢字はシンプルに間違えられることなく読めるもの、説明のしやすいもの、と決めております。

  筆名を決めかねぬままはや幾年おのれに込める願いなどなく

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東北大学短歌会の歌会に参加してきました。社会人や主婦の方もいるよ、と聞いていたので、大学短歌会とはいってももっと開けた感じなのかなと思っていたのですが、当然のごとく大学生やOBの方々が多く、見事にぶっちぎりで最年長でした。でも、普段は年上の方とばかり歌会をしているので、若い方々の歌を読んだり評を聞けたりするのは新鮮でした。わたしも、普段の結社の歌会では作者バレするので出せないような若めの歌を提出しました。
 参加者は13人ほど。歌会をやるに丁度良いくらいの人数。そして大学生を中心をした若い人だけでこんなに参加者がいるのもすごいことです。

 結社の歌会の懇親会などでよく話題になるのが「最近の若い人の歌は、頭の良さを競い合っているみたい」というもの。
 実際に大学短歌会という若い人達の歌会に参加してみると、詠草一覧を見てもなんだか難しくてわたしには読みきれないものがほとんどでした。評に関しても、みんな難しいことを言っているなあーといった印象を受けました。わたしなんてほとんど高卒だもんなー。

 若くて短歌をやっている人がこんなにいるのか。白熱してるなー。男子率高いなー(結社の歌会は最近女子会化している)。大学生なんて多感な時期にこんなに同世代で同じ趣味の人と集えたら楽しいんだろうなー。いいなー、青春だなー。なんてことを考えたりしました。
 機会があれば、またお邪魔してみたく思います。

  ユニクロのTシャツ二人かぶりたる東北大学短歌会歌会

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両親が今朝採りのさくらんぼを届けに来てくれた。毎年、職場のおすそ分け用などに宅配便で送ってくれるのだけれど、今年は直に届けに来てくれた。
 両親が自宅に来てくれることが、この頃ずい分多くなった。昔はもっと距離があった。憎んでいた頃さえあった。けれど、今はいろんな話もする。家族らしくなってきたと思う。

 基本的には自宅で自炊の夕飯を一人で取ることの多いわたしが、この頃はいろいろお誘いをいただいて外食をしたりもする。大抵はガールズトークの聞き役だったりするのだけど、それはそれで興味深いし、誰かと共に食事を取ることは楽しい。

 仕事は、不安定だけれど、マイペースに進められるし、人間関係もざっくりしていて、ストレスもほとんどなく働けている。給料日、お給料もそこそこもらえてた。一生ものの仕事じゃない。でも、こういう働き方をしている人はいっぱいいる。いっぱいいるということがわかってきた。こんな感じでいいのかもしれない。こんな感じでいいかもしれない。仕事で心も体もぼろぼろになってた頃に比べれば。

 昨日は歌会で福島に行ってきた。楽しかった。心の支えになり得る趣味を持てていることを、うれしく思う。来週も、普段とは違う歌会へ初参加する予定。どんな感じか楽しみ。新しい出会いもあるでしょう。短歌はわたしを様々なところに連れ出してくれる。連れ出されてゆく自分を、おもしろく思う。

 人と会う予定がいくつかある。会いたい人がいるということ。わたしに会いたいと思ってくれている人がいるということ。

 今が一番いい時。小津安二郎映画によく出てくる言葉だけれど、今が一番しあわせかもしれないな、ってこの頃つくづく思う。
 わたしは震災以降ずっと大きな傷みを心に抱えてきていて、でも、笑えて過ごせるようになった日々の中で、いつしかそうした傷みを忘れつつあることに気づいた。
 このまま忘れきってしまえばいい、と思う一方で、忘れてゆくことを、寂しくも思う。だって、忘れることができるなんて思っていなかったから。あの傷みを、いつまでも引きずるつもりでいたから。
 わたしの悪い癖だ。過去を引きずったり未来を憂うより、今を大事にすればいい。今の自分を一番大事にすればいい。
 去年の今頃は、仕事を休職したりして(そののち結局辞めて療養生活に入って)、今の自分がこんなに笑えて暮らせているなんて思いもよらなかった。去年の今頃を思えば、今の自分なんて充分にしあわせ、泣きたいくらいに。

 さくらんぼ、おいしかった。山形の人は、とかく6月になるとさくらんぼを送る。地元を離れた人は、地元から取り寄せて配ったりする。わたしも、さくらんぼを食べに6月に帰郷していた頃があった。さくらんぼは山形人の心なのだ。

  六月に桜桃が届く これだから心底母を恨めやしない



(今朝とか昨日とか言っているうちに日付が変わってしまった。この文章は2015年5月15日に書きました。)

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早朝から怒涛の恋愛相談メール。今まで一度も男女交際経験のない、一回りほど年下の彼女は、只今片思いアプローチの真っ最中なのだ。
 30代独身Aセクシャル気味なわたしに意見を伺ったところであんまり参考にならないかもよー、と思いつつ、彼女曰くわたしは聞き上手らしく、なんとか取り付けた彼とのデートに、立ち会って会話が止まった時などにフォローしてほしいとの依頼まで受けてしまう。さすがに、二人っきりで会った方がいいのでは、と遠慮したけれど、作戦会議がしたいとのことで仕事終わりに会う約束をする。
 彼女は、同級生にちらほら結婚する子も出てくるような年齢の割に、とんでもなく純粋で、恋愛相談も「こんなメールを送った」「こんな返事が来た」と開けっぴろげで中学生のようである。なんにしても、恋をしている女の子は可愛いものだ。

 仕事終わり、約束の彼女と会った。来週のカラオケデートの予行練習として、どんな曲を歌ったらいいか見ることになった。なんだかよくわからないコアなアニメソングばかり歌いながら「告白されてみたい」「頭を撫でてもらいたい」と饒舌な彼女に、とりあえず「アニメの画面が出てきちゃうと恋愛っぽい雰囲気じゃなくなるし、子供っぽいオタクっぽいって引かれちゃうかもしれないから、お得意のアニメソングは封印して、西野カナとか歌った方がいいよ!」と助言した。

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プロフィール
HN:
おとも
性別:
女性
自己紹介:
歌集『にず』(2020年/現代短歌社/本体¥2000)

連絡・問い合わせ:
tomomita★sage.ocn.ne.jp
(★を@に変えてお送りください)
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